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認識はパーカッション【花やふる道具日記】


花と古道具を扱う店で働く私が営業中にふと考えたこと

街灯の下の蜘蛛の巣

田舎は虫が多い。
その中でも蜘蛛が多い。

屋外の階段なら、一晩のうちに蜘蛛の巣が張ってしまうこともある。

とにかく、いろんな場所で待ち伏せしている。
帰り道に大繁盛している巣があった。

街灯とフェンスの間にテントを張るかのように、
三面の蜘蛛の巣が築かれていた。

夜中は街灯に小さい虫が集まって来るから、
食べきれないぐらい巣に引っかかっていた。

頭のいい蜘蛛がいるものだな。
捕食するわけじゃないけど、景気のいい商売は
俯瞰してみたら、あんな風に見えるのだろうか。

利益とは何かと考える

私は働いている。

会社に所属していようと、個人で活動していようと、
働くからには利益を上げようとする。

利益とはなんだろう。
利益を上げずに、原価だけでものの売り買いをしていたら、世界はどうなるんだろう。

原価だけで売り買いすることは、すなわち交換だから、そこに売り買いは存在しない。

売り買いにはものの価値と、プラスαで余剰の価値が生まれている。

人間社会はいくつかの柱によって支えられていて、
私たちの進化には、経済という柱が圧倒的に強い。

企業は人びとの労働を集め、価値を作っていく。

創造したものの対価として、利益を上げている。
利益は持続的な成長のために必要でもあり、
持続的な成長は、今後私たちが生きていくために必要なものを、
期待やワクワクを創造していくだろうという
希望を集めることができたものに富があつまる。

そこから自分の役割を考えてみる。
今ここで何ができるかを考えてみる。

現実のプラットフォーム

人が集まる場所でお金が動く。
ただ会話をしたり、写真をシェアしたりするインターネットの中の場所が、
経済を動かしている。

これからのビジネスはプラットフォーマーになり、
情報を集約させて動かすことで、安定した収益を得られる。

インターネット上であれば、国境や物理的な制約を超えることができる。
夢のような時代である。

でも、私たちの体は質量を持っている。
生きている限り、どこかしらに場所がいる。

今暮らしている街はどうだろう。
ネット上で起こるような、画期的なプラットフォームがあるだろうか。
それとも、それを起こそうとする動きはあるだろうか。

ネット上でプラットフォームを作っていくことができるのは、
競争を勝ち抜いた一握りの企業かもしれない。

けど、衰退していく町は今後も増えていくだろう。
現実世界を目の前にした、プラットフォームを作る動きがあってもおもしろうだ。

なぜ生きずらい町になったのか、住みにくい町になったのか。
既存のビジネスが原因なのか。

だとしたらそれを壊していくような、
インパクトある動きが、各地で起こっていけば、
やることは尽きない。

できるって何?わかるって何?

何かできるようになるときは、いつも唐突である。

わかるときもそう。

ふとした瞬間にできている。

論理的に説明されて納得しても、わかっていない時がある。
人間の成長は二次曲線と言われることがある。

能力や、神経回路が作られていくのは二次曲線上にあるのかもしれないけど、自分の認知のタイミングが、パーカッションの楽譜みたいになっているから、ある日ふとした瞬間にできたと感じるようになるのだろうか。

という少し真剣に思い詰めている月曜日。


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