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やるべきことは大概が思い込み【花やふる道具日記】

花と古道具を扱う店で働く私が営業中にふと考えたこと

週5は多い?

水木休みなので、金曜気分の今日。
月、火あたりになると朝眠くて仕方がない。

週5で働くのは、多いのかしら?

最近の読書は『NO RULE』
ネットフリックスの組織づくりについて書いている本で、
その一つに「休暇規定廃止」というものがある。

普通の会社では週休2日や、
夏休みや長期休暇の日数が決まっている。
消化しないと、消えていってしまう休みは、
強制的に社員を休ませる。

休暇規定がないということで、働く時間も日数にも
自由が与えられることになる。

自由が与えられることで、
今働いているのは自分の選択による結果になる。

そもそも、社会人なのに会社に働く日程を決められないといけないんだろう。管理のしやすさだけで、生産性は本当に上がっているのだろうか?それが嫌なら個人でやれという話になるのか?

常識を根底から問い直すような、問題定義だった。
とりあえず、週5勤務は私には多いかもしれない。

やりがいを気にせず、もくもくと

やるべきことを果たさなきゃと、力んでいた朝。

小雨が降っていた。
天気を調べたところ、帰宅時間には降りそうだから、久しぶりに歩いて通勤した。

歩きながら聞きていたNews PicksのWeeklyOchiai
世間の受けを狙って何かを作るより、
やりがい、やるべきことを無視して
黙々と続けること。
そうしないと、人類にしかなし得ない、変な着地ができない。

生きるって、働いてるってなんだろう。
本質的なことについて考えると、心が楽になった。

こういうモヤモヤってある意味、本当の孤独や、生存危機に瀕していないからこそ感じるんだと思う。幸せの証なのかもしれない。

嫌いなひとがいるって若いなぁ

人に対してイライラする。
他人の細かい言動にが気になる。

こういう経験って中学生の頃にピークを迎え、
だんだんと減ってきているように思える。

今でもないわけじゃない。
今日も、これって若い証拠だなーとしみじみ感じた。

歳を取っても、子供の精神を持ち続けている人はいるけど、
大人になれば成熟してくる部分はある。
いつも尊敬する大人の要素だけど、
だからこそ自分の親世代の人たちとは仕事がしやすいと感じる。

社会は母性と父性に支えられている。
かも?

見出すってなんだ

わびさびの凄さは、枯れている光景を味わいある美しいものという美意識を人に与えたことにある。

自分一人がそう感じることができても、
それを、誰かの共感を得ること、
そして潮流となり文化を作るに至るには、
たくさんの波を超えていく必要があるだろう。

美意識は、誰かに見出され、
それが共感され、広まっていく。

人が、新しい価値観を見出す。
それが社会に浸透していく。
ここには一体そんな現象が起こっているんだろうか。

だから師がいるのか

花束みたいに、いくつかの花をデザインし構成していく美意識は西洋的な要素が強いように思える。

なんだか、生業としていくことに納得しきれなかったが、
それを言葉にできなかった。
一つこれだという一文に出会えた。

日本文化には不完全という完全がある。
柳宗悦の茶と美にある一節。(ただ、一言一句正しくない。)

人生ではじめて、不完全という完全とに出会ったのは、
小学校の遠足で訪れた日光東照宮だ。
門の絵柄をあえて左右向きを変える。

シンメトリーで完全な状態はいつか壊れる。
繁栄を願うには、不完全の方が好ましい。

小学生ながらに、そのロジックを受けいることができたし、
不完全であることは醜いと同じじゃないを知った。

そもそも完全無欠な人間は存在していない。
人類へのエールにも聞こえる。

花の話に戻ると、ブーケは完全な印象がある。
完全な不完全である。

人間が美しさを感じる空きはあるか。
空きがなければ、喜びはあるのだろうか。

言葉に希望をもらった。

そんな帰り道、夜空は澄み切っていた。

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