そこの自分を俯瞰で見てみると、ピントが合ってないことに気付いたり赤面するほど恥ずかしい自分がいるかもしれない

人は一旦ある一定の方へ思い込んでしまったらなかなか方向を変えられない。

庇いたくなる気持ちもそうだけど、批判する感情は尚更。

少しの批判的な感情が大きくなって、罰を与えたくなってくる心理。

間違いに気付き改心したとしても、覆水盆に返らずが如く、いくら誠意を持って謝っても許されない時代。寛容より、声の大きな正義が勝るのだから。

仲間を持つと更に火が点き、後には引けなくなってくる。

同調する意見でエンジンが掛かって、アドレナリンなのか何なのか何らかの物質が溢れ出てるとしか思えないほど、断罪へと突き進む情熱も溢れてくるようで。

それぞれに備わった人格や扇動される心理の恐ろしさに震える。


野の花を摘んでしまっただけで会社をクビに追い込むくらい出来そうな今の風潮。他者を罰することで快感を感じる、正義中毒という言葉もあるらしい。

溺れかけてる人を岸へ登って来られなくするように、断罪して、潰して、消して、見えなくなって、それで満足なんでしょうかね。


私は人を批判できるほど完璧な人間ではないので、そういうところから距離を取ってるだけだけど。


犯罪でないのなら、誰かを直接的に傷つけたり奪ったりする以外のことのほとんどが許される方向へ向いて欲しいと思っている。


一旦心が潰れたら戻るのは大変。


世界中が疲弊してる今、心に余裕が欲しいし優しさを求める、人の為にも自分の為にも寛容になり優しくありたいと思う。



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