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《Bang !》: 私たちの記憶《MEMORIA》

それは音である。その音の中では、《意味》は重力に押しつぶされている。《Bang !》という音で、彼女は目を覚まし、私たちは作品に入る。そして、あなたもこのテクストを読んでいる。私たちはこの作品を通して、《あの音》Bang!をジェシカと同等の質で経験する。映画館というテクノロジーは、ジェシカの鼓膜として機能するのである。

音響技師エルナンは彼女の聴いた記憶あの音を”ここ”に現前させるために彼女の霧のような言葉を聴きながら、少しずつその言葉を音に翻訳していく。〈地球の核から鳴り響く〉、〈もう少し、金属っぽい〉、〈もう少し、土っぽい〉、〈もう少し、丸みがある〉。そして、現代における映画館の音響テクノロジーはミックスルームあそこ映画館ここにおいて、《あの音》の一次的な質を同時に再現する。

〈 低音はヘッドフォンで聴くか、テレビで聴くか、映画館で聴くかによっても聴こえ方が違う。〉

ジェシカの聴いている音と私たちの聴いている音。一体、どれほど違ったのだろう。今回の作品では、映画を堪能することの一次性とは何か、それを知るための体験を存分に提供してくれる。

この映画ミックスルームの中で、記憶は分解されては、編集され、記憶の断片は幾度となく姿を変えて登場する。〈犬〉〈エルナン〉〈交通事故〉〈円〉。その所有者から離れた記憶の断片は、ときには新たな記憶の主語となり、ときには振る舞いに変容する。
さて、この作品の中で復権された記憶メモリアはなんだろうか。ひとつ”この世界の物質的官能さ”であるとは言えなだろうか。映画はもっぱら物質的世界に支えられている。この《ミックスルーム》作品を通して、その記憶のシニフィエの魅力物質的官能さも’音’として表現される。物語の前半であれば、例えば〈紙の本をめくる音〉などが印象的だろう。”彼女はその青白い手で本の見開きを優しくおさえる”。だが存分にその世界が私たちの周りに現前するのは、やはり”忘却できない男”エルナンとの邂逅以降の時間であろう。彼が小岩を撫でるように鱗取りをしている描写から、エルナンとのエピソードは始まる。”消えたはずの男の名前”エルナンを持つ男は、〈見たものは全て記憶してしまう〉から〈村から出ない〉し、〈テレビや映画も見ない〉という。〈だから、こうやって鱗取りをしている〉のだと。そう話している間も、鱗が剥がれる音は私の鼓膜を撫でていた。彼は眠っている間も”夢”見ないのだとか。〈やってみて〉。彼はこの提案に戸惑いながらゆっくり草むらの上に横になる。眠ってる間も、彼は目を閉じず、生を保証するような胸の動きもなく、全く動かないまま死の香りだけ放っている。彼は《紙の本》デッドメディアのように、ただそこに置かれている。その描写の間、”水の音”だけが彼とともに添い寝をし、鱗を剥がされる魚の周りを飛んでいたハエは彼の周りで検分するように羽の音をたてている。彼女も彼を起こさないように静かにその横に腰を下ろす。
ジェシカはエルナンの部屋を、”想い出す”ように歩いて回る。ふたりはエルナンの家で続きを話す。《家》は彼女に記憶を注ぐための映写機として機能する。そしてその映写機は私たちにも、この世界の手触りを”もう一度”教えてくれることになるのである。彼女は彼の手垢にまみれたモノたちに触れることで自らの記憶を想起し始める。〈君が見ているのは君の記憶ではない。私の記憶だ。〉〈私は言うなればハードディスクだ。そして君はアンテナらしい。〉今度は、彼女はハードディスクに直に触れると、《家》の外から誰かが殴られる音が入ってくる。《家》の外で《あの音》が鳴いている。彼女の”涙”の中では忘却と想起が寄り添っている。ハードディスクデッドメディアとしての彼の所有する記憶も少なからず復権される。《あの音》は痕跡を残して遠くに消えて、この映画は幕を閉じるのである。

今回の映画体験ほど、私たちの身体感覚を鋭敏にする作品もない。当然、シアターで作品に立ち会うことと、自分が所有するスクリーンでそれを見ることは全く違う。その体験からはいくらかレイヤーが抜け落ちてしまうのである。この時間で、私は館内での他者の存在を’もう一度'自覚する。この作品の鑑賞後、この《他者》という器の中に新しいイメージが加わることになる。

〈君が見ているのは君の記憶ではない。私の記憶だ。〉すでにこれは”あなただけ”の記憶ではない。映画という多様なレイヤーを統合された記憶として、その作品はそこにある。

*〈    〉内の言葉は基本的に映画内のセリフからの引用である。
*上記の画像はhttps://2021.tiff-jp.net/ja/lineup/film/3403GLS08より
*《Bang !》という表記はユリイカ20223月号に掲載されている清水宏一氏の論考より借用している。


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