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ブドウ賛歌

僕が今住んでいるまちでは、ブドウが旬を迎えています。
山のふもとの小規模な傾斜地がブドウの生産に適しているためで、この時期になると、道路沿いに点々とブドウの直売所がオープンしています。

ブドウって素敵な果物です。

何が素敵なのかというと、その構造(つくり)です。
ブドウは一房にたくさん実がついていて、子どもが自分の手で実をちぎって食べられるつくりになっています。

それはつまり、子どもたちにブドウを一房を渡しておけば、子どもたちどうしでその配分が可能、ということを意味します。

分配のプロセスではいろいろなドラマが生まれます。
-だれから食べる?どうやって順番決める?
-何個ずつ食べる?
-〇〇ちゃんばっかり食べてずるい!もうなしよ!
-最後の1個どうする?
(言葉を交わさない無言の競争というケースもあります。)

こういった子ども同士が関わり合い、コミュニケーションを学ぶ場を、ブドウ1つ用意するだけで、容易に構築できるわけです。

スイカやリンゴといった、食べるために包丁で切り分ける必要がある果物では、こうはいきません。(大人の関与なくそれらの果物を分配するという課題は、ブドウの次のステップとして位置付けられそうです)

ブドウをどう分けるか、そうした日常の問題から学ぶことが平和な世界につながっていくと思っています。
だから今日も、ブドウを食卓へ運ぶのです。

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※ブドウと同じく、愛媛県内で生産が盛んなミカンも、同様の機能が期待できます。

※ブドウの誤嚥(ごえん)事故も報告されています。与えてほったらかしではなく、必ずそばで見守りましょう。

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