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過去にとらわれる。

こんばんは、如人です。

相変わらず、のんびりまったりがデフォで、頑張るときは超ド短期集中みたいな生活をしております。

多分そういう時って1日で5日分くらいのパフォーマンスをしているんだと思います。
なので2日くらい動けなくても特に気にしません←

自分の過去をほじってみた。

とはいえ、極一部ですけどね。

突然何を言い出すんだこいつ…と思った方、正解
私もそう思います。


実はですね、有難いことに、
最近DMで色々お話して下さるフォロワーさんがいらっしゃいまして。
その方への返信書いてたら、中々己の過去ほじってました。

話しの内容的には、「過去の失敗や後悔に囚われて、頭にこびりついてしまってて中々抜け出せないよねー、思考も行動も」的なもので。

こんな(クソ長い)返信くるとは思って無かったでしょうし、必要のない内容だったかなーとも思っていますが。


今回はその返信内容について、自分のために色んな角度(?)から解説(?)を入れます。
(ナイーブな部分でもあるので、もちろんお相手のことは一切書きません)

少々長くなりますが、宜しければお付き合い下さいませm(*_ _)m


返信原文、とりあえず載せてみます。


流されても自分で選んでも失敗しすぎて、めっちゃ悩んで病みまくって、一番やばい時期が1、2年間くらいあったんですよ。
決断力も鈍くなってるし、金もないし、1回やってみて苦手で手に負えないってわかってる仕事選んじゃったり。
仕事以外の大きなストレスの1つが母親との関係だったんです。カラオケスナック以外中々仕事が続かなかったり休みがちだったりで(バレたくないのでほっつき歩いたら目撃されたりしてた)、しっかりしろと、死ぬ気で頑張れと。
身体の不調も酷くなってきて、ある日早退して1人カラオケ行って、泣きたくないのに泣いてしまって歌えなくて。限界だなと。その時もう、精神科に通っていなかったし頼りたくもなかった。
そして現実逃避しました。ほとんどの人に連絡せず全財産と少しの服と薬もって地元から出ました。
遠距離の(元)彼の所へ行ったんですが、お互い病みすぎてて、ダメだこりゃというか、こいつといるくらいなら母の戯言聞いてた方がマシ!と思って、1週間後さよならして地元に戻りました。彼と一緒に過ごすとストレスで熱が出ることもわかってたのに何やってんだかって話ですが。
家族には「一からやり直すか死のうと思って家を出たが、何も変わらないと分かったし、上記の理由もあって戻ってきた。
今後は絶対に、誰に強要されようとも、自分の意思でない限り頑張らないし無理しない。無理のない程度に色々やる」
と話しました。
母とは、「生まれてきたくなかった」「産んじゃってごめんね」という会話もしました。
過去は過去、受け止める。今は今、無理せず大事にしよう。って感じです。
後悔した過去って、経験としてこれからに生かすか、笑話のネタくらいにしか使えませんからね。


以上が返信文です。


解説というかなんというか。

ツッコミどころ多々あるかと思います。
突っ込む所、思ってたんとちゃう!ってなるかもしれませんが、私なりにやってみます。


流されても自分で選んでも失敗しすぎて、めっちゃ悩んで病みまくって、一番やばい時期が1、2年間くらいあったんですよ。
決断力も鈍くなってるし、金もないし、1回やってみて苦手で手に負えないってわかってる仕事選んじゃったり。

正直今もやばい(いろんな意味で)
だけど、自己幸福感?は断然今のが高いですし、気に病む事も格段に減りました。
金はまだない。
↓で登場する元彼さんと同棲したくて、頑張って働いてお金貯めなきゃ!と思って焦っていたり、元彼さんとの関係でも中々メンタルやられていました。
ちなみに苦手な仕事はデスクワーク、特にコールセンターです。多分好きに動けないからです(笑)

仕事以外の大きなストレスの1つが母親との関係だったんです。カラオケスナック以外中々仕事が続かなかったり休みがちだったりで(バレたくないのでほっつき歩いたら目撃されたりしてた)、しっかりしろと、死ぬ気で頑張れと。

今となっては母からたくさんのことを学んだと思っています。
私がとても傷ついた発言の数々、責め立てるような言動。
40%は愛情や心配や期待。
40%は我が娘の、世間体的に宜しくない行動または母には理解できない・許せない言動への嫌悪感。
残り20%は母自身の自責の念(しっかりしてないのは自分のせいかもしれないとか)なんじゃないかなー。
と、分析出来る程度にはなりましたが、ここ15年くらい振り返って思うのは
私が求めていたのはただ一つ、「間違ってても理解できなくても、とりあえず受け止めてほしい」ってことだったと思います。

身体の不調も酷くなってきて、ある日早退して1人カラオケ行って、泣きたくないのに泣いてしまって歌えなくて。限界だなと。その時もう、精神科に通っていなかったし頼りたくもなかった。

眠剤はともかく、そこそこ量の抗うつ剤と安定剤を精神科で処方されて飲みながら、色んな仕事をしました。
※職歴などはこちら→ とりあえず自己紹介
通院していて日々思うことは「日中はクソ眠い」「起きてるのしんどい」「何飲んでも情緒不安定」
薬を飲んだところで根本的な治療にならないとずっと思っていましたが、この頃はその思いがすごく強くなって、通院をやめて残った眠剤と安定剤だけ服用していました。

限界だなと思ったときは、通勤時給制のWebライターでした。
その前は派遣のコールセンター2回目で。そう、一番苦手だと感じた仕事です。今考えるとマジでアホだなーと思います。それくらい判断力も落ちていたし、焦っていた
その頃から身体の症状が増えてきました。身体の強張り、震え、眩暈、過活動膀胱、ふと気づくと呼吸が極端に浅くなっている、微熱が何週間も続く等。
退職して少し和らぎましたが、とりあえずカラオケスナック続けながら仕事探して、たまたま受かったWebライターのアルバイト開始。症状が再び出てきます。おまけに頭も働かないし、興味ないこと調べて記事書けるような状態じゃない(笑)
さすがにやべーと思い、神経内科を受診。
「俺見ても震えない?大丈夫?」先生の初めての言葉。強面なので気遣ってくれたのは分かったが、あなたの顔まで情報受信する余裕はない。あと、強面は嫌いじゃない。
何種類か薬を出してくれたけど、初診で「これ飲んでだめならウチで見れる範囲じゃないから、信用出来る精神科紹介するよ」と言われた。2回くらいしか通いませんでした。

私、歌うの好きなんですよ。だからストレス発散でよくヒトカラ行ってて。仕事でも歌うのに(笑)
上手いわけじゃないけど、もはや声を出すと泣いてしまって歌えないって、世も末みたいな気分で。そこでもう限界だなと思いました。

そして現実逃避しました。ほとんどの人に連絡せず全財産と少しの服と薬もって地元から出ました。

一旦家帰って、キャリーケースに荷物詰めてすぐ家出て。
新幹線に乗ってから職場に退職の連絡しました。スナックには連絡入れたか覚えてないけど、メールくらいしたのかな。
親には新幹線の中で「もう色々限界なんで○○県の彼のところに行きます探さないでください」みたいなLINEして。
新幹線乗る前に連絡したのは元彼と、まじで心配しそうなスナックのお客さん兼お友達みたいな人のみ。

遠距離の(元)彼の所へ行ったんですが、お互い病みすぎてて、ダメだこりゃというか、こいつといるくらいなら母の戯言聞いてた方がマシ!と思って、1週間後さよならして地元に戻りました。彼と一緒に過ごすとストレスで熱が出ることもわかってたのに何やってんだかって話ですが。


もう熱ある状態で数週間働いてたから、元彼さんの所についてから発熱したわけじゃないけど、ずっと37.2~38.5℃くらいで。
病んで逃げ込んだけど、むこうも結構病んでて。夜中に発狂して叫びながら自害しようとする彼を何回か止めた気がします。ナイフ隠したり。それが正解だったか分かりませんけどね。
多分、そんな彼を見て、昔の自分みたいだなぁって思って冷静になったんだと思います。
会話が成り立たないので、ずっと一緒にいるのにさよならに辿り着くまで3日かかりましたが。
駅まで送ってもらって、「部屋のごみ捨てたら少し気分晴れると思うよ」と言い残して地元に帰りました。
そのあと暫くして「死ぬ準備色々する」とか連絡来てて、一ヶ月くらい連絡が途絶えたので心配しましたが、お姉さんから「ちょっといざこざあって嵌められて中に入ってる」と連絡あって。今は割と元気に過ごしているみたいです。たまに連絡きます。めでたしめでたし。


家族には「一からやり直すか死のうと思って家を出たが、何も変わらないと分かったし、上記の理由もあって戻ってきた。
今後は絶対に、誰に強要されようとも、自分の意思でない限り頑張らないし無理しない。無理のない程度に色々やる」
と話しました。

まず、「帰ってくると思わなかった、このまま向こうで暮らすのかと思ってたからびっくりした」と親に言われました。そうですよね、そのつもりで行ったし、私もびっくりです。
まぁ帰宅させてもらえて良かったと思います

前から分かってたんです、私たち親子の会話は、上辺の会話だって。
中々言いたいことは言えませんし、元々何か言われて反論しようと思っても先に涙が出て、頭回らなくなって話せなくなっていましたしね。
今までは、聞くのを耐える方を選んでたんだと思います。だから溜まって積もっていって溢れるんです。泣くのは少しストレス発散になるみたいなので、泣くなと言われても泣き続けました。
こっちだって泣きたくて泣いてるわけじゃないですしね。勝手に体液が出てくるので自分で防ぎようがありませんよね。

戻ってきたところで、これからもこのままなら何も変わらないのは分かっていました。なので、初めて話したんです。
偽りのない自分の素直な気持ちをね。

母とは、「生まれてきたくなかった」「産んじゃってごめんね」という会話もしました。

いや、失礼ですよね、多分(笑)
でもその時はそう思ったんです。その時思った事を話すことに、意味がある時期だったんだと思います。
お互い泣きながら話しましたが、割と冷静でした(母はどうだったか知りませんが)。

それからは、少しずつですが、昔だったら言えなかったような自分の意見を言ったり、ちょっとイラっとするようなこと言われても抑えず言い返したりするようになりました。

一番の変化は、家に居づらいと思うことが減った事ですね。
いくら欠勤しても、心も休まらない所に居たりほっつき歩いてても休まりませんからね。
今仕事が続いているからか、母の刺々しい物言いも少なくなりました。仕事休んだら「調子悪いから今日は休ませてもらった」と、自分の口で言えるようになりました。
おかげで引きこもり気味です(笑)

過去は過去、受け止める。今は今、無理せず大事にしよう。って感じです。
後悔した過去って、経験としてこれからに生かすか、笑話のネタくらいにしか使えませんからね。

まあ、そーゆーことっす。(どーゆーことだ)

生活する上でかなり気は楽になりました。
実際の生活自体は、そこまで大きく変わってないかもしれませんが(笑)
でも間違いなく、後悔したような過去も経験として活きています。
笑い話にも使えます。


無駄に長くなった。

ごめんなさい。そして、最後まで読んでくれてありがとうございます!
私はなんか思い返して懐かしくなりました。

結局今も調子悪くて休んじゃう件を余談として書いたのですが、そっちも余談にしては長いので、次の記事に書きます(笑)

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