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いつかの夏、キモめの水泳教師を冤罪にかけた話

小学生のころ、夏休みの大半は静岡にあるおばあちゃんの家で過ごしていた。歳の近い従兄弟たちと一緒に。
笑顔の絶えない毎日。野に花は咲き乱れ、小鳥たちは歌い、ガキたちはプレステとセミ取りに興じ、幸せな日々を過ごしていた。が、そんな幸せな日々は突如終わりを告げた。

おれたちはスイミングスクールに通わされることとなったのだ。
家でピアノの先生をしている祖母。その傍らで狂喜乱舞するガキら。
それを見かねた祖母は、レッスンの邪魔にならぬよう、日中はどこかに預けておこうというもくろみだ。

あえなくプールに浸されることになったおれたち。
普段からスイミングスクールに通っていて自信のある従兄弟たちは得意げだったが、おれは、このスイミングスクールが、嫌だった。

ーー

薄汚いトタン屋根の天井を抜けて、夏の日差しが鈍く差し込む。25mプールを横断して掲げられた万国旗。プールから正面を仰ぐと、ガラス一枚で隔てられた保護者観覧席。受付には法外な価格のコアラのマーチ。そこはまるで、拘置所だった。

このプールを、黄色い水泳帽をかぶったキモめのおっさんが牛耳っていた。
「こんにちは、ぼくは佐藤先生っていいまぁす」

小太りで、陰毛のような髪の毛が水泳帽からはみ出している。そんなおっさんが、子供たちの前でニコニコしながら子供っぽい話し方をしているのが不気味だった。

「このスイミングスクールでは、水泳が苦手だよ!という人のかにさんコース、それからペンギンコース、ぼく泳げるよ!って人のためのイルカさんコースがあります!夏休みの間だけの君たちは、まずはじめに、自分のレベルにあったコースを選んでみましょう~!」

迷わずイルカさんコースを選ぶおれ。しかし開始5分、佐藤は俺のところにやってきてこう告げた。

「きみは、ペンギンさんコースにいこう」

なんだと?
なんで会って間もないこの男に、品定めされないとならないんだ?
しかも、佐藤が指さすペンギンコースは、俺よりも低学年のガキがうじゃうじゃいる。こんなガキと、一緒にやれだとーーー?

しかし反抗する術もなく、おれはペンギンさんコースへと連れていかれた。

おれは、プールのへりをつかまされ、顔を沈めて何度もバタ足をさせられた。
スイミングスクールに通ってたいとこたちは、50mを泳ぎきり、プールサイドでキャッキャウフフと楽しそうだ。


やめてやる


ビート板を掴まされ、万国旗の下、25mを無限に泳ぎ続ける振り子運動。前を泳ぐガキに、なかなか追いつけない。


やめてやる


「ねえ、はやく行ってよ」
おれさまの足をビート板でつつくクソガキ


やめてやる


ウッワーーーーーーーーーッ!!!!

やめるやめるやめるやめる!!!!
授業後キモめの佐藤に挨拶もせず、高めのコアラのマーチに目も触れず、スイミングスクールから飛び出した。
やめるやめるやめるやめる!!!!
なんたる屈辱!だいたい水泳なんて平泳ぎができれば十分だろう!平泳ぎを封じた上に「クロールは?」だとぉ?こんのぉ~~~!!

ーー

「おばあちゃんプールやめる!!!」

家に帰るや否や、おれは強く訴えた。
あんなところ行きたくない。時間はもっと有意義に使うべきなのだ。おれたちの幸せな日々をもう一度ーーーーー

「アラッ、ナニ、どうしたの?何があったの?」

どうしたの。

おれは言葉につまった。勇み足で訴えたまではいいものの、おれはこの問いに対する答えを用意していなかったのだ。

どうしたの。なにがあったの。一体どうしたというんだ、おれ。

キモめの佐藤に品定めをされた。クソガキに水泳で負かされ屈辱を味わった。受付のコアラのマーチが高かった。

だめだ。どの理由も、オトナを納得させられるような理由には、ならない。

あの空間は不快だった。もう二度と行きたくはない。しかしおれには、その不快感を形容しうる語彙力が、説得力が、なかった。


「あの、えっと」



「プール教室の先生、あいつ、、、」


えこひいきしたんだ」


えこひいき。
おれはその言葉が、「教師を罵倒しうる、重大な意味をもつ言葉」だということは、知っていた。
アニマックスでみていた「じゃりン子チエ」で、授業参観に来たテツが、先生にさされないチエをみて「えこひいきするな」と怒鳴りつけるシーンがあまりに印象的で、そのセリフが脳裏に焼き付いていたからだ。

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(じゃりン子チエ 1巻53頁)

しかしおれは、”えこひいき”がどんな意味なのか、全く知らなかった。
答えに困ったおれは、先生に責任を押し付けることでこの場をなんとかきりぬけようとしたのだ。

するとおばあちゃんの目の色が変わった。

「...ナニッ、えこひいきされたの!? ドッ、どんなことされたのッ!?」


どんなこと?どんなこと...
えこひいきの意味がわからないおれは、「どんなこと」が「えこひいき」なのか、わからない。

「...えっと」


「いいたくない」

アンラまぁ~~~~~~ッ!!!


その声を聞いて祖父がやってきた。
「どうした!?何があった!?
...なんだと?今すぐそいつに文句いってやる!


しまった


「...もしもし?そこにうちの孫を通わせてるものだけどね、そこにサトウってのはいるか?」


やめてくれ、そういうことじゃない、電話はしなくていい、
もっと、穏やかでいいんだ、やめてくれ


「...あなたサトウさん?うちの孫がね、あんたのところでえこひいきされたって言ってんだよ!」

やめてくれ、やめてくれ、違うんだ、そいつは、そいつはたぶん

「やってないじゃないんだよ!!うちの孫がされたって文句言ってんだよ!!何があったのか説明しろ!!」


たぶん、本当にやってないんだ


「...うん、うん...あんたがそう言ってもね、埒が明かないよ...

それなら明日またこの子を連れていきますから、俺は保護者席のところで見てるから」


最悪の結末だった


ーー

翌日スイミングスクールに行くと、授業中佐藤先生はことあるごとに、俺に確認をとった。

「先生は、えこひいきなんて、してないでしょ?」

えこひいき。

「これのどこが、えこひいきだというんだい?」

えこひいき。


なあ先生、

えこひいきって、

なんですか



何も解決しないままスイミングスクールは終わり、夏も、終わった。

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