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推しクラブの輪を広げるための「土台」作りについて

これは「2022 ファジアーノ岡山 Advent Calendar 2022」 の8日目の記事です。

2022年、過去最高3位に付け、いろいろと話題を起こしたファジアーノ岡山。これを取り巻いた渦、うねりを、これからも大きく、恒常的なものとしていくために、ぼくたちはなにができるだろうか?

日々過ごしながらぼんやりと考えていたことをまとめた記事になります。もしかすると、同じようなことは色んなところで書かれているかもしれません。が、ここでは私自身の考えとして、私どもが経験した事例なども交えて書いてみようと思いました。

いろいろ書き出した結果、メインテーマは「土台」となりました。長くなりますが、お読みいただけますと幸いです。

さいしょに(我が家の事例を踏まえて)

まず、弊家庭におけるケースを少し書き出してみます。

ファジの試合を欠かさず観る、その土台

我が実家には両親と祖母が住まうが、3人ともJ2リーグ開催時は、いつも欠かさずファジの試合をDAZN観戦している。ホームもアウェーもファジアーノ。勝っても負けてもファジアーノ。椎名さんの教えを知らず知らずに実践している風だ。

DAZNがJリーグの放映権を取得した2017年、我が家にDAZN視聴環境を整えた。最初はfire TVだったので、接続や視聴開始までの手続きなどがご年配には難解であったが、Android TVを1台導入したところ、テレビのリモコンで手軽にDAZNにアクセスできるようになり、難易度が一気に下がった。これも手伝ってか、今や完全に、実家にファジアーノ岡山が「定着」している。

なぜここまですんなりと受け入れられたのか。考える中で最初に思い浮かんだのは、ファジアーノを応援するに不足のない土台が既にあったから、という点。

土台について(我が家の場合)

第一に、我が家の場合はスポーツ自体への興味・関心がはじめから非常に高かった。サッカー、野球、大相撲、ボクシング、柔道、テニス、バレーボール、バスケ、ラグビー、ゴルフ、総合格闘技にいたるまで…なんかテレビで中継があれば、暇さえあればなんでも観てる。この中にファジアーノ岡山というチャンネルが追加されただけ。じつに拡張しやすい状況であったわけである。

それと「地元・岡山への関心の高さ」。最大の情報収集媒体たるテレビから、夕食時にローカルニュースが流れる。朝は山陽新聞に目を通す。岡山のことについて、さまざまな情報を耳目にしやすい環境にある。
その中にはエリアのスポーツに関するニュースも含まれており、息子・孫がみているファジアーノの話題も出てくる。それが、「お前の応援しとるファジアーノはどうなんじゃ?」という興味・関心にもつながっていったと思われる。

構成員たちの役割分担

これらの土台があった上で、我が家の構成員(ここでは、祖母・父・母・筆者)の役割分担は以下のようになっている。

◎父、筆者→スポーツのことをよく知っている、関心がある(巻き込む側)
◎母、祖母→スポーツのことはよく分からんが関心がある(巻き込まれてる側)

我が家の場合

巻き込む側の2人と、積極的に巻き込まれにいく側の2人がおり、結果として一家揃って全力応援という体制が整っていったと思われる。ちなみに全然スポーツ一家ではない。

もっとも、個々人の指向は細かくいえば異なる。
◎父親…「強き者へのあこがれ」が強い。
◎筆者…負けてるチームや失敗した選手に肩入れしたくなる傾向を持っている。
◎母親…「私もまぜろ」と言って巻き込まれていくタイプ。背の高くない選手推し
◎おばあちゃん(最近87歳になった)…メインで見るのはフォワードとゴールキーパー。覚えた選手は赤嶺、ヨンジェ、上門、デューク。金山、一森、梅田、堀田。

土台の上に相乗り、各自の楽しみ方に分派

目線はバラッバラであるが、「スポーツ観戦が好き」「岡山が好き」という土台があるから、相乗りしているともいえるし、それぞれの楽しみ方に分派していっているとも言えそうである。

みんなに土台があれば良いが…

我が家では、ファジアーノを生活の一部とするにまったく違和感のない土台がすでにあって、それに乗っかるだけでよいと言う状態だった。

こういう環境があれば、どんな人であってもそれに乗っかるor乗っかってもらうことによって、推しクラブの輪を広げていくのは容易いのではないか、と考える。

しかし、当然ではあるが、皆が皆、このような状態であるわけはない。土台を作るところから始めなければいけないケースが多々ある。土台を作るのって、かなりハードル高いんじゃね?という話になってくると思う。

何か取っ掛かりのようなものでもあれば、まだ難易度は下がるかもしれない。しかし、本当に何もないところから、いきなり「いち市民クラブのサポーターになりませんか?」と言うても、何人のひとが果たしてそれに乗っかってくれるかどうか。。。ここに、どうやってアプローチしていくかは、みなさんも悩まれたことがあるかもしれない。

強いチームであれば良いのか?

手っ取り早いのは「強いチームになる」ことだとは思う。強いチームに憧れる人は多い。何かに打ち勝つという光景を目の当たりにするのは、観ている方を元気にさせるし、誇りを持たせてくれる。そういう瞬間を幾度も味わわせてくれるのであれば、それを味わいにスタジアムに足を運ぼう、となるものだ。動機づけとしてはこれ以上ないものだ。

しかし、この喜びを得るためには相手と戦うことが必須である。相手がいるということは、絶対どこかで自分の思い通りにならないところが生まれる。ひいては、勝てなくなる時期がどこかに出てくるリスクを孕んでいる。世の中は盛者必衰、栄枯盛衰、諸行無常だ。

同時にそれは「強くなくなった途端に消費材としてのサイクルの終焉を迎える」という可能性も孕んでいるものと思う。勝てない→おもしろくない→つまらない→やめる→別の何かへ。このような形で色々な人心が離れていく光景、一度はどこかで目の当たりにしたことがあるのではないだろうか。

強いとき・強くなくなった時の影響力(ベクトル)の変化
(作図:筆者)※個人の見解です

強いチームというのを土台にするのは悪いことではない。でもそれはある意味劇薬で、多分にその場のノリやらリスクやらを含んでいて脆く、末広がりに繋がらない可能性がある。土台としては何かもっと丈夫な、大黒柱となりうる骨組みがひとつ必要そうな気がしてくる。

ということで、ここからは土台をつくるためのアプローチについて、私案を書いてみます。

土台がまったくない人へのアプローチ(案)

まずは「自分たちが楽しそうでいること」

推しクラブを持つ人たちの間では、ホームスタジアムで試合がある日というのは「お祭り」「非日常」のようなものと形容されることが多い。

これはすごく良い例えに思う。「サッカーの試合」だと言うとなんか小難しいもののように聞こえるかもしれないが、お祭りという表現なら、少しハードルが下がりそうな気がする。「ちょっと、足を運んでみようかな?」という気持ちにさせてくれるところがあるかもしれないからだ。そして、昔から「お祭りが好きな人」って身の回りに一定数いると思っている。そういう人たちは楽しそうなところに自ら巻き込まれていくことを厭わないことの方が多い。

「楽しそう!ワタシも混ぜて」
こんな感じで輪の中に入ってきてくれる。

楽しそうにしていると、わっかの中にに入りたくなる(かもね)

サッカーの試合もお祭りのようなものだとしたら、巻き込まれたい側の人たちが巻き込まれてくれるような雰囲気を出していきたいところである。すなわちは自分たちが楽しんでるところを見せていきたい。

そうしていると、外から眺めている人たちが「なんか楽しそうだなぁ」って感じで、輪の中に入ってくれるかもしれない。

「サッカーはついでに」

もちろんメインイベントはサッカーであるから、サッカーで楽しんでもらえるのがイチバン。ただ、最初はなかなかそうもいかないだろう。サッカーというスポーツは難解なスポーツだからである(後述)。

まっったくサッカーを見たことのない人に、いきなりロジカルな話をしてもおそらく遭難・挫折する。なぜなら、意味がよく分からない→おもしろくない→楽しくなさそう、につながっていきそうだから。

何もないところからサッカーを好きになってもらうために、あえて無理矢理サッカーから入らなくても良いのでは?とは、よく思う。

我が家の場合、マスコットが大好きである。サッカーのことはさっぱり分からんでも、時々DAZNの画角に映り込むファジ丸くんをみつけて、はしゃぐ。相手チームのマスコットを見つけては「あれは何?犬?猫?鳥?」…モチーフ当てクイズ大会になる。

たとえ家庭内で諍いごとがあったとしても、ひとたびマスコットが現れさえすれば諍いごとは霞のようにどこかへ消え去り、彼らの愛らしい振る舞いは我が家の住人達を骨の髄から虜にし、世界は笑顔と希望と平和に満ち溢れるのである。そこまでいえば嘘になる。

みんな大好きファジ丸2022。もふもふ☆モフモフゥ

ともかく、初めのうちは「ついでにサッカー」ぐらいでちょうど良いんじゃないかと思っている。サッカー以外のところに、なにか取っ掛かりがありそうに思える。

われらのファジアーノ岡山は、スタグル(ファジフーズ)をはじめとして、アトラクション・イベント・プレゼントなど「どんな人でも楽しく・安心して」スタジアムに来てもらえるような取り組みをたくさん行っているクラブである。それに思いっきり乗っかってしまえばよい。まずは、「スタジアムに来るだけで褒めてくれるファジサポ」という気持ちになり、サッカー二の次で、楽しんでもらうのが良いであろう。

ひとりの選手・セールスポイントを推薦しよう

とはいってもメインイベントはサッカーだ。スタジアムに入って、なんかよう分からんけど生まれて初めてサッカー見ることになった…そんな人たちは最初、あまりの不規則さに脳内が混沌とするのではないかと思う。注目すべきピッチの上には、自軍敵軍分け隔てなく、ゴールキーパー以外が入り乱れ、きわめて意味不明だ。

誰を見ればいいのか?だいたい攻める方向はどっちだ?分からんことだらけになるだろうと思う。こうなると、サッカーの面白いところに辿り着く前に頭の中が「?」で満たされてしまう。

こんなときはもう、全体を把握しようとするのをやめてしまえばよいと思う。見る対象を絞り、同時にあれこれ考えないようにする。それだけでストレスは軽減されると思う。(ウチのばあちゃんがずっとファジの試合を見てられるのは「試合内容自体は何も考えずに眺めてるだけ」という面があるからだと思われる。)

その上で、誰かひとり推しクラブの選手を推薦して、見てもらえるようにするのが良いかもしれない。誰でも良いのだけれど、セールスポイントを1個だけ添えて。そうすれば、観てもらう側での「基準・ターゲット」がまず決まる。貴方が最初にひとり・一つだけ示した基準やターゲットが、やがてその人にとってのサッカー観戦時の指標になったり、、、ならなんだりするかもしれない。

あとはどう進むか、その人に任せてしまおう。ひとり選手を覚え、興味が湧いてくれば、クラブの中には相関図があるはずだから、そのうち自然と勝手に、他の選手のことにも触れることになるだろう。

その中で別の推しメンや好きなプレースタイルに出会えたりできれば、これでもう、ひとつの土台が整ったということができよう。

誰を推しメンにする?それはあなたの自由だ!

ちょっと土台のある人へのアプローチ(案)

サッカーは難しい。

スタジアムの雰囲気が楽しめるようになり、ちょっと選手の名前も分かるようになり、「サッカーおもしろそうだな!興味湧いたな!」という心持ちになってくださった人であれば、もうこちらの輪の中に片足突っ込んで入ってきてくれてる可能性が高い。ただ、前述の通り、サッカーを見つめる中でサッカーというスポーツ自体の難しさに直面するとも思われる。

サッカーと、同じく日本で幅広く受け入れられているスポーツ・野球との違いを一つ挙げよと言われたら、「サッカーには間合いがないこと」を挙げたいと思う(個人的に)。野球はピッチャーが投げないと試合が進まない=投げるまでの間合いがある。いっぽう、サッカーは時計の針と同時に試合が進んでいくので、一息つく暇がハーフタイムぐらいしかない。試合中に起こったワンプレーを、頭の中でフィードバックする時間がなかなかない

何でもかんでも一瞬のうちに同時に起こってしまい、「え、何!今の?!」って感じで進んでいってしまうものだ。そのため、1試合ライブで見たぐらいでは「なんとなく」「こんな感じがした」という印象論になってしまうことが多く、そのゲームを正確に評価するのはなかなか難しい(これはTV中継の解説者の人も同じと思います)。

野球には野球の、サッカーにはサッカーの、それぞれ違ったアプローチが求められる。

あなたの考察が、誰かの考察の手助けになるかもしれない

「サッカーを深く掘り下げたい」

こんな方たちに向けてのレビュー記事というものは、大変役に立っていると思う。pcで、スマホで、気になった記事をさらりと読んでいただくことができるし、探せば読み物もたくさん見つかる。

読む側には、昔より格段に簡単に、いろんな人の書く記事を読む機会・色んな気づきを得る機会が整っている。同時に、書き手としても、自分の意見表明が出来る場が、昔より格段に多く整っている。スマホだSNSだ、ややこしい時代になった…とかいう意見もあるけど、この辺は昔よりめっちゃ良くなった。

ファジサポの中には、これをふんだんに活かし「一緒にサッカーを見ている人たちの引き出しを増やしてあげたい」そんな思いでレビュー記事を書いてくださる人たちがたくさんいる。そして、そんな書き手の皆さんは、「ファジへの愛とリスペクト」があればどんな記事でも否定なく、しっかりと読んでくださる皆さんでもあると思う。筆者自身、初めて記事を書いたときに、先達のレビュアーさん達に大変誉められ、嬉しかった記憶がある。

また、クラブとしても、そういった分析、考察の手助けをしてくださる取り組みを行っている(ファジアカ)。こうした文化、風土が醸成されつつある現在の雰囲気は、たいへん素晴らしいものと思う。

100%正解な意見はないし、こう書かねばいけないという決まりもない。ファジのことについて、なにか世の中に問うてみたい、伝えたいことができたら、ぜひ遠慮なく、記事を書いてみてほしい。書くことで、自分自身はもちろん、見知らぬ誰かにとっての大きな糧となることがあるかもしれない。

その他(最後に)

最後に、個人的な意見を述べておきます。

だいじなのは、納得してもらうこと

何ごとも、自分の中で腑に落ちない状態で取り組むのはつまらない。

ファジサポ活動も同じで、強制されるのはその人にとって面白くない。その人が心からファジを好きになってもらうことが何より大事だと思っている。心から納得して、応援しようと思ってもらえれば、ファジアーノはその人にとって自然に、心から楽しめるコンテンツになっていくはずだ。

ひとの性格は十人十色であり、スッと腑に落ちる人もいえば、そうでない人もいるだろう。時間はかかるかもしれない。でも、焦らず無理せず。「来るもの拒まず、去るもの追わず」な気持ちでやっていくぐらいがよいと思う。心から楽しめてこその娯楽である。

リスペクトの心を持ち、持ってもらおう

自分たちの勝利を見届けるためにサッカーの試合を観ていると思うが、そこには相手がいるということを忘れてはならない。サッカーの試合は、狡猾なプレーや激しい体のぶつけ合いや微妙な判定などにあふれており、試合中どうしてもイラッとすることはあるかもしれない。しかし、それが試合が終わってもなおの誹謗中傷に向かってはいけないピッチ上にいる選手や審判たちは、ぼくたちのサンドバッグではないのである。

おそらく今後、誰かを蔑んだり貶めたりするような発言に対して、社会的な論調は厳しくなる。時代遅れでナンセンスなものという風潮が出てくるだろうし、(そういう人たちの声は大きいので)悪目立ちするようになるだろうなと思っている。そういう発言をする者に、ついて行きたいとは思われなくなるだろう。

フェアプレーフラッグ(後方黄色の旗)

Jリーグでは、フェアプレーフラッグというのがいつも選手入場時に掲げられる。この理念にならい、ファジの面白さを伝える際はぜひ、心のどこかにいつも「リスペクト」の気持ちを持っておきたい。自分自身の振る舞いはきっと、何らかの形で周囲に伝播する。教える側にリスペクトの気持ちがあれば、これからファジを見始める人にもそれが伝播するはずだ。

ファジアーノを好きになるということは、岡山を好きになってもらうということ

大げさなようにも聞こえるが、ファジアーノを好きになってもらうということは、岡山を好きになってもらうことに、どこかでつながるだろうなと思っている。

たとえば、サッカーの試合において生まれ育った地元岡山のクラブが勝つ。そうでなくても、ちょっとだけ縁やゆかりのある岡山のクラブが勝つ。このとき「岡山やるじゃん」と、岡山への誇りがちょびっとでも芽生えるものと思う。これが、岡山を好きになってもらう小さなムーヴになると考える。

そして、サッカークラブを通して、岡山に恩返しできることも、あるかもしれない。

ファジアーノ岡山のホームタウンは、「岡山市、倉敷市、津山市を中心とした岡山県全域」となっている。岡山県全体に、もっと元気になってもらう。その一端をファジアーノ岡山が担う。選手やクラブスタッフやサポーターがその主役になる。

こんなふうに書くと、夢があってステキな話に聞こえてきたりしないだろうか。ファジアーノ岡山を推しクラブにしてくださるというのは、間接的にその活動の中にに入っていただくということでもある。そして、もっと岡山を好きになってもらうチャンスでもある。

※サッカーと関連付けながら岡山を好きになってもらう取り組みは、すでに巷間で始まっているようです。下に、関連団体様のnote記事リンクを掲載させていただきます。

末永く、末広がりに、クラブを繁栄させていくために。ぜひ、敷居を高くせず緩やかに、周りを巻き込んでいってもらえたらと思います。そして、巻き込まれてくれた人たちが自分の土台を見つけることを、あたたかくサポートをしていただければと思います。

筆者も、そんな活動の手助けとなるような記事を、来年も時間の許す限り書いてみたいと思います。

このよろこびを沢山の人と分かち合おう

(了)

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