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「おはよう」が言えなくて

15分間の当番のために、前日から準備をして30分早く起きた。

交差点の横断歩道で、「横断中」の旗を持って小学生の登校を見守る交通立哨。わたしが小学生だった頃は、いわゆる「緑のおばさん」が朝と夕方、通学路に立って交通安全の指導をしてくれていた。

昔に比べて交通指導員のなり手が少ないのだそう。わたしが住んでいる地域は子どもが多いこともあって、とくに交通量の多い登校時には人手が足りない。加えて、昔から交通安全指導に力を入れている自治体でもあるので、有志の保護者たちが持ち回りで立哨するのだ。

当番が回ってくるのは学期ごとに1〜2回。そんなに多くはないけれど、毎回この15分が憂鬱で仕方ない。

わたしの声は通りにくいので、あいさつをしても気づかれないことが多い。思っているより大きめに声を出さなきゃいけないのが疲れる。親としても社会人としてもどうなんだって自分でも思ってる。

登校中に旗を持って立つのだから、本当なら大きな声であいさつをして見送らなきゃいけないことわかっている。それなのに、子ども相手に人見知りが発動して、毎回大きな声は出せないでいる。

今朝は目が合ったら「おはようございます」と声をかけることにしたら、ちょっとだけ気が楽だった。けれども、通り過ぎる子どもたちはほとんど目が合わない。存在にも気づかれていないような雰囲気で素通りする子がほとんど。

また昔と比べてしまうけど、大人が立っていたらさすがにあいさつしたけどなあ。地域性なのか、時代の流れなのか、ただ嫌われているだけなのか。

存在を認められないと居心地が悪くなるのは、まだまだ周りを気にしすぎている証拠だと思った。思うまま自由に生きているつもりだけど、たいしたことないなあ、わたし。

「好き」で満たす暮らしを目指しています。