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わたしと仕事の話

「あ、」と一瞬でも心が動くものを作り続けたい。
「あ、」と感じた瞬間の心の衝動は、次の瞬間を生き続けるに値する理由になり得るから。
だからわたしは、広告をつくっている。

広告制作の仕事をはじめて5年が経過した。
酸いも甘いも噛み分けて日々実感することは、広告というモノの大多数は、その役割を終えたら忘れられ、消費されていくことに価値がある、ということである。
そこにどんな物語や苦労があろうと、大半のそれは視聴者にとってはどうでもいいことであり、時に褒め称えられ、時に炎上する己の成果物を目にしては、笑ったり泣いたりと、大忙しの仕事である。
時折そんな自分自身に疲れて足を止めそうになる。その度に、いや、しかし、もしかしたら、と手を動かす。動かし続ける。動かし続けなければならないという使命感がある。

「次の瞬間を生き続けるに値する理由」を持ち続ける事が難しい人と多く出会う生を歩んできた。
例えばそれは、災害によって深すぎる心の傷を負った友人であったり、
親の暴力に安心して寝て起きる権利を奪われたこどもであったり、
社会的少数者としてのに自分自身の存在価値を脅かされるひとであったり、
死ぬ順番が反転して子供の遺影に手を合わせる親であったり、それぞれの「生きづらさ」を内包して、それでも生きる以外の選択肢を許されずにもがく――そんな人たちと多く出会った。

「生きる」ことと、「生き続ける」ことが、同意義でない人たち。
彼らの喉から溢れる「いっそ死ねたら、どれだけ楽だろうか」という言葉をただ聞いてきた。聞く以外できないけれど、ただ、聞いて。

聞くだけでは堪らなくなったころ、福里 真一氏の手掛ける『宇宙人ジェームス』のTVCMと出会った。

とある惑星からやって来た宇宙人ジョーンズが、大物ハリウッド俳優トミー・リー・ジョーンズそっくりの地球人になりすまし、未知なる惑星・地球を調査する「宇宙人ジョーンズの地球調査シリーズ」。
地球人の動向を、ときにシニカルに、ときに温かく見守る本TVCMの最後には、以下のキャッチコピーが輝いている。

このろくでもない、すばらしき世界。

このコピーを見た瞬間、思わず「あ、」と声に出してつぶやいていた。
心が震えて、わたしの世界が一瞬止まったことを今でも憶えている。

心が動く瞬間のエネルギーは、その次の瞬間を生きるための原動力になるのだと知った。

そして、わたしが広告を世に送り出す仕事するエネルギーになっている。
わたしの手掛けた広告も、誰か心を一瞬動かして、その人が次の瞬間を生き続ける理由になれるかもしれない。その人の心の養分になれるかもしれない。だからわたしはこの仕事を続ける。次の誰かを生かすために、生き続ける。

数年前、生き続けることをやめた親友がいた。
そんな彼が最後に見た世界を、先週、遂に己の目で見ることができた。
生きることを続けて欲しかった、死んだ彼がさいごに見た景色。それはあまりにも恐ろしくて、私は思わず後ろに引き返してしまった。
この恐ろしさを乗り越えてでも前に進みたかった世界は、どんな場所だろう。そう思いを馳せ、その場に踏み留まる。

わたしはやっぱり、彼が次の瞬間を生き続ける理由には、なれなかったのだ。己が立つ地面からその言葉が脳までしみ込んで、世界がぼやけた。

ぼやけた世界が元に戻ったとき、ふと、巨大なサイネージが目の前にあることに気付いた。

健康食品を口に運びながら、満面の笑みを浮かべる女優。―――ああ、このメーカーのCM、わたしも作ったな。

もしここに、わたしの作った広告が、あの日に流れていたら…
ふとそう思いかけて、その考えを脳裏に押し殺す。「遺された」という思いは、虚実の自責の念を生む。それに殺されてはいけない。

泣いて気怠い身体を車に押し込み、帰路を急ぐ。
明日のわたしに、この仕事を続けさせるために。

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