見出し画像

記憶のにおい

ハイラックスで海辺を走っていた。左手には、み空色の地平線が広がっていた。台風が通り過ぎた後の海辺には、波と戯れたい人々の頭がたくさん見えた。
遠目から見るとアシカのようだ。波に揺られて、たゆたうアシカ。生来の資質である遊泳能力を忘れ、心地好さそうに、ぷかぷかと波に身を任せる。同じ景色を過去にも見たことがあるかのような既視感を覚える。あの時わたしは、まだ子どもだったような――そんなことを考えていた時、もわん、と、雨の降った後、熱い地面で蒸されたドクダミのようなにおいがした。

「海藻が腐ったにおいだね」

助手席の窓に肘をかけて、風に吹かれる恋人がつぶやく。それを聞いた瞬間わたしの脳は、小学生の頃に訪れたサンフランシスコに巻き戻された。
母の友人が運転する車から眺めた深緑色の海、絨毯のようにあたり一面に寝転がるアシカ、そして、熱気を放つような腐った海藻のにおい。
ふと思い起こされた数十年前の景色の追憶に浸りながら、ハイラックスを走らせる。季節はまだまだ、夏である。

LINE_ALBUM_御宿2_210922

目的地は、人里離れた山奥にある秘境の滝であった。ヒルやアブが湧く木々をかき分けて進み、脛まで川に浸かってようやくたどり着ける、森の中に隠された美しい滝。ブンブンと不快な音で飛び廻る羽虫は、もしかしたらこの滝を人から遠ざけるための番人なのかもしれない。そう思うと、妙に神聖な気持ちになれた。

川の中に佇み歩き写真を撮る恋人を見守る。木漏れ日が濡れた岩に反射して美しい。手ごろな木に背をあずけると、湿った土と樹木のにおいが鼻腔に広がる。幼少期から嗅ぎなれた、愛する薫り。

LINE_ALBUM_御宿2_210922_0

子どものころから自然が大好きだった。自然の中にいると、いつもより素直でいられる感じがした。休日ともなれば母と連れ立って野山を歩き回り、木々の音を聴き、土に手足で触れ、少し湿った空気で肺を満たしたものだ。母と離れて暮らすようになりもうすぐ15年が経つが、週末はいつでも、この薫りが恋しくなる。母を想い出す。

太陽が西に傾くころ、滝を後にして行きつけの定食屋へ向かう。海風を受ける海岸沿いにある、海鮮料理が美味しいこの定食屋に通い始めて、もう幾年か経つ。その昔は地元の漁師が一升瓶を持ち寄り昼から酒盛りをしている店、という印象だったが、ここ数年は駐車場で県内ナンバーを見つける方が少ない。
なんだか、事前にサプライズの内容を知ってしまったかのような、何とも言えない気持ちである。推していたインディーズバンドがメジャーデビューした時の気持ち、の方がしっくりくるかもしれない。それでも、推さずには、いられないのだけれど。

推しの定食屋でなめろう定食にありつく。いつ食べてもうまい。叩きすぎないアジの食感と薬味のシャキシャキ感が絶妙で、思わず目を瞑りながら味わってしまう。ここのなめろうは、世界一美味しい。おかわり自由の味噌汁は、世界で、二番目に。
漁師町では珍しくない「つのまた汁」を堪能しながら、世界一美味しい味噌汁を想い出す。母方の祖母が作る、海藻たっぷりのあら汁。大きくてゴロゴロしたあらは子どもの歯には食べづらく、喉にホネが突き刺さり苦しんだのを覚えている。雑に切られた大きな具材と毎度変わる濃厚な風味が、祖母の人柄を表しているようで、食べにくいと文句を言いながら何杯もおかわりした。祖母はそれを、ガハハ、と笑いながら見ていた。

満腹感を上回る満足感に浸りながら、海辺の道路をハイラックスで走る。右手に見える海はもう、鴨羽色に染まっていた。朝見たアシカモドキは、半数ほどに減っていた。

LINE_ALBUM_御宿2_210922_1

海の隣にある家で、汗と潮のニオイを洗い流し、網戸越しに虫の声を聴きながらビールを飲む。鈴が転がるような鳴き声は、耳に気持ち良い。

月がいちばん高くなるころ、恋人の筋肉質な腕を枕に、使い古されたふとんに入る。ふわりとやわらかいせっけんのにおいが鼻から入って脳に満ちて、数秒で瞼が重くなる。数時間前にお風呂場で嗅いだ、ボディソープのにおい。わたしからも、同じにおいがしているだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?