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ありのままの「気味」が良い

車窓から夕日に照らされたマンション群がずらりと並んでいるのが見える。
今日はなんだか疲れたので、スマートフォンの画面を見る気力さえ起きず、無線のイヤホンでラジオを聴きながら電車に揺られていた。

急にラジオから懐かしい曲が流れてきた。 
今日みたいによく晴れた日の、日の入り前が良く似合う曲である。

誰が歌っているのか、いつ作られた歌なのか、全く知らない。
でも、メロウでロマンティックな曲だと思う。夕暮れ時にこの曲を聴きながらちょっとセンチメンタルな気分に浸っていたものだった。

曲が終わり、ラジオパーソナリティは告げる。
ビリー・ジョエルのJust the way you are でした、と。

10年以上の時を経て、私はこの曲と出会い直した。
ビリー・ジョエルという人の曲で、曲名はjust the way you are だと知った。スマートフォンに指を滑らせ、すぐさま「just the way you are ビリー・ジョエル」と検索する。なるほど、1977年の曲なのか。愛する人に捧げられた曲だったのか、と曲の背後にあった情報を探る。

ついでに、記憶を手繰り寄せ、お世話になった英語教師の発言を思い返す。俺、この曲好きなんだよな。この曲を下校時の曲に選んだ教師のセンスを褒めたい、とコーヒー漂う職員室で先生は言っていた。

先生は嫌われていた私を励ますために、この言葉を投げかけてくれたのだった。

当時、私はあらゆることに苛立っていて、そのフラストレーションを教師への反抗で解消していたのだった。

部活の顧問にすぐ反論したり、校則に対しておかしいと教頭に直談判しに行ったりと、「歯向かう子」で教師にとって都合の悪い生徒であったのだろう。

私の悪評はあっという間に広がり、風当たりは強かった。部活の顧問からは言われもない難癖を付けられたり、国語教師には発言していても通知表の「関心・意欲・態度」の点数が下げられたりと、明らかに教員から嫌がらせを受けていたものだった。

事の発端はクラスメイトから陰口を叩かれたことにあって、私は何も悪くない。

しかし、私は悪口を言われてことが辛くて、恥ずかしくて、誰にも言いたくなくて、何ともいえない気分を抱えながら登校していた。ただし、歯向かうという術を覚え、あらゆることに「おかしい」と言うようになった。

それが私の身を守る術だった。

その日も担任の先生から呼び出しを受けていた。
部活の顧問に対して、「私ばかり注意するのはおかしい。」と言ったところ、「あなたは自分の過ちを認めないのね。じゃあ貴方の担任に報告する。反省しなさい」となんとも無責任なことを言われ、担任に呼び出される羽目になったのだ。

部活終わり、憂鬱な気分で職員室に向かった。

下校時間が迫り、グラウンドのサッカー部は器具の片付けをしている所だった。
ほの暗い廊下は私を憂鬱な気分にさせる。
職員室に入ると、担任の先生は私を手招き、隣の給湯室に招いた。

「部活お疲れ様。まあ、要件は分かってるよね」
私は「はい」と手短に答える。
いつものように「すみませんでした」と言いかけると、「いいよ、謝らなくて。沢山謝ってきたでしょ、あなたは。」と笑いながら言う。肩透かしをくらった気分だった。
「顧問の先生から言われたよ、あなたが生意気だから注意しなさいってことをね。でも、ここで俺が怒ったところで何も解決しないでしょ。生徒指導は生徒を良い方向に導くためにあって、生徒を支配するためのものではないからね。」
「つまり、先生は何が言いたいのですか?」と私は真顔で答えると、
「まあそんなに怒んないでよ。」と笑う。

戸惑う私を察したように、
「ごめん、俺の力量不足であなたの悩みを察して対応することが出来なかったことを謝るべきだった。本当に申し訳ないね」と言った。
「そんな事ないです。全て私が悪いです」
「すぐそう言う。噛み付くくせにすぐ謝るんだから。」と相変わらずニヤニヤ笑いながら言う。

「え?」
不意をつかれた私は聞き返した。
「つまり、あなたは悪い事だと思ってやってるんだよね。意見する時も何も。まあ言いにくいことだと思うけど、あなたは自分のこと、嫌いでしょ。」

私は、ゆっくりと頷いた。

「いつもあなたの意見は鋭いな〜って感心してるんだよ、俺は。でもちょっと残念なのが自信なさそうなんだよ。はっきりと物事を言っているけれどどこか怯えているように見えて。何か辛いことがあるんだろうなと思って今回呼んだんだよ。言えとは言わないけど言いたくても言えないなら言ってごらん。」と言う。

喉の奥が熱くなるのを感じながら私は言う。

「実はクラスメイトに『汚ねえ、ブス』とか『存在する価値ない』とか言われていて、私は本当にダメな人間なのかなって思ってたんです。『うるさい!私は価値のある人間なんだよ』って言えたら良かったんですけど、できなくて。だから、私は素晴らしいと思ってもらいたくて、というか思いたくていろいろ無茶をしていたのかもしれません。本当にすみません。」

先生は笑顔を崩さず、

「まあそんなことだろうなと思っていたよ。あなたいわゆる優等生でしょ。テストの点数も基本的に良いし、授業中の発言も鋭い。だからこそ、目立ってしまう。中学という場所はそういう所 。出る杭は打たれる世界。でも、あなたは無理しなくても認めてもらえるよ、俺には分かる。あなたの素晴らしさが」と力をこめて先生は言っていた。

私は一気に溜めていたものが流れ出した気分だった。さっきまで泣くのを我慢していたのに、気づけば声を出して泣いていた。

通りかかった教師は怪訝そうに担任を見た。
「まさかあなたが泣かしたんではないでしょうね」と担任を見るかのように。

私は誤解を解くために、「すみません泣いてしまって。今まで感じていた辛いことが一気に吐き出された感じなんです。」とわざと大きな声で言った。
「謝らなくていい。好きなだけ泣きなさい」と先生は相変わらず笑いながら言う。

泣いていると、下校を促す校内放送が流れ、ビリー・ジョエルのjust the way you areが聞こえてきた。当時は曲名を知らなかったけれど、この曲が下校時の曲として流れていたのだ。

先生は窓の外を見ながら、
「俺、この曲好きなんだよな。この曲を下校時の曲に選んだ教師のセンスを褒めたい」と言っていた。

知ってるか?この曲は愛する人に「ありのままでいて欲しい」という曲なんだ。ありのまま、って聞こえは良い言葉だけど、怖いよな。
考えてみてよ。中学なんてありのままでいて好かれる人なんて滅多に居ない場所だよ。生徒を見てて思う。ほとんどの生徒が自分を作ってるって。
あなたは、ある意味強いよ。本当に。自分の道を貫いている。

中学では確かにありのままでいたら悪口を言う人はいるかもしれない。でも、高校、大学と進んだらどう?環境が変わったらあなたは受け入れられるよ。絶対に。だからどうか自信を持って。

もちろん、今回の件に対しては担任として対処するよ。希望があれば、だけど。どう?

ひとしきり話した担任は私に問いかける。

私は涙ながらに言った。
もういいです。別に指導もしなくていいです。ただ、今日は本当にありがとうございました。失いかけてた何かを取り戻せた気がします、と。

先生は笑顔で「ありのままのあなたを受け容れてくれる人は、絶対に現れるから」と告げ、私は職員室を去った。

サッカー部の部員が大人数で帰っていたので、それを避ける様に、回り道をして帰った。人気のない道を泣きながら歩いていた。

帰宅後、親にこの話をしたかどうかは覚えていない。

先生に話をした後、状況は何も変わらなかったが、なんとか中学を卒業した。
先生が言う通り、高校に進学したら私のことを認めてくれる仲間を得た。大学進学後も素晴らしい友達を得た。「私はすぐ不満を言うタイプなんだよね」と愚痴をこぼすと、「意見が持てる事は素晴らしい」と肯定してくれる。その優しい言葉に幾度救われたか。

なんとか就職活動を終え、今はとあるメーカーに、営業職として勤務している。正直、向いていない職業だとは思うものの、友人に支えてもらえながら日々を生きている。

今日は取引先の人に怒られて、落ち込みながらの帰宅となった。

先生の言葉を反芻する。あなたは本当に強いよ、という言葉。
私は本当に強いのか。先生の買い被りではないのか。
今だって、怒られて落ち込んで、自分が嫌になる。

ただ、先生のその優しさを思い出し、ちょっぴりと涙を流した。

太陽は、ほとんど沈んでいた。
そして電車は自宅の最寄り駅に着こうとしていた。

電車を降り、立ち止まる。
今度はストリーミングサービスでjust the way you are を聴く。

今の私は曲名を知っているから、いつでも、好きな時にこの曲を聴ける。



#やさしさにふれて

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