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短い髪でいると自由を許される気がする

先日、伸ばしていた髪を短く切った。

まだ母について回っていた年の頃から通っている美容院で、ただ、髪を短くしたいんです。とボスに伝えた。

ボスというのは美容院のオーナーのことで、私はこの人のことを20年近く知っているのに、本名を知らない。
でも、周りはみんな彼をボスと呼ぶし、別に本名は知らないままでよいと思う。

細かな要望はなにも伝えなかったが、ボスは私がエラの張った輪郭を気にしていることを知っているので、輪郭をカバーしたショートヘアに仕上げてくれた。
とても気に入ったと同時に、自分を取り戻した気がした。

シャンプー台へ移動する時に、我慢しつつ伸ばしていた髪が床に散乱しているのを見て、憑物が落ちたようで気が楽になった。

短い髪は、自由でいることを許してくれる気がする。

私は元々ショートヘアが好きだ。
中学生の時に初めて短くして以来、基本的にはショートヘアで生きている。

髪が長い時期もあるのだが、大抵うっとおしくなって肩につくくらいの長さにもなれば切ってしまう。

短い髪は良い。

私がショートヘアを愛している理由は単純だ。
「楽だから」である。

それは、日ごろの髪の手入れであったり、朝のセットであったり、気持ちの問題であったりする。

まず、暑い夏にドライヤーの熱風を何十分と浴びずとも、ヘアオイルをつけて携帯でもいじっていれば知らないうちに髪は乾いている。

朝のセットも、ワックスを手に取ってグシャグシャ頭を撫で回せば完了する。ちょっとおしゃれしたい日はアイロンを使って毛先を遊ばせれば良い。

楽。なんて楽なんだろう。

でもそれよりも楽になるのは気持ちの面だ。

今回珍しく伸ばしていた髪を切って、改めてそう思った。

そもそもなぜこんなにもショートヘアを愛しているのに髪を伸ばしていたかというと、なんてことはない、好きな男性がいたからだ。

髪の長い“女性らしい女性”(あまり好きではない表現ではあるが)が好きな彼に合わせて、髪を長く伸ばそうとしていた。
大学時代何度もブリーチをしていた為に、毛先を切りつつ伸ばしていたので、1年ちょっとかけても肩くらいまでしか伸びなかったが、私にしてはかなり頑張った方だった。

しかし髪の毛の頑張りとは裏腹に、ヘアアレンジで遊べるようになったあたりから彼とは距離が生まれ、連絡は途絶えてしまった。

気持ちはあったが、このまま自然消滅するのが一番良い気がする…そう考えた途端、彼を想って伸ばしていた髪の毛がものすごく鬱陶しいものに思えた。

"髪の毛を切った女性に聞くセリフ"と聞いて、まず連想されるのは「失恋した?」である。

このデリカシーの欠片もない質問も最近はあまり聞かないし、実際失恋をきっかけとして髪を切る女性がどれくらいいるのかわからないが、今回私は失恋した女性が髪を切る気持ちというものがわかった。

自分を取り戻すため。
思い出と決別するため。
新しい自分になるため。
気持ちの区切りをつけるため。
自由になるため。

失恋と一言でいっても、様々な事情や理由で複雑な思いを抱えながら女は髪を切るのだと思う。

私はというと、自分を取り戻したくて髪を切った。

突然鬱陶しくなった髪の毛は、私が私らしくあることを邪魔しているように思えて仕方なく、次の休みにはあっけなくボスに切り落とされてしまった。

美容院から出ると、私は自由になった気がした。

私はこれから彼の元まで行ってハッキリと別れを告げても良いし、新しく好きな人を見つけても良い、もちろんなにもしなくて良いし、どこか遠くの地へ行って仕事もめんどくさい人間関係も全部0からやり直しても良い。

そんな気持ちになったのだ。

もちろんそのどれをもやる程の度胸はない。
新しい恋愛をする気もない。

そもそも、頼まれてもいないのに勝手に伸ばしていた髪を勝手に切っただけのことと言われてしまえば間違いない。

しかし、「誰かの為に伸ばしていた髪を自分の為に切った」という自分の中だけでの気持ちの変化は、とてつもなく大きな開放感を与えてくれた。

好きに生きようよ、と言ってくれるような気がした。
気持ちがふっと軽くなったのだ。


私はまだ臆病で、自由が好きと言いながら窮屈な世界に身を置いている。
誰に認められずとも私は好きに生きる…本当の自由を手にする強さを身につけるまで、私はこのショートヘアに、「辛い世界で我慢してるけどさ、もっと好きに生きてもいいんだよ」と言われながら生きていく。

短い髪は、辛い現実を我慢するしかない臆病な私に、好きに生きていい自由を選ぶ将来の可能性を認めてくれるのだ。