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酒と女の賞味期限

「女の賞味期限」と揶揄される年齢を迎えた頃。突如ウイスキーにはまった。
きっかけはダイエットだ。親子三代酒豪の家の出、二十歳になるやいなや酒の味を覚えた。地元の居酒屋へ足繁く通い、ビールに始まり焼酎に立ち寄り白ワインを経由して日本酒で一日を終える。そんな二十代を駆け抜けてきたが、27歳を超えた頃、肝臓よりも先に肌が曲がり角を迎えた。
酒と共に迎えた朝、内臓は元気だが顔に元気がない。目の下のクマは酷く、肌にハリがない。それが酒を受け入れる己の体の変化のせいだと気付くのには、そう時間はかからなかった。

とはいえ、由緒正しき酒豪一族の一人娘である。我こそは酒に愛された血筋だという誇りを胸に、二日酔いしらずの胃で、飲んでナンボ、食べてナンボの夜を愉しみ続けた。するとどうだろう。コロナ禍による運動不足も相まって、ついに酒が脂肪に還元されるようになってしまった。

肌は化粧で誤魔化せるが、腹回りの脂肪は不思議と隠せない。キツくなったデニムのウエストを引っ張りながら、どうにもこれはよくないぞと、酒の種類を改めることにした。

そこで目を付けたのがウイスキーである。糖質を含まないウイスキーは、糖質を含む他のアルコールよりも太りづらいらしい。そんな不確かな情報を頼りに、家から徒歩5分のコンビニでウイスキー瓶を手に取った。これがわたしのはじめてのウイスキーである。

27歳の当時、わたしは己を過信していたことを正直に述べねばならない。

人生初のウイスキーとの対戦結果は大敗。翌朝、人生初の二日酔いという地獄を味わい、空になった700mlの瓶を虚ろな目で眺めながら、二度とこんな過ちは犯さないと心に誓った。嘔吐を繰り返しながら「なるほど、これはダイエットに効果的だ」など、くだらないことを頭の片隅に浮かべ、ロックダウンで価値が半減した休日を過ごしたものだ。

XがTwitterと呼ばれていた時代である。二日酔いを懺悔するツイートには、「アラサーなんだから、女の人生の賞味期限を縮めるような酒の飲み方はするな」とお叱りの引用RTがついた。

そんな苦い経験を経た今、わたしはウイスキーを心底愛している。二日酔いの恐怖を学び、飲み方と飲まれ方を学び、いつしか木樽が生み出す香りの虜になっていた。

その香りを舌と鼻で感じられるようになるより先に、胃と肝臓で学ぶ過程があった。恋人の携帯に収められた動画の中で、記憶にない大騒ぎをする己とも遭遇したし、普段言えないような想いを吐露して号泣する夜もあった。酒の力で。

わたしは二十代の多くの時間を「残される恐怖」と共に生きてきた。東日本大震災や親友の死など、埋まることのない喪失感に由縁するそれは、生涯消えない感覚だと諦めていた。本音を隠し、人に好かれることを恐れ、不意に人生をリセットしたくなる。そんな二十代を長らく生きてきた。

それがある日突然「なんともないもの」になったのは、ついここ1年の間の出来事だ。年齢を重ねたからもある。だがそれだけではなく、酒に飲まれることを知り、何重にも鍵をかけた心の柔らかい部分を人に(自分の意志とは別に)曝け出し、そしてそれを見ても変わらず愛してくれる人がいてくれたおかげだと思っている。
わたしは、良い酒を飲んできた。

三十代になった今、当時とは酒の愉しみ方が変わった。酒屋を巡り集めたウイスキーの数は60本を上回り、毎晩、夫と共にテイスティングノートをつけながら、鼻と舌でその香りとコクを楽しんでいる。夫の携帯の中に、大騒ぎするわたしの動画はない。

ウイスキーは熟成年数が長ければ長いほど価値が高いとされるものが多い。長い月日を経て、こどもが成熟した大人へと成長するように、ウイスキーもまた樽の中で熟成され、最高の香りとなる。

ウイスキーには賞味期限がないという。それどころか、開封してから「開いた」ウイスキーは、開封したての頃よりも風味が増して美しい味がする。
わたしの人生にも賞味期限はない。年を取るごとに、生きやすいように開いていく。

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