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35歳になって深く考えだしたこと
7月で35歳になった。数ある好きな数字6年目に突入した。この歳が過ぎれば次に好きな数字が来るのは5年後か。
30歳に入ってから、これからの自分のことをいろいろ考えてきた。
・会社を経営したい
・プログラミングを習得してフリーランスになりたい
・篠笛の奏者になって世界を周りたい
・愛媛県に移住したい
etc...
といったポジティブというかオフェンス思考が非常に強かった。まだどれも叶えてないし、これから叶えたいと思っているものもある。
でも、最近ちょっとだけ自分に変化が出てきた。
なんというか、オフェンシブさがなくなってきた。それでもハッキリしているのは、諦めるとか単純な現実思考になったとかそういうのではない。
明らかに今の自分にはキャパオーバーなことを切り捨てたと言った方が良いかもしれない。
そう考えたら、オフェンシブさがなくなってきたんじゃなくてどこにオフェンシブになるかを選ぶようになったのかな。
今までは現実をすっぽかして未来を見ていたけど、少しは成長して現実を見つつ未来を見るようなった。…と思う。
そして今、新たに現実に身を置いて未来を見据えながら過去を見るようになった。
全く自慢できることじゃないけど、ボクは人一倍過去に執着する人間だ。結婚してからは家族のためにも過去は捨てて未来を見ていこう!と思って過ごしてきた。
ところが、7月に35歳になってふと考えたことがあった。
それは、自分の『死』。
あ、別に病気で余命宣告されたとかそんなんじゃないよ。
なぜ自分の死を考えるようになったかというと、35歳になった数日後にWordPressでブログページを開設がきっかけ。
これからブログ更新してアフィリエイトやったりアドセンス付けたりしてマネタイズしようかと意気込んでいた。
SEO対策にキーワードを選定して、それに沿った読んでくれる人のために価値ある良い記事を書こうと。
すると、そう思うほどに手が動かなくなった。
何でGoogleとかアフィリエイトに気をつかって文章を書かないといけないんだろう?
今Googleで調べればどんなことでもキリがないくらい情報が溢れているのに、今から新たに書く必要があるのか?
今から書き始めて自分が納得する金額を生み出してくれるブログにするまで、どれだけの記事数と時間が必要なのか?
といったことを考えた。「誰かのために価値のあるもの」を考えることがダルいなと思った。
ハッキリ言って、価値ある有益な情報というのはもうすでにその辺にゴロゴロ転がっている。
そしてインフルエンサーと呼ばれる人が拡散している。
だから、精神が参ってしまわないうちに逃げることを選んだ。「もう誰かも分からない誰かに価値があるかどうかも分からない記事を書かない」と。
じゃあどうしようかと。WordPressもタダではない。サーバーとドメイン料金が発生する。
今解約してページを消しても1年後の契約満了日までは料金を払わないといけない。
???
もう誰のためにも書かないと決めた。
じゃあ、自分のために書けば良いんじゃないの?
これならほぼ毎日更新できる自信はある。だってキーワードもSEOも関係ない無価値で自分が読んで面白ければ良いから。
こう考えるようになって、書く相手が完璧に定まった。
明日死ぬ自分
まさにこれである。ボクが死ぬ年齢を80歳として、45年後に病室または自宅の布団で明日息を引き取る自分がただ寝たきりで死ぬのって味気ないし、何かを強く後悔する。
でも、その日に今まで積み重ねてきた日記を読み返すくらいできたなら満足して最期を迎えれると思っている。
人はどうしても人生の最後は持っているものを手放さないといけない。それがお金とか土地とかになるとロクなことがないと簡単に想像がつく。
残された妻・息子・娘に迷惑でしかない。
でも、これまで自分が歩いてきた道を書き記しているだけのものなら、さほど迷惑にならないと思っている。
確かに解約とか削除に手間がかかるが。それも財産絡みで周りと争うことを考えれば知れている。
っていうか、残すような財産もないし残す自信もない。
それに、WordPressの日記なら紙ではなくてかさばらずに済む。スマホで見れるし、処分にも困らない。
基本は「人生最後の前日の自分」に向けて書いてるけど、ボクがいなくなった後に妻・息子・娘に積み重ねた痕跡を読んでもらいたいとも思っている。
ある程度読んだ後は、ページを消すなり残すなり任せるけどね。もしくは書き続けてくれても良いよね。
と、いうことを考えるようになった。
この日記は、今は自分しか見れないようにしている。とりあえず、45年後の7月17日まではこのままでいこうかな。
そのくらいの時期になれば、自分の身体に納得しないといけない時がくるだろう。その時に、アカウントIDとパスワードを3人に渡そうと思っている。
あくまでも3人だけ。この中身は自身だけで留めておくようにとその時に言うつもり。
今から毎日書くのを45年続けたら16,425記事。
それに過去35年を遡って記事を付け足して目標は20,000記事を最終地点に定めている。
そこからさらに細分化して、まずは100記事を目指そう。次に500、さらに1,000、次に5,000といった感じで。
35年生きてきて、一番しっくりきて一番現実的で目標らしい目標ができたように感じている。
不思議と気持ちが落ち着いているというか、無理もしていなくてただひたすらに前を向いて歩いている感がある。
頑張る必要はない。一日あったことを書けば良いだけ。
そもそも書くことが好き。好きなことで頑張るという行為はしたくない。
人生において「目標」と「楽しみ」を一度に二つも見つけた自分は幸運中の幸運だろう。
35歳という年齢に感謝と「死」を深く考えた自分を少し褒めてあげたい。