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私たちが弓道に惹かれる理由 ①日本の弓はどこから来た?

なぜ私たちは“弓道”に惹かれるのか?

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現代の弓道が古代の戦陣の弓でないことはだれにも異論はない。
また江戸時代の武家のように「家名にかかわる一大事」というほどのこともなかろう。
(弓道教本 第一巻 34頁)

考えてみれば不思議な話だ。
戦のない現代において、私たちはなぜ“弓道”に惹かれるのだろうか。

弓は原始的な道具であり、武器であり、古来より世界中の民族において用いられていた。そんな弓がなぜ現代の日本において“弓道”として取り組まれ、そして令和の今も私たちを魅了してやまないのだろうか。

単なる道具ではない、弓道がもつその奥深さと魅力

それは、日本人と弓との長きにわたる関わりから生まれてきたものだった。

なぜ弓道は、なぜ日本の弓は奥深い魅力があるのか。その答えを探しに、今回は「弓道教本 第一巻」から、「そもそも日本の弓はどこからやってきたのか」を紹介させて頂く。

(※弓道教本は昭和28年の本なので現代のポリコレ的目線で見るとどうかなあ?とヒヤヒヤしたり、本当かな?と思うことも多いのだが、読書レビューということで原著を尊重しそのまま引用させて頂く)

弓はどこから日本へ?

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弓は原始的なものであるから、世界のいたるところにあった。おそらく原始民族の中で弓を持っていなかったものは稀であろう。
(弓道教本 第一巻 21頁)

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弓道教本によれば、日本の弓はなんとからやってきたものだった。

日本民族ばかりではなく、人類の古代文化には、いずれの民族にも、たいてい弓はつきものであった。東洋では、中国・インドはもちろん満州・蒙古なども持っていた。しかし、弓は分布状態からみて、大陸系と太平洋系にわかれ、蒙古、満州は中国系統の弓であったから、日本の弓はまったくこれ等の大陸系の弓とは、その系統が異なっている。(弓道教本 第一巻 22頁)
すべて、他の諸民族の大部分は、弓は器具であって、これを尊崇するというような観点は殆どもっていなかった。ところが古代文化人の中では、エジプト人やアラビア・バビロン人等にはいずれも短弓が用いられ、アッシリア人の弓が日本の弓と最も共通した観念によって南方文化圏説(弓文化)の根拠になっている。すなわちこの弓文化は、髑髏崇拝とか首狩りというような宗教的な感情と一致して、インドおよびインドネシアの広範な古代南方文化説を考察した学者もある。それほど古代の南方文化と、日本民族の弓に対する観念とは共通しているところが多かった。(弓道教本 第一巻26頁)

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アッシリアというのはいまのイラク北部におこった古代王国だ。

紀元前2,000年頃には古アッシリア王国の歴史が始まっており、最終的にメソポタミア・シリア・エジプトを含む世界帝国を築いた、世界初の帝国といわれる。

日本の弓が中国からでなく、まさかのアッシリア王国由来とは不思議な気がするが、実はアッシリアと日本の弓に対する関わり方には、次のような「弓を神聖視する」という共通点があった。

弓を神聖視する文化圏

アッシリア人は弓を「王の武器」と称し、また新しい領土を得たときは、これを「弓の獲物」といって、弓矢を尊崇することは、日本民族と一致した心的態度であった。古来、日本人が「弓矢の家」ということばを用いて高貴な性情を表したり、神聖な祭祀には「鳴弦」という、弓弦を打ち鳴らす儀式を行ったり、また、弓に装飾をしてこれを祭るというようなことまで考えるようになったが、古代アッシリア人が王や首将の持つ弓矢は、おのずから雑兵の持つものとは区別して、特に神聖なものと考えて来たことと共通した関連性をもっていたのである。(弓道教本 第一巻 27頁)

えらく壮大な話になってきた気もするが、古代アッシリア人と同じかどうかはともかく

“日本の弓が、中国系統の弓とは異なるルート 南方ルートで伝播した”
“単なる武器として以上に弓矢をリスペクトすることが南方ルートの特徴”

ということは考えられそうだ。
(前回紹介した礼記で「射ることは、仁の道を行うのと同じ」と、中国古典で思いっきり射技の精神性に触れていた気もするが‥‥)

・・とにかく!
この「弓を神聖視する」こと日本の巨大な弓の謎、そして日本における弓、そして弓道の奥深さへと繋がっていく。

おそらく南から来た日本の弓。後半は「なぜ日本の弓は巨大なのか」について読み解いていく。

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