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普通の人ほど殺陣をやったほうが良いワケとは?柔と剛が織りなす「身体の地図」を手に入れる。

先日、知人の塚田くんが師範代を務める殺陣道場に足を運んだ。

塚田くんとは大学時代からの付き合いで、当時彼が所属していた演劇サークルの芝居を見に行ったのが最初の出会いだった。同じサークルの別の友人を介して親睦が深まり、彼が出演する自主映画や舞台の音楽制作に僕が参加したことをきっかけに、いっそう距離が近づいていった。25歳のころには、もう一人の友人と塚田くんと僕の三人で社会人劇団を立ち上げるなど、20代の苦楽を共にした数少ない友人の一人である。

無類の特撮好きということもあって、塚田くんのアクションにかける想いは大学時代から際立っていた。周りが就職する中、彼は自らの志を遂げるべく、現在の殺陣道場へ入門。その間さまざまな苦労があったようだが、今では誰もが認める師範代である。数年前から某特撮ヒーローのスーツアクターの仕事も始めており、名実ともに憧れのアクション俳優の夢を叶えたのだった。

そんな彼の道場はいかなるものか。ここまで聞くと、さぞ本気度の高い俳優に向けたスパルタレッスンを想像するかもしれない。"殺陣道場"という名前自体がそもそも殺気立っているし…。しかし、そこにあったのは、僕のような一般人にこそ必要な「身体の再発見」だった。

身体の地図を手に入れる

刀を強く握りしめ、力を込めて振り回す。そんな剛健な殺陣のイメージに反して、稽古では全身を緩めることに多くの時間が費やされた。

文字通り頭のてっぺんからつま先まで、一つ一つ身体の部位のほぐしていく。頭蓋骨をさすり、頬をさすり、首、肩、腕、腰から足へ。ほぐしている間、塚田くんが各部位のつながりを丁寧に解説してくれるおかげで、身体全体のイメージがクリアになっていった。

筋トレも近いところがあって、力が伝わる通り道になる部位をイメージすることで、ターゲットの筋肉に適切に負荷をかけることができる。筋トレと殺陣が違うのは、最終的に身体の動きを他人に見せるものに仕上げていくパフォーマンス性だ。カメラのアングルに例えるなら、筋トレはどちらかと言えばヨリの視点と言えるが、殺陣にはヒキの視点が要求される。舞台上に相手がいるということもあるだろう。怪我をしない/させないためには、身体への対局観が欠かせない。

身体の対局観を養うには、各部位の解像度を上げる必要がある。なぜならば、人間の肉体は骨と筋でできた構成物であり、滑らかな身体の運用は、各部位の連関を意識することで初めて可能になるからだ。木刀を強そうに振るうには、腕の動きだけではなく、まず肩甲骨の動きが意識されていなければならない。また、腰の中央にある仙骨に重心が乗っていないと、屁っ放り腰になり、身体の重心がぶれてしまう。参加者の立ち回りを動画で撮って講評する場面があったのだが、明らかに僕は弱そうだった。序盤でヤられるモブキャラにしか見えなかった。弱く見えるということは、力が伝わっていないということであり、身体の解像度が低い状態を意味する。

言ってみれば、殺陣を学ぶということは、身体の地図をつくることなのだ。

日々起こる身体の不調は、もしかしたら身体が迷子になっているからかもしれない。たとえば頭痛がしたとき、多くの人が頭痛薬を飲んで対処をするが、頭痛を引き起こしている根本的な原因は普段の姿勢だったりする。姿勢に意識が向かないのは、まさに身体の地図を見失っているからだ。もし、肩や首の骨と筋肉への意識が芽生えれば、薬なしで頭痛が改善する可能性は大いにあるだろう。多くの人にとってブラックボックスと化している身体を、時に緩め、時にダイナミックに躍動させることで、白日の下に晒していく。殺陣が持つその効用は、俳優を志す人のみならず、健康や美容に関心のある一般の人たちにとっても価値があると思う。

俳優以外の人にも優しい道場

下の写真を見ると些かコワモテで驚くかもしれないが、塚田くんが師範代を務める早稲田道場の半数は俳優以外の人が占めているそうだ。殺陣を通して自身の身体に足りないものに気づき、ダンスやピラティス、テコンドーなど他の分野も併せて受講する人もいるという。もちろん殺陣の魅力にのめり込む人もおり、アクションが必要とされる舞台に呼ばれるようになった俳優などもいるようだ。俳優活動をしている人と一緒に身体を動かすことは、一般の人にとっても大いに刺激になるだろう。

単発の稽古も可能だが、継続受講者にはその人にあったカリキュラムを組んでくれるそうで、じっくり身体と向き合いたい人には継続受講が向いているかもしれない。塚田師範代の早稲田道場は毎週木曜の夜。気になる人はまず体験稽古から申し込んでみてほしい。


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