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祖母の忘れもの

 「さいきん、ご近所に ちいちゃいワンちゃんがいてね、お散歩中に私のことを見つけると、ワァッと嬉しそうな顔をして、動かなくなっちゃうのよ」

自称89歳の祖母が語る、推定500回目の「さいきん」の話である。
83歳で認知症を発病した、実年齢86歳の祖母は、10年前の「さいきん」をずっと生きている。わたしは何度でも「それはいいね、何色の犬なの?」と笑顔で返事をする。

認知症が発覚してからの3年間で、祖母は多くのことを忘れた。
前回会ったときは、時計の読み方を知っていた。
前々回会ったときは、炊飯器の使い方を知っていた。
直近で会ったとき、わたしの名前が喉から出てこなかった。

わたしの名前をしばらく考えて、祖母は恥ずかしそうに、最近散歩中に出会った犬の話をした。祖母の顔を見るとワァッと嬉しそうな顔をするらしい。わたしは祖母の話を聞きながら、「それはいいね、何色の犬なの?」と返事をする。

祖母が語る「さいきん」の話はこれだけではない。
戦後に父が精神病を患い働けなくなったこと、母の手助けのために残飯を工夫しておやつにしたこと、末の幼い弟が亡くなったこと、看護師として下働きをしながら看護学校へ通ったこと、姑と夫と前妻の子に虐められたこと、そして、孫が誕生して嬉しかったこと。

祖母は決まってこの順番で「さいきんの話」をする。話の最後に必ず「ユウカちゃんが生まれてきたとき、こんっなに小さくてね。」と、わたしの手を取る。そして、

「ユウカちゃんと出会えたことが、いっちばんの幸せなのよ」

と、満足そうに締めくくる。わたしは祖母のぱさついた手を握って、「あーちゃん、また同じ話してるよ」と静かに笑う。「さいきんの話」を終えた後の祖母はいつでも、人生でいちばん幸せそうな笑顔になる。

祖母はいつも笑顔でやさしく、町中の人気者だった。祖母の苦労を知る人はいない。祖母が「さいきんの話」をするようになるまでは、その苦労の深さを想像することはなかった。きっと、未来に訪れる幸せを思い描きながら、一生懸命生きてきたのだろう。そしてこれからも、忘れていいものから順番に忘れて生きていく。ほど良く、ここちよく、忘れて生きていく。


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