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[短編小説]醜悪なもの#5

 どろり、先程まで生きていたアンドレの体は上半身下半身が二つに分けられ地へ落ちていく。殺すために動いていたからか、はたまた攻撃を受けるべきと判断したのか、爪痕が顔の右上から左下にかけて血を流す。
 頬を滑る己の血に指を這わせぬぐい取る。これで私は処刑人ですらなくなった。アンドレを殺した時私の役割は、王によって与えられた役割は終わった。ひどく満足そうに笑っていたアンドレがあまりに気持ち悪くて、死んだそいつが羨ましかった。
 アンドレの死体から首を斬り落とし。その首を持ち王城へと足を運んだ。

 結論から言おう。私の行動は、全て無かったことになった。
 王は反乱を鎮圧された。私の切り落としたアンドレの首を掲げ。ニーナは反乱に与した為私によって殺され、ニーナという裏切り者の家族として限界近くあったレドフスカヤ家は使用人含め全員処刑される。反乱は王の類稀なる軍指揮により終焉を迎えこの国は表面上の平和を取り戻した。
 この国に管理人は要らず、反乱分子を殺す処刑人を必要とした。
 何十何百と首を切り落とした。王の素晴らしい統治、平和によって生まれた暗部を只管に消していく。そうして汚れていくと王が、国民が眩しく、同時に同じ人間に見えなくなった。誰も行方不明者を探さない。王の言うことが真実であり、民は疑問を持ってはいけない。
 そう疑問を持ってはいけない。王は正しく、すばらしい指導者である。

 ――そんなのくそったれだと。正面からあの王を否定出来たら、この痛みは無かったのかもしれない。怒りを買い大人しく死ねたのかもしれない。じゃらり、と鎖の音が耳に届く。
「全く不愉快だな。私が気付かないと思っていたか」
「……」
「返事はどうしたのだ、屑」
 屑、それがいまのわたし。たった一度、残り滓の良心が痛んだから青年を一人逃がした。彼は親の教育にも、国の教育にも疑問を持ち。王の統治の棘になった。あと一歩で彼は王の統治に傷をつけられた。だが、それは叶わずに彼は家族を皆目の前で私に殺された。
 彼は私を罵って数年越しに私の手によって死んだ。
 背後でそれを見届けた王は満足そうに笑った。
『お疲れ様。処刑人。君の役割は終わりだ』
 王は言葉を続けた。
『屑の変わりは見つけた』
 そう言った王の瞳を見ることが私にはできなかった。あの時ニーナに向けられたあの瞳が私にも向けられている。その現実が、王の可笑しさに気付いてしまうから。
 そうだ、気づいてはいけなかった。あの細身の黒装束の男がいつのまにか姿を現さなくなったことも。王の統治が圧政に思えるのも。レドフスカヤ家の抹殺も、全て。王のしたこと全て、恐ろしいことだと疑わなければ。私の今までの管理人としての努力も、処刑人としての努力も消え去り、暗く、空の見えぬ牢獄に囚われただ死を待つ屑になることもなかったのかもしれない。
 いや、どうあれあの王は管理人として関わってきた。処刑人として影を担った私を消したのだろう。

 ――ああ、全くくそったれだ。あんな王が、数々の愚かな民たちに慕われ、ただその信仰を、忠誠を守るために狂った行動をとり続ける。それを正そうものなら殺される。気付き正気に戻そうものなら殺される。変革をもたらそうと行動しようものなら殺される。
 狂っている。あの王は、この国の民は、愚かで。狂気に塗れている。彼らにもいつか死ぬ日が来る。ああその時、なるべく苦しみ死んでほしい。だって私は、こんなにも身を粉にして国にささげたのに、残ったのは血塗れの己、私の終わりはこんな自由もなく孤独に餓えに苦しみ。幻に囚われ、誰にも知られることなく死んでいく。なんっって不条理で理不尽なんだろう。
 許さない、許さない。許さないさ、盲目で強欲で傲慢な、愚か者ども! 然るべき苦しみを味わって、私と同じように何も残すことなく消えるように死ねばいい!!

 ――愚かな者へ、然るべき死を――。
 はたして、それが意味するは誰の死か。誰の願いか。そもそも、これを願うに相応しいものなど最初から居たのだろうか。皆に平等に訪れる理不尽で不条理で不愉快な壁。その時、敵対する者は互いの瞳になにより醜悪に見えるのではないだろうか。