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[短編小説]醜悪なもの#1

 海と面した大陸に存在する国家タルドリア。緑豊かで海から見える大きい島が木々の揺れる音、波の音を引き立たせ住民たちの心を癒していた。その島は「実験島」と呼ばれ、人々は口々にこう言った。
「あの島は我らが国家の技術の源」
「知識人たちのみ入れる、技能の訓練所」
「あの島は我が国の象徴である」
 住民も、王もタルドリアに住む者たちは実験島を誇りに思っている。

 なんっておかしな話だろう。タルドリアの技術の源? 訓練所? そんな場所ではない。決して、決してだ。王の統治の上で不要な問題を引き起こす可能性の高い者たちの行く先。愚かで、高慢なタルドリア国王の象徴だ。不快だ、不愉快だ。ここに、この実験島にいるのは我々のような反乱分子とそれを実験に利用する科学者、その反乱分子を管理する二名の管理人。実のところ管理人は名目上置いているだけに過ぎないだろう。ここは科学者が好き勝手にタルドリアにおいて人権を失った者で遊んでいる「実験島」だ。
 私は拘束された手をゆらゆら動かしながら向かいの独房にいる友人へ話しかけた。
「なあ、ダニエル」
「なんだい?」
 こんな場所に入れられたってのに私が話しかけると朗らかに笑って答えるダニエル。それとは対照的に不愛想な私は表情一つ変えずに話を続ける。
「そろそろ、君の番かもしれない。もう君以外実験されてヒトじゃなくなった」
「うん」
 怯えの色すら見せず、ただ私と会話できてうれしいといった様子のダニエルに私は改めて決意をして計画を口にした。
「反乱分子と我らを呼称した奴等へその言葉を現実にしてやろう」
「それがアンドレの望みかい?」
「ああ、そうだとも」
「そっか」
 そう言うと少し寂しそうに実験の結果変化した私の腕を見る。暗い監獄では私の牙までは見えないだろう。私は友を人として生かす為に、手首を繋ぐ鎖を牙で噛み砕く。自由になった腕で鉄格子をこじ開けダニエルの独房前まで歩き座るダニエルと視線を合わせるよう屈んで話しかけた。
「ダニエル。ここで私の反乱が終わるのを待っていたら君も人じゃなくなる。ついてきてくれ」
「もちろんだよ。アンドレ、君が話してくれたから俺はここにいる。君の望みが叶うところを見届けたいんだ」
 そう言って笑ったダニエルの鉄格子を力ずくて開けてダニエルを連れて実験島にとらわれた者たちを片っ端から解放するために移動を始めた。
 灰色の冷たい廊下を歩きながらふと思い出す。ここにやってきたばかりの頃、私は没落した良家の当主だった。ある日、日も上がらぬ早朝に王が落ちぶれていく我が家に訪れただ一言。
 「反逆の意志ありとみなして貴様を実験島に送る、抵抗は許されん」
 そんなことあるか。と大声で訴えたかった。それすら出来ずに口を布で雑に封じられ、抵抗しようものなら首を掻き切ると言わんばかりの周囲の雰囲気に私は大人しく島へと送られた。そこからは地獄と呼称するが正しい生活が待っていた。朝になれば実験、昼は生きるために必要なだけの質素な食事。夕方はまた実験。深夜にようやく寝床として与えられた独房に帰り、また明るくなる前に実験が待っている。そんな日々を過ごして、自分の体が徐々に変化を遂げ始めたころコロコロと入れ替わる周囲の独房に一人新しく入ってきた痩せ型の男。それが今も尚関わるダニエルとの出会いだった。
 その日の私は何となくその男の様子が気になった。まるでこの島に来れたことを喜んでいるかのようなその雰囲気、今にでも死んでいきそうな不安定さ。なぜそんな様子なのかあまりにも今まで来た奴と違いすぎて気になった私はその男に話しかけた。
「なあ、君。君だ、私の前でその小さな格子の外の空を眺めている君だ」
「……」
 ゆったりと私に視線を向けたその男が私はすごく恐ろしく感じた。ここに入れられ管理人から蔑視を受けた時は笑っていた男が私には真っ暗な瞳を隠すことなく晒し剰え笑うことなくただ静かに黙っている。その吸い込まれそうな瞳はどこかで見覚えがあった。それは彼の出自を聞いて思い出した。
「私はアンドレ。アンドレ・ ル ・リンダークネッシュ。君、名前は?」
「……」
 じいっと真っ暗な瞳が私から視線を逸らさずにいたが言葉が返ってこないため、私が話し続けるしかなかった。
「没落したリンダークネッシュ家の当主だった者だ。君は何が理由でここに来た?」
 するとようやく男は口を開いた。
「俺は、孤児院の出だ。名前は与えられていない」
「そうなのか」
「……」
 また口を閉ざした男に促すように見つめても私の方の独房はひどく暗く拘束された手足しか見えていないのだろう。何も通じていなさそうだった。そこで私は男に名前を付けた。
「ダニエル」
 急になんだと言わんばかりの視線をこちらに投げかけた男、ダニエルに私は言葉を続ける。
「君の名前だよ。私が今付けた。君はダニエルだ、少なくとも私にとっては」
「ダニエル。か気に入ったよ、死を求める俺に名前を与えるだなんてあんたはひねくれているね」
 ひねくれていて結構だった。そして、先程の彼への恐怖も消え去った。ダニエルが管理人に対して笑っていたのも私に対して何にも関心が無かったのも死への願望が全てだったからだ。
「アンドレ」
「……どうしたんだ? ダニエル」
 心配そうに私の顔を覗き込んだダニエルに笑って心配するなと言ってがしがしと頭を撫でた。
「今更反乱が怖くなったとか言わないよな」
 釘を刺すように真剣な顔で私にそう言ったダニエルへ笑って言った。
「言うわけないだろう」
 目の前のスイッチ一つで監獄にいたすべての実験体が解き放たれる。私は躊躇うことなくそのスイッチに手を掛け下から上へと動かした。
「さあ、反逆だ」
 ガラス越しに次々と開け放たれ、牢獄から飛び出した実験体達。咆哮を上げるもの。真っ先に外へ向かう者。これから様々な行動の鎮圧に苦労するであろう管理人へ憐れみと軽蔑を込めて。ただ一つのメッセージを残した。

 ――愚かな者へ、然るべき死を――。