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自己紹介 Part 1: 病気と身体障害について

Yu M.

なぜ、noteを始めたのか?

以前仕事を一緒にしていた人と先週飲む機会がありました。こんなご時世なので、お酒の席で会うのは、約1年ぶりの人。何気なく、普段使っている白杖について話している時に、白杖にもIoTの波はあるけど、何もない軽い白杖が個人的には一番良いという話をしました。
その時、視聴覚障害当事者として、テクノロジーは切っても切り離せないものであること、テクノロジーが障害者の生活に役立つことは、自分の中では当たり前でも、健常者には驚きであるというにふと気付かされました。テクノロジーを通じて人の生活を便利&豊かにする事を生業にしている自分自身が、実は、一番テクノロジーに助けられているということに気付かされました。
今、身体障害当事者として見えるDXの景色が他の人、そして、自分自身の在り方を変えられるのかもしれないという漠然とした考えからnoteを始めることにしました。

空って青いの?

物心ついたころからずっと持っていた疑問。「空って青いの?」
実は、記憶にある限り、そらはいつも白か灰色で、そらが青いと感じた事がありません。でも、緑色の信号を「青」というように、「空=青」であるとそう理解して育ちました。空が、本当に青いのだと知ったのは、10歳の時に、Windows 95の触れた時。壁紙のように青く空が見えているのが普通なんだと知った時、自分の目は何かおかしいのかもしれない、でも、それが何かというパンドラの箱はあけたくない、そんな気持ちになった事を漠然と覚えています。しかし、私は、そのパンドラの箱にしっかり蓋をして、その後も、気づかないように33歳まで生きていきました。

「網膜色素変性症」と「アッシャー症候群」とは?

私は、「網膜色素変性症」と「アッシャー症候群」という2つの難病を持っています。いずれも遺伝性で進行性の病気。親族にこの病気の患者がいない私自身は、遺伝子の突然変異が原因でこの病気を発症しました。
「網膜色素変性症」とは、その名の通り、目の眼底写真を撮ると、網膜の赤い色素が変異(黒ぽく)なる病気です。網膜を走る毛細血管がほとんどなく網膜の細胞が再生されないため、再生されない細胞が機能を失い視野がどんどん狭くなり、視力を失う病気です。全員ではないですが、失明に至る可能性のある病気です。
「アッシャー症候群」は、同じ遺伝子の異常が原因で、耳の内耳の機能が損なわれ、聴力を少しずつ失っていく病気です。

症状の現在地

私は、視聴覚で、身体障害2級の認定を受けています。と言っても、どれくらいの障害かは当事者以外は、全くわからないものかと思います。
視聴覚障害の2級とは、JRの割引が1種に該当します。2種だと障害者手帳保有者本人のみがJRの乗車券が50%割引されますが、1種の場合は、本人+介助者が50%引きになります。つまり、JRの認識では、介助者がいないと出歩く事に何だかの支障がある人です。
私の目は、視野と視力に問題があって、視野については、カフェで誰かと向かえ合わせに座った時に、前に座っている人の顔が70%位しか見えません。特に下半分の視野が大きくないので、歩いている時足元が見えなかったり、食事をしていて机の上においてあるコップに気づかず水をこぼしたりします。視力も0.1が見えるか見えないかで、眩しいところや暗いところだと、完全に視力を失います。なので、外を歩くときは白杖をついて歩いています。
私の耳は、補聴器をつけないと10cmくらいの距離で話されない限り、ほとんど何も聞こえません。補聴器をつけると、半分くらいは聞き取れますが、うるさいところなどでは絶望的に何を話されているか分からないレベルです。

パンドラの箱を開けなかった33年間

冒頭で書いた空が青く見えない以外にも、パンドラの箱をあける機会はいくつもありましたが、ずっとそれを見て見ぬふりをしてきました。
その理由の多くは、言われてみれば変だけどそれが普通だと思っていたし、そもそも自分が人と違うと認めたくなくて知らんぷりをしていました。

よく転んで、よく怪我をする
人生で何度大きな怪我をしたか自分でも覚えていません。多分、人生の中でギプスを巻いていた時間が1年以上。理由は単純で、視野が狭いので、足元が見えてなく、なおかつ、段差に気づきにくいので、小さな段差でよく転ぶから。ずっとおっちょこちょいな性格なんだと自己完結していました。

とにかく音痴
カラオケに行くのが嫌になるくらいの音痴です。これは単純に音痴だからと思っていましたが、後になってみれば内耳に問題があったので、正しい音程が分かってなかったのです。

テニスボールが絶望的に見えない
中学高校で6年間テニスをやっていました。球筋が分からないので、人より動き出しが遅くなる→脚力でカバーしながらテニスをやっていました。そんな中でも天敵は秋〜春。日没が早い時期は、部活の時間はすでに暗くなり始めてて、ボールが全く追えず。年の1/3くらいはこんな状態だったので、周りと比べて全然うまくなりませんでした。でも、脚力だけはついたので、足回りの筋肉は人一倍です 笑)

アメリカでの生活。眩しすぎて、最初のミッションはサングラス探し
高校卒業から5年間アメリカに留学していました。最初3ヶ月は英語学校に通い、その後大学へ。最初の3ヶ月で一番困ったのは、アメリカの強い日差しだとサングラスがないと完全ホワイトアウトする事。英語力が追いつかない状態で、友達を作り、友達にお願いしてショッピングモールにサングラスを買いに連れて行ってもらう事が最初の語学のチャレンジでした 笑)

あげればキリがないくらいパンドラの箱を開ける機会はありました。でも、一度、留学中に暗いところで目が見えにくいと病院に行った事を除けば、病院に通った事すらなく33歳まで過ごしてきました。

最後に

今から20年前、9.11が発生した頃に世の中を戻せば、まだスマートフォンなんて存在しない社会。写メールはもしかしたらあったかもしれないけど、世界的にはケータイは、まだまだガラケーというか、白黒画面の時代。
そんな当時に、視覚障害になりましたなんて言ったら、自分自身は絶望していたと思う。読み書きは点字で、点字に訳されたものしかきっと読むことが出来ず情報から孤立する自分しか思い浮かばない。でも、今の時代、視覚障害者だからと言って情報から孤立することはほぼない。スマホの画面が見えなくても読み上げてくれるし、Siriやアレクサといった音声認識も当たり前になってきたので、情報を得る手段が格段に増えている。
人が得る情報の87%は視覚かららしい。その87%の情報が取れなくても、それをカバーして生活できるようにしてくれるのが、テクノロジーの素晴らしさだと思う。そんなテクノロジーの素晴らしさ可能性を視聴覚障害者の目線で伝えていきたいです。

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