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始皇帝の組織の考え方

キングダムもそうなんだが、

私は始皇帝が非常に好きでよく中国史を勉強している。


そこで自分の会社に置き換えた時、どう反映できるかといつも考えている。


当時は儒学が流行っていて、人に特化した考えが生活習慣まで根付いていた。

年功序列や「仁」というものが基本的な考えで人は愛が大事なんだという。


ただ、始皇帝は法家だった。

人を見てはいるが、それ以上に人の運営に基づいた基本的な法律、ルールを策定し、そこを厳守する事で乱世を収めようとした。

なので、このルールを破ることは天に背くことと同義で焚書坑儒でもあるように非常に厳しく罰せられた。

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そこまでする必要はないしそんな時代ではないと思っているが、この考えは自分にとって非常に衝撃的だった。


今まで人を変えよう、変えようとして、沢山の本を読み、色々な方法で人に教えてきた。


でも、結局分かったことは人は変わらないということだ。

人を変えるためには自分を変えなければいけなく、人が本質的に変わる為には自分にベクトルを向けて行動を変えていく必要があるのだ。

その行動の変え方のひとつとして人を見るのではなく(人は勿論重要な要素としてあるのだが)人を構成する環境を変える。つまり社内の仕組みを変える必要があるのだ。


こんな話を聞いたことがある。

日本は給与に対しての幸福度が他国に比べ非常に低い。これは高所得層と呼ばれる人も含め、だ。

その代わり、日本から見れば明らかに低所得層が多い国では逆に1ヶ月暮らせるかどうかのお金しかなくてもその幸福指数は非常に高い


つまりこうゆうことなのだ。

今の不満や、今の自分を構成している何かは今の環境が大きく左右されている。

現にマクドナルドでは他企業よりアルバイトの時給が低いのに稼働満足度は高い。


就職に便利だ、などもあるだろうがそれがマクドナルドが示した環境づくりなのだ。


話を戻すと、だから私は法家を指示するし、自分の会社もルールを作り、ルールに基づいて運営したいと思う。

勿論、人を重んじる事は忘れないし、縛り付けるような環境にはしたくない。

だが、ある程度のしばりがないと、ある程度のルールがあり、それを守りながら実行しないと無秩序になってしまう。自由の意味をはき違えるべからずなのだ。

サッカーや野球もルールがあるから面白いでしょう。



とりあえず最近社員と飲みながら話してる時、ふと感じたので書いてみました。

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