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「死」を考える 2024/05/16

昨日、社会には「考えない」ことが溢れているというようなことを書いたが、社会において最も考えないようにされているものは「死」だよなあ、ということを思った。

今日は絶望的に仕事がはかどらず、ほんの少しの事務作業しかできなかった。電話をかけなきゃと思いながら、どうやっても業務が手につかず、ついに仕事に飽きてしまったんだなということに気づいてしまった。

「死」というのは、病気で死ぬとか戦争で命を落とすという動詞としての死ではなくて、もっと生の彼岸にある死のこと。喩えていえば森に還るの「森」にあたるもので、「森」はひとそれぞれ「土」だったり「海」だったりするのだろうけど、とにかく生の彼岸にあるソレのことだ。社会はその「森」のことを考えないように周到に張り巡らされてできている。

元も子もないことを言えば、人間は必ず森に還ってしまう。社会においてどんなに大金や名声を獲得しても、どんなに素晴らしい人間関係を構築できたとしても、死ぬときはすべて捨てて死んでいく。生の側は、「死を想う」的なレトリックで、死を生を輝かせるための鏡のように捉えて人生訓に繋げようとするけれども、結局死は死でしかない。社会は死を死自体として捉えさせないようにしている。

死は生の側から見れば、手前側の半分しか見れない。哲学や宗教はそれぞれ独自の死生観を構築するけれども、やはりどれも死そのものは捉えられない。けれども、今感じている生の価値も、結局はただ社会によって価値づけられたものに過ぎない。考えるならば、もっと元も子もないことを、ちゃんと考えたい。

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