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『ジョーカー』 ありふれた暗黒と、映画がジョーカーに”到達”するまで

『ジョーカー』の本予告編が公開された時、そのシリアスでリアルな雰囲気に興奮すると共に、私は一つの不安も感じていた。

「果たしてこのダークさは、ありふれた陳腐な物になってしまわないだろうか?」という不安である。

人の心の闇、もっといえば狂気を描いた作品というのは無数に存在している。挙げればキリがないほど存在している。そして実際、監督自身が『タクシードライバー』や『キング・オブ・コメディ』といった作品に影響を受けていることを公言しており、本作にはそのオマージュが散見される。両作品において主役を演じた、ロバート・デ・ニーロが重要な役柄として出演するのも象徴的だろう。

このような映画の中で描かれる人間の狂気や暗黒というのは、すでに語り尽くされようとしている。それらは大抵が、すでに存在している傑作達の後塵を拝するものであり、二番煎じであり、結果として陳腐なものになる。

さらに厄介なのは、本作がジョーカーについての物語であるという点だ。

すでに説明不要なキャラクターであるジョーカーを演じる俳優には、多大な期待が向けられる。このあまりに高い期待感は、これまでジョーカーを演じてきた歴代の名優たちのせいだ。ジョーカーの狂気は初代シーザー・ロメロがその方向性を作り、ジャック・ニコルソンが一つのジョーカー像を完成させた。その後ヒース・レジャーが、『ダークナイト』において現代的でスタイリッシュな、まったく新しいジョーカー像を見せつける。

これらの名優たちが作り上げてきたジョーカーという無二の悪役は、4代目を襲名した実力派のジャレッド・レトにさえ荷が重かった。なまじヒース・レジャーのパフォーマンスが高すぎたが故に、ジョーカーを襲名する俳優たちには、彼らを超えるような並外れたパフォーマンスが求められるようになってしまったのだ。

※ジャレッド・レトがジョーカーを演じることに失敗したと言いたいわけではない。我々はむしろ、圧倒的に不利な状況下でジョーカーを演じることを引き受けてくれたレトのことを、称賛して然るべきだろう。それはむしろ、レトが演じてくれたおかげで何とか形になったとも言える。

そして当然。その期待感は、本作において五代目ジョーカーを襲名したホアキン・フェニックスに対しても向けられる。果たしてホアキン・フェニックスは、新たなジョーカーを演じることに成功したのだろうか。歴代の名優たちが作り上げてきたジョーカーというキャラクター像を破壊して再構築し、新しい方向性を提示することに成功したのだろうか。

結果として、それは成功した。

ホアキン・フェニックスは見事に五代目ジョーカーを襲名し、まったく新しい『ジョーカー』を演じきることに成功した。それは過去のどのジョーカーとも異なる、鮮烈にしてフレッシュなジョーカーだった。

もちろん、これはホアキン・フェニックス一人による功績ではない。脚本、監督、美術、製作。あらゆる要素が一体となって、ホアキン・ジョーカーは立ち現れた

ジャック・ニコルソンのようなコミック的で陽気な狂気とも、ヒース・レジャーのような強烈でカリスマ的な狂気とも違う。ホアキン・ジョーカーはいわば、社会が内包する複雑な矛盾の中から自然発生した、彼らの狂気の代弁者なのだ

このようなシリアスかつリアル、何よりも極めてアーティスティックな『ジョーカー』の単作映画が実現したのは、アメコミ映画の歴史に関わってきた全ての人たちの功績であるとも言える。彼らの長年の尽力と競争により、アメコミ映画は大規模な市場と映画ジャンルとしての市民権を獲得するに至った。これほどまでに陰鬱で精神的な『ジョーカー』は、その下地と市場全体の成熟がなければ実現しなかった。

筆者が始めに抱いていた不安はどうだろう。『ジョーカー』で描かれた暗黒は、果たして陳腐な暗黒だっただろうか。

この部分については、手放しに称賛することはできないのかもしれない。序盤から中盤にかけて筆者が抱いていた感想は、「まるでジェネリック『タクシードライバー』だ」というものだった。その点においては、ジョーカーは新鮮さを欠いていたのかもしれない。もしくは筆者の感性がズレていて、懐古主義が過ぎるのかもしれない。

また所々に、もう少しだけ尖っていて欲しかった、という部分は存在した。言い換えれば、大衆に対する演出上の最低限の譲歩が存在した

しかし本作は芸術路線を強調した映画であると同時に、やはり大きな興行収入と幅広い層の集客を狙ったアメコミ映画であるので、その点は仕方ないのだろう。恐らく所々のシーンについては、監督も撮りたくはなかったのではないかと思う。

しかしとにかく、『ジョーカー』というキャラクターがここまでのレベルで掘り下げられたことは感慨深い。これが大成功した暁には、DCはこれまでのようなマーベルの後追いをやめて、原点に立ち返った独自路線を追求してくれるのではないかと期待している。

『バットマンVSスーパーマン』を中途半端にシリアスに作ってしまって失敗し、その後の『ジャスティス・リーグ』でMCUの表面上のノリを借りようとして上手くいかず、ここにきて「やっぱり俺たちの強みはこういうことじゃないよな」ということを再認識したということだろうか。

見る限り、少なくとも『バットマン』についてはこの路線でさらに展開していくのではないかと考えられるので、そちらの方にも期待したい限りだ(しかし、既に別の『バットマン』も動いているようなので、何がどうなるかは全くわからないが)。もしもそれが実現し、バットマンのヒーローとしての心の闇を、この水準で描くことが実現してくれたら嬉しい。

そして何よりもこの世界で、新しいバットマンとホアキン・ジョーカーが衝突することがあったとしたら

夢は膨らむばかりだ。

ヘッダー画像:『Joker Movie(@jokermovie)』より引用

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