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アートは社会に必要か? 2024/06/05

コロナ禍に盛んに言われた、「アートは社会に必要か?」という問いについて考えていた。「必要か?」という問いかけは「必要だ」という答えを当然想定している。実際に困窮したアーティストがたくさん居たのは事実だったし、補助金にも一応意味はあった。

けれど、「アートは社会に必要か?」という問い自体を本当に、前提なく考えた人は結局誰もいなかったなぁ、と思い出される。実際は「アーティストに補助金を給付すべきか?」というだけだったのだろうが、せっかくの「アートは社会に必要か?」という問いは、結局誰も考えないまま霧散してしまった。

「〇〇にとって××は必要か?」という問いの居心地の悪さは、○○というものがスタティックに存在し続けるものとして仮定されているところにある。ようは定住的な発想で、「(〇〇がいまの形のままあり続けるために、)××は必要か?」ということなのだ。

その××に「アート」という遊牧なものが代入される収まりの悪さが、違和感の原因なのだろう。誰もピンと来ていないまま、アート側の既得権を守る主張に、社会全体が何となく乗っただけだったのだ。むしろアートというのは野良猫のようなもので、別に社会を社会たらしめるような働きは別にしないのではないか。

と、アートは野良猫のようだと書いてみて思ったのは、アートのほうが社会よりよっぽどしぶとそうだということだった。

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