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応援を形にする、パトロンという文化を作ろう

ひきこもり生活とともに、外食をしなくなって1ヶ月以上が経ちます。毎日家で3食しっかり食べるというのはやってみるとしばらくは新鮮なことでした。
特に平日含めて自炊が増えて、家でしっかりごはんを作って食べるということがいかに文化的生活なのか、ということを実感してました。つまり、平日は会社帰りが遅くなって駅ビルやコンビニの惣菜やお弁当を食べてることが多かったので、寝るまでの2-3時間以内に食べるとか揚げ物が多くなるとか、体にはあまりよくないことばかり。それが、割と決まった時間にごはんを食べられる、(家で揚げ物は大変なので)脂こってりのメニューも減る、というわけです。

とはいえ、家で作るごはんもまたワンパターンとまではならないにしても、レパートリーは限られますから、そのうちに外食が懐かしくなります。そんなときに思い出すのが、お気に入りの店はどうなっているのだろうか、ということ。そういう店は会社近くにもあるし地元にもあります。
在宅勤務が解除されない状況では、会社近くの店についてはどうしようもありませんが、地元の店についてはテイクアウトやっているなら応援ついでに食べたい、というのは正直な気持ちです。だいたいお気に入りの店って、個人の夫婦で始めたとか、昔から家族と少人数のバイトで回してるような店なんですよね。だからこそ、こういう状況では心配だし、応援したくなるものです。

そんなわけで、週末を中心に、お気に入りの店のテイクアウトを買って食べたりするようになりました。我が家は3人なのでランチのテイクアウトなんて、せいぜい3000〜4000円くらいのもので大した応援にはならないのかもしれないですが、それでも何にもしないよりはマシと思います。幸い会社勤めは、急に給料がなくなるとかは、会社が潰れるとかでなければないわけで、自営業、特に個人事業主のかたからすればこの状況下では恵まれた存在。光熱費やトイレットペーパーなどの生活必需品の費用がいつもりよりたくさんかかるといっても、大したことではありません。なので、使うお金は食材などの素材に対してだけでなく、付加価値を提供してくれる方がいればそこ経由で払えるといいなとも思うようになりました。
日頃、仕事ではビジネスモデルについて検討や議論していますけど、消費者の目線から、あえて付加価値を提供してくれる形態をできるだけ選択したい、などと考えたのは初めてです。これは意識、価値観の変化なわけで、結果として同じサービスの提供を受けるとしても、ただ欲望のままに「今欲しいものを手に入れる」という意識とは全く違った世界です。

すでに多くの自治体で、飲食店を応援するための前払いチケットのような仕掛けを提供するところが出てきています。単に商品をモノやサービスの価値に対して購入するのではなく、「応援」という価値観を通じて、自分にとっての付加価値をして購入するという新しい社会モデルを作ることの芽が出てきたように思います。
ただ、飲食店に対する前払いチケットは一時的なもので、かつ一種の前払いでしかないので、「応援」についても気持ちは届くものの、一過性でもあり中長期でみたときに飲食店にとって総収入増えるかという点では必ずしもそうはならないかもしれません。

あすチケ柏!プロジェクト
鎌倉応援チケット
藤沢市共通前売りお食事券公式サイト

ところで、今もっとも厳しい状態に置かれているのは、飲食業や観光地の宿泊業、交通事業者とともに、表現者の皆さんでしょう。(表現者というのは田中康夫氏や勝谷誠彦氏が使われていたと思います。) 音楽業界などの一部のトップアーティストや作詞作曲家、ベストセラー作家を除けば、大規模集会つまりライブや公演をいつ再開できるかわからない状況で、収入を断たれています。特に古典芸能、オーケストラ、演劇といった文化・芸術の分野は、ライブ・公演なしでは成立しない世界です。ドイツでは、早々に「文化・芸術」を守ることが大事だと政治家が発言されて支援策が出てましたが、日本では文科省や文化庁ですら一言もそういう発言を聞くことができません。
こういう状況に置かれた個人事業者でもある人々をどう応援するか、もちろん飲食店同様に、チケットの前売りという形もあるでしょう。でも、もう少し踏み込んで考えてみたいと思います。「応援したい」という気持ちは、その表現者が廃業したら自分の生活の潤いが減るなど自分が困るという気持ちとともに「支えたい」という気持ちの現れだと思います。ならば、その表現者を「継続して支える」という仕組みがあってもいいのではないでしょうか。

表現者が活動し続けることを支える、そこに誇りを感じられる価値、とでもいうのでしょうか。実質的なメリットはあってもなくてもいいのだと思います。無論その表現者の活動が順調なときには、支援する人のためだけのリターンがあってもいいですが、大事なのは困難なときも支えて、またはまだ一人前ではない将来生のある人を支える、といった一種のパトロンです。応援してるときって、その人が「いま元気だ」ということがわかるだけで嬉しいですよね。だから最低限のリターンは生存情報ということになるかもしれません。
かつてのヨーロッパなどでは、芸術家を王室や貴族が芸術家を抱えることで、文化の発展に寄与してきました。江戸時代の藩でもそういうところはあったようです。また現代では一部の企業が寄付や財団の活動という形で文化活動をを支えています。

無論長者番付に載るような方々がパトロンになるのは理想的なのかもしれませんが、安定した収入を得られている会社員や事業者、または地域などが自分の好みの(自分たちにとって必要な)表現者を、ひとりひとりは小さな金額(可能な範囲)で支援するみたいな形があってもいいと思います。
ファンクラブのような形態、オンラインコミュニティのような形態、などその表現者に合わせた形態、モデルはいくつか考えられると思います。大事なのは「応援し続ける」ことを、ひとりひとりは少額で、でもN人集めることで、その表現者がかつどうし続けるための基盤を作ることです。

ふだんライブができているときには思いつかなかったようなモデルかもしれませんが、文化・芸術を支えるために、自分の好きな世界をリードしてくれる表現者を支えるために、こんな状況だからこそ、新しいパトロンという応援の社会モデルを作り上げることができたらいいなと思います。
そういう価値観が広まれば、パトロンになっていることが、社会におけるステータスになるかもしれません。(パトロンという言葉の響きはちょっと別のことを想像したりするので、いい言葉があれば置き換えたほうがいいのかもしれませんね)


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