題... またぞろやかましい“自己責任”論
◆ 最近、フリージャーナリストの安田純平氏をめぐる“自己責任論”がやかましい。
私は、“またか”という感じ。私の“またか”は、世間一般の人たちが言う“またか”とは、少しニュアンスが違います。
簡単に言うと、“そんなことは、ことさら議論する価値もない”ということ。議論しても、どうにもならないことだと達観するしかない類のことなのです。
“自己責任論は、何か、対処できない事態が生じた時に必ず出てくるテーマ”なのです。お互いが“責任回避”したい時に、このことばを使いたがります。[#責任回避]
私が最初に“自己責任論”に出会ったのは、もう、20年以上も前。当時は、“金融ビッグバン”の時代。で、“投資は、徹底した自己責任で”とさかんに言われはじめました。
◆ 当時、私は、この自己責任論が何のことなのか良く理解できなかったので、まず、自己責任の正確な意味を調べました。
実は、自己責任には、深い意味があったのです。(→ 注1)
~~< 以下 引用 >~~ そもそも、「自己責任」とは、英語の『responsibility』を訳したことばで、「約束に対する回答」というのが本来の意味。 契約社会の欧米では、相手が約束を履行しなければ、こちらもそれを守る必要はないという意味を含んでいるらしい。 つまり、欧米では、「契約通りに約束を守らないなら、お金は払いませんよ。お金をもらえないのは、約束を守らないあなたの責任です」ということ。 日本では、どういうわけか、立場の弱い者が一方的に泣き寝入りさせられ、強者に都合のいい論理(つまり、責任を転嫁してしまうこと)として使われる傾向がある。 もし自己責任を言うならば、日本でも、自己責任をとれるだけの欧米並の徹底した「情報開示」がないことには、全くの片手落ちなのだという。
◆ 政府は、正確な情報開示のうえ、そんなことが起きても“放置”するということをきちんと表明しておくべきなのです。
ジャーナリストなる人たちは、自分の名声を高めるため“危ない橋も渡る”類の人たち。同じ危ない橋も渡る人でも、いわゆる“軍人”とは違います。
軍人はお国の命令によって危ない橋も渡る人たちなので、何かあったら、どんなことをしてでも国が助けてやらねばなりませんが、ジャーナリストなる職業も普通の職業のひとつです。
それに、外国で起きたことは日本政府には対処できない。何しろ、日本は、戦闘兵力を海外に送ることはできないことになっているので、救出のための“特殊部隊”なども派遣できないのです。
そもそも、わが国には、そんな特殊部隊の要員もいないのが現状なのですよね。そんな面では、実に“のほほ~ん”としたものなのです。
国に特別に依頼された調査や取材をしてくれている人なら別ですが、特定の個人の個人的行為に対して、必要以上に国の予算を使うこともできません。
そのことをはっきり表明しておいて、なので、“君子危うきに近寄らず”でお願いしますと国民にお願いするしかありません。
まぁ、今回の安田氏の場合は、お互いにそこは認識していた印象でした。ならば、“安田氏はツイていましたね”で一件落着にするのが良いと思います。
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●(注1) 自己責任が意味するところなどについては、2006.1.31のブログ『自己責任の深い意味』をご覧ください。[→ http://bit.ly/2qHyCdL ]
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