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周りの反応について感じたこと

乳がんになりまして、色んなことを思いつくままに書いてみてるわけですが、今日は乳がんって分かった後の自分の周囲の反応と、それについて自分が感じたことを書いてみたいと思います。

私の乳がんは、ステージ1の早期発見で、細胞の性格もおとなしくゆっくり増殖するタイプだったので、リスクとしてはそんなに大きいものではないものでした。それでも、自分ががんって告知された時はそれなりにショックを受けたし、がんの詳細が分かるまでは、おっぱいなくなるのかなー、とか、え私死ぬのかな、とか色々考えて一人で不安になっていました。

結果、乳がんは生存率高いがんだし、生命維持に必須な器官ではないから最悪全切除できるし、何より早期発見できたことが私は幸運だったと、色々調べていくうちに分かって、感謝の念が湧いてきました。先生や看護師さんも「いやー早く見つけられてよかったよかった、ラッキーでしたね!ちゃっちゃと取っちゃいましょうねー」って感じで接してくれるし、私自身は深刻度ゼロでした。

そんな状態で会社の上司やチームの人に報告し、入院の手続きを進め、入院前日にはリアルで繋がっている友人がいるFacebookに報告兼ねて「明日から入院手術しまーす」と、これまた能天気に書き込みました。個人的には、家族もFacebookで繋がってるので、ここに書き込めば入院中の様子も家族に伝わるかな、くらいの軽い気持ちでした。

すると、友人知人からすんごい大量の心配や励ましのコメントをいただきました。それ自体は(リプライは大変だったけど)ありがたく感謝していたのですが、中にすんごくすんごくすーんごく心配してくださる方がいらして、私は戸惑ってしまいました。当事者である私自身はそこまでがんに対して深刻に考えていなかったのに、「気を確かに持って」「辛いときは支えになるから何でも話して」など、私の予想を成層圏も軽々と遥かに超えて、地球何周した?くらいの勢いでものすごく心配してくださっている、という現象に感じる居心地悪さ。え、なんかちゃんと生きてなくてごめんなさい…という気持ちになりました。

誤解を恐れずに正直な気持ちを話すと、ちょっと重かったです。本人である私が悲観的になっていないのに、すごく心配している。全くの善意からで、悪意はゼロって分かっているし、それは本当にありがたいんだけど、私が何回大丈夫だって言っても聞いてくれない。いーや、大変なはず!つらいはず!我慢しなくていい!吐き出していい!吐き出しなさい!と強要されている気持ちになりました。私は性格が悪いので「え、なに、私もっと深刻な病状だったらよかったの?そしたらあなたも満足した?」と一瞬イラッとしてしまいました。修行が足りていません。反省。

なるべくスルーしていたのですが、定期的に連絡が来るので話を聞いてみて、ご連絡をくださった方は近しい身の周りの方にがんを患った方がいらっしゃることを教えてくださいました。しかも、私なんかより病状が重く、深刻な。

その掛け違いが分かったので、感謝しつつ「私は大丈夫です」という返事を送ったのだけど、自分を振り返っても同じようなことをやりそうだな、と思い、教訓とさせてもらおうと思いました。つまり、自分の世界で経験したことを、外の世界に勝手に投影して行動することです。

目の前で起こっている事象はたったひとつなのに、それを見る人の今までの経験によって異なる様々なサングラスができ、私たちはみんな違うサングラスをかけて事象を見がちです。よく例えに出る、「目の前にコップがあって、その中に水が半分くらい入っている」という事象に対して、「まだ半分も入ってる!ラッキー」と思う人と、「もう半分しか入ってない!どうしよう」と思う人は、それまでの人生の経験により、かけているサングラスが違うだけなんですよね。

今ちょうど人間の精神についていろいろ学んでいることと重なる部分もあったので、この一連の経験も学びなんだろうなと思うと、教えてくれた人に感謝だなあと思います。

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