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村上春樹はノーベル文学賞を獲れるのか?

10月10日、つまり明後日にノーベル文学賞の受賞者が発表される

選考関係者のスキャンダルによって前年の受賞者発表が見送られたノーベル文学賞であるが、今年は1950年来異例の2名同時受賞が予定されている

そんな中で、毎年この時期に全国の書店を右往左往させている村上春樹であるが、今年こそは受賞することができるのだろうか。

ブックメーカーの予想

ノーベル文学賞の予想でよく引き合いに出される、ブックメーカーの人気度を見てみよう。以下は英国の『ナイサーオッズ』、1位から5位までのオッズである。

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引用:The Nobel Prize in Literature 2019 | Nicer Oddsより

ブックメーカーの予想によれば、1番人気はカナダの詩人アン・カーソン氏。続いてマリーズ・コンデ氏が2番手に続き、我らが村上春樹は5番人気であることがわかる。

しかし正直なところ、こんなリストを見てもよくわからん

筆者はきちんとした文学ライターではないので、アン・カーソンさんもマリーズ・コンデさんも読んだことはないし、3番手はオルガ・何さんなのかもよくわからないし、4番人気のCan Xueさんに至ってはどう読むのかすらわからない

※調べると、Olga Tokarczukはポーランド作家のオルガ・トカルチュク氏、Can Xueは中国人作家の残雪(ツァン・シュエ)氏だった。

そもそも、ブックメーカーの予想というのはどれくらい当たるのか。2017年のノーベル文学賞では、1位フィリップ・ロス、2位村上春樹、3位アモス・オズという順番だったようだ(英国のブックメーカー、『ラドブロークス』の場合)。

しかし実際、2017年のノーベル文学賞を受賞したのは日系英国人作家、カズオ・イシグロであった

イシグロは個人的に思い入れの強い作家だったので、受賞の報をテレビで観た瞬間、筆者は飛び跳ねて喜んだことを覚えている。

過去には一番人気が順当に文学賞を獲ったことはあるようだが、ブックメーカーの予想については、そこまで重視することもないだろう。

ノーベル文学賞側の事情

2018年のノーベル文学賞は、受賞者の発表が見送られることになった。選考委員であるスウェーデン・アカデミー関係者の、性的暴行スキャンダルが報じられたことが原因である。

このような事情から、今年は前年度分も合わせて2名の受賞者が同時に発表される。そこで問題となるのは、村上春樹は信頼回復に努めるノーベル文学賞にとって相応しい受賞者であるのか、ということだ。

この点についても、やはり逆風が吹いているように思える。村上春樹はフェミニズム的な立場からは非常に評判が悪いことで有名だし、筆者も彼らの言わんとすることは正直わかる。

そういう風に考えてみると、ノーベル文学賞の選考サイドとしては・・・異例の発表自粛から信頼回復のために引っ提げてくる受賞者として、Haruki Murakamiの名前は大手を振っては掲げづらいのではないかとは思う。

カズオ・イシグロの影

文学賞は地域間のバランスや平等性を考慮して選考されるとも言われている。たとえば、受賞に値する作家が欧州に10人居たとして、10年連続で欧州から受賞者が選ばれることはない

そんなことをすれば、ノーベル文学賞の正当性そのものが疑われる事態になりかねない。受賞者はアジア、中東、アフリカなどの各地域間のバランスと平等性を考慮して、慎重に選出される。

ここで振り返って、2017年に文学賞を受賞したカズオ・イシグロは日系イギリス人である。もしも彼が日本文学の性質を組み込んだ、日本的な要素のある受賞者であると判断されていた場合、日本人の村上春樹は受賞が遠のくことになる。

以下は、文学賞の選考委員長であるアンジュ・オルソン氏が、ストックホルムで会見を行った時の発言である。

選考委員会のオルソン委員長は6月、受賞者2人の「調和」を重視していると説明。「例えば、同じ分野の文学にならなかったり、男女に分かれたりするなどだ」と語っていた。
引用:ノーベル文学賞受賞予想に村上春樹氏、多和田葉子氏

村上春樹は、その調和の中に入れるのだろうか。

作家としての実力

受賞を巡る外的要因についてばかり話していても仕方がない。もっと直接的に、村上春樹はノーベル文学賞に相応しいだけの実力を持った作家なのかを考えよう。

正直この点について、筆者は文学研究者ではないのでわからない

しかし2017年にカズオ・イシグロが受賞した時のことを思い返してみると、筆者は飛び跳ねるほど喜んだのと同時に、「あっ! あれで良いんだ!」と思ったのを覚えている。

というのも、イシグロの受賞を決定付けたと思われる『忘れられた巨人(The Buried Giant)』を読んだとき、筆者は「これは本当に凄い小説だ!」と感じ入ると同時に、「イシグロが文学賞を獲るには、ここからもう1、2作が必要なのだろうか」とも思っていたからである。

しかし実際には、イシグロは選考委員の心を見事に射止めて、『壮大な感情の力を持った小説を通し、世界と結びついているという、我々の幻想的感覚に隠された深淵を暴いた』という受賞理由と共に、2017年の文学賞を授与された。

これはイシグロが『忘れられた巨人』によって完璧に到達した領域であり、スウェーデン・アカデミーとしては、あの一作で十分だったわけだ。

※もっとも、文学賞周りや「文学」そのものについてもっと詳しい識者からしてみれば、筆者の感覚というのは的外れも甚だしいものなのだろうが。あくまで、ライトな文学読者たる筆者から見ての感覚である。

一方の村上春樹はどうだろう?

彼は長年の執筆活動を通じて、アカデミーが認めるだけの文学的な高み(それに実質的な価値があるかどうかは別として)へと到達している作家なのだろうか? この点に関しても、筆者は春樹を学術的に研究したことはないので、やっぱりよくわからない

筆者自身は、春樹の最新作である『騎士団長殺し』は本当に面白い本だと思っているし、春樹の文学上のステージが半段ほど上がった作品だとも思っている。しかし果たして、本当にそうなのだろうか。

思えば『騎士団殺し』を読んだ時に感じた感情と、新海誠の『君の名は。』を観た時に感じた感情の種類は同じものだったようにも思える。

『君の名は。』のラストで、筆者は心の中で「誠ォ!」と叫んだし、『騎士団長殺し』のラストを読んだ時も「春樹ィ!」と叫んでいた。

私は一体、何を言っているのだろうか

話を戻そう。

村上春樹は、ノーベル文学賞に足る作家だろうか。個人的には、春樹は文学賞を受賞してほしい作家ではある。

作品としては、『騎士団長殺し』においてステップアップしかけているテーマを、もう1、2作かけて開花させることができれば、十分ノーベル文学賞の受賞圏内に入るのではないかとも思っている。

村上春樹の作品には、具体的に何が足りないのか(もしくは無いのか)。

それは解答である。

春樹の小説は、意識的には捉えきれない大きな暗黒を取り扱おうとして、それをわからないままで、固定させないままで、直観を濁らせないままで、ストーリーという大きなうねりの中に彫刻しようとする傾向がある。

春樹が執筆活動を通じて行っていることは、特定の問題意識に対して解答を探るための旅路ではなく、特定の問題意識の深層部分に、そのより深くへと降りていこうとする、不定形なイデアをイデアのままで摘出しようとする営みなのだ。

つまり、春樹が小説の中に解答を用意できないのは、春樹自身がその問題意識を未だ明確には捉え切れていないのが原因だと筆者は思っている。春樹の小説に解答が無いことは当然であり、春樹はまだ、自身がずっと以前から開始している外科手術の途中に居る

概して文学とはそういうものではあるが、ここに春樹とイシグロの決定的な差がある。『忘れられた巨人』において、イシグロは解答を提示したのだ

これはイシグロと春樹が扱うテーマの性質が異なるせいでもあるが、イシグロはそれまで自身が扱ってきたテーマを、ファンタジーの舞台立てへとアクロバティックに展開することによって、より大きな視点から問題意識を置換し、その解答を見事に描き切った。少なくとも、具体的に提示した

ここに春樹とイシグロの決定的な差異(優劣ではない)が存在するように感じる。つまりこの流れだと、春樹はまだ文学賞を受賞できないことになってしまう

しかし筆者の考察があてにならないのは、まだだと思っていたイシグロが文学賞を受賞したことからもわかる通りである。

つまり、何もわからない。

村上春樹はどう思っているのか

村上春樹自身は、ノーベル文学賞についてどう思っているのだろう。これについては、「本当にどうでもいいからマジでいい加減にしてくれ」と思っているのが正確なところだ。

これは村上春樹自身がエッセイで語っている通りであるし、実際、強がりではなくマジでそう思っているように感じる。

つまりこんなnoteを書いてしまうのは、毎年この時期になると周囲が勝手にそわそわし始めて、受賞者の発表と共に勝手に落胆されるというはた迷惑な恒例行事を繰り返す羽目になっている村上春樹のことを、全力で煽っている行為に他ならない。

しかしそれでも、実際にノーベル文学賞を獲ったら春樹だって嬉しいだろうし、周囲も嬉しいだろうし、筆者も嬉しい。だからやっぱり取って欲しい。

とはいっても、ノーベル文学賞はその時代で最も優れた作家を規定する賞ではないし、この賞を授与されなかったからといって、その作家の価値が毀損されるものでもない。作品そのものを差し置いて、文学賞がそんな力を持つわけがない

ノーベル文学賞は多分に政治的な賞であり、SHOWであり、世界的なお祭り騒ぎ以上のものではない。しかしこれほどの規模で、普段本を読まない層まで巻き込んでバカ騒ぎが繰り広げられる文学賞というのは他に存在しない。この賞が文学市場に与える無二のインパクトは計り知れない。

そういった意味で、ノーベル文学賞は死にゆく定めにある文学を延命させている重要な心臓部であり、枯れつつある樹木へと降り注ぐ恵みの雨である。ノーベル文学賞が死んでも作家は死なないが、文学の死期は確実に早まると思う。

今年のノーベル文学賞は

結局、今年のノーベル文学賞を獲るのは一体誰なのだろうか。2016年にボブ・ディラン。2017年にはイシグロが受賞し、18年を飛ばして二人の受賞者が発表される今年。

選考委員長の言質から考えるならば、二人の受賞者は『男女一人ずつ、別々の文学領域から』。さらに、おそらくは『別々の地域から』選出されると考えるのが妥当だ。もう疲れてきたので、一人は一番人気のアン・カーソン氏だとして、もう一人は?

アン・カーソン氏は【カナダ人】【女性】【詩人】である。

つまりもう一人は【欧米以外】【男性】で、【詩以外の文学領域】から選ばれる可能性が高い。

それは一体誰だろう? 村上春樹? それとも別の誰か?

2017年の受賞者は、カズオ・イシグロ (小説家)

2016年の受賞者は、ボブ・ディラン (シンガーソングライター)

つまり、2019年は・・・・・・

つまり・・・・・・

・・・・・・

・・・


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そう、荒木飛呂彦である。

2016年にボブ・ディランが受賞したことを考えると、今年は【日本】を代表する【男性】の【漫画家】である荒木飛呂彦が、ノーベル文学賞を受賞するのは当然の帰結であるといえる。

なぜ荒木飛呂彦なのか。

実は選考委員長のオルソン氏は、今年の文学賞についてこうも語っている。

オルソン氏は「選考委には若い世代の価値観が反映され、現代文学との強固な接点が重要だ」と指摘した。
引用:zakzak by 夕刊フジ

『若い世代の価値観が反映され』

『現代文学との強固な接点が重要』

そう、つまり荒木飛呂彦である。

荒木飛呂彦の『ジョジョの奇妙な冒険』は若者世代にも大人気であるし、多くの読者を熱中させるその独特な言い回しは、もはや現代文学と言って差し支えない。ノーベル文学賞初の漫画家としても、受賞の期待が高まるところだろう。

結論としては、今年のノーベル文学賞受賞者はカナダからアン・カーソン氏と、日本から荒木飛呂彦氏であると考えられる。

何が言いたいかというと、大切なのは真実に向かおうとする意志なのだ。

以上、証明終了。

ヘッダー画像:村上春樹 Haruki Murakami 新潮社公式サイトより引用
荒木飛呂彦近影:『「『ジョジョ』が25年続いている理由」―荒木飛呂彦氏が語る』より引用

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