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習作 #5

戦争体験が忘れられていく程度で価値が見失われていくのであれば、平和など大した価値もないだろう。今年の終戦記念日は日曜日で、私は焦げたトーストにバターを塗りながらテレビを見ていた。ニュースでは被爆2世の方のインタビューが流れていた。「2世」とは不思議な言葉で、一見血縁のアイデンティティを大切にしているように見えて、実は親より更に前世代からの継承を消去している。ティーバッグを引き上げて皿の端に置き、マグカップを傾けると薄かった。皿に置かれたバッグは「出涸らし」に変わり、浸み出した液体が皿を汚していた。

小さな花模様の入ったワンピースを着る。顔を洗い、髪を梳かし、簡単に化粧を塗った。食べ終わった皿をシンクに片付けて、腕に日焼け止めを塗る。カーペットに落ちていたリモコンでテレビを消す。薄い赤紫のカーテンを閉めて、アパートを出る。

私は何かの2世だろうか。私は親の子供だから、「《親》2世」ということになる。同様に私に子ができれば「《私》2世」だ。ルイ16世は16世というだけで立派だ。悪政を働き処刑されたけれど、遠い東洋のフリーターである私ですら名前を知っているのだからやはり偉い。駅までの道は緩やかな下り坂で足取りが軽い。ウキウキした気分で歩くが行き先は決まっていない。三時間後、書店に寄って家に戻る頃には雨だった。カーテンを閉めて、配信で地味な映画を見た。毛布に吸い寄せられて、起きたら真夜中だった。冷凍してあったカレーを食べた。

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