天の邪鬼’ @存在感を示威するのか消すのかの選択


◆ 私もそんな気がしていました。

~~< 以下 引用 >~~   ■ 中国人が海外でチャイナタウンを作り、日本人が日本人街を作らない理由=中国メディア ⇒ http://bit.ly/2A6lbqc      記事は、「古くより中国人が海外に出る主な目的はよりよい生活をするため。1人で出掛けて現地の足場を築いた後、家族や親戚、友人たちを呼び寄せて生活するのだ。何かあれば同郷者に助けを求めるというのが、中国人の習慣的な思考なのである」と説明した。   「世界各地に散らばる日本人たちの生存能力は非常に強い。彼らはある種の信念や理想を抱いて異郷に足を踏み入れ、現地の一員となり忍耐強く生きていくのだ。


◆ “郷に入っては郷に従え”ということなのですね。

 日本人は、“周りと同じように振舞う”ことを重視します。それは、日本が“小さな島国”であるという地理的条件が育んだ大切な価値観のひとつだと思います。
 このことを詳細に考察すると長くなりますが、私は韓国に語学留学していた頃、“日韓の価値観の比較研究”という主旨で韓国のある大学に論文を発表したことがあります。
 大学関係者の間ではけっこう好評でした。要は、島国と大陸国とでは、当然、違う生活態度が求められるという論旨でした。


◆ 大陸人たちに“郷に入っては郷に従え”という発想はないのだと思います。

 だから、周りからの圧力を力で跳ね返そうとして、“固い殻”である強く結ばれたコミュニティを作るのだと思います。[固い殻]
 生物学的に言えば、日本人は“環境に順応する能力”が身についています。大陸人は順応力は劣っています。もちろん、善し悪しの問題ではありません。[環境に順応する能力]
 戦略論的に言えば、日本人は長期志向傾向が強い“環境決定論”的であり、大陸人は短期志向傾向が強い“環境創造論(戦略的選択論?)”的な特徴があるのだと思います。
 これを理解していれば、なぜ韓国人たちが外国にまで“従軍慰安婦像”を作るのかも理解できます。自分たちの存在感を示威しているのです。日本人は存在感を消したがります。


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