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読書日記 2024年4月1〜5日
2024.04.05
一行でも読んだ本について感想や学びを日記としてしたためる形式に変更。滅多に一気に読み切らないので。
批評の「風景」 ジョン・バージャー選集
– 2024/1/23 ジョン・バージャー (著), トム・オヴァ―トン (編集)
英国を代表する美術批評家の批評がアーカイブされたもの。彼に関しては過去にこちらを拝読済み。
李禹煥氏の作品が表紙になっていることもあり、楽しみに待っていました。
「キュビスムの瞬間」の章は特に面白かった。美術批評というより小説アンソロジーのようだが、節々に学びがある。文学のように批評を書くのは当時一般的だったのだろうか。
この時代の絵画の役割を示す比喩的モデルが、「鏡」である。アルベルティは最初の画家として、水面に映った自分の姿を見るナルキッソスを挙げている。鏡は、自然の外観を映すと同時に、それを人間の手に引き渡す。
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ローマ 国立古典絵画館蔵
一八五〇年には、ドラクロワもこう記している。「もう一〇〇回も自分に言い聞かせていることだが、絵画(絵画と呼ばれる物質的なもの)とはいわば口実であり、画家の心と鑑賞者の心とをつなぐ懸け橋でしかない」
芸術は長い間、自然を模倣・称賛するものと考えられていた。こうした誤解が生まれたのは、自然の概念そのものに、望ましいものが投影されていたからだ。だが、そのような自然への視点が取り除かれたいまでは、芸術は、与えられたものだけでは不十分だという私たちの感覚を表現していることがわかる。私たちには、与えられたものを感謝して受け入れる義務はない。
芸術は、幸運と失望とを仲裁する。それは、恐怖を高めることもあれば、はかないものに永遠の価値や意味を与えることもあれば、望ましいものを描写することもある。
へんなの
– 2023/2/16 国崎☆和也 (著)
ランジャタイ国崎さんには「おもろすぎる」という感想しか湧かない。息できないくらい笑ってしまう。
これまでお笑いを見ている時、「ここが笑いどころだよ」という芸人さんからの空気を察知して笑うことが多かったんだな、そんなことを気付かされた。
あのとき、「このことは絶対忘れない」と思ったこと。今でも思い出せること。それが、本当に嬉しい。あのおもちゃ屋も、おじさんも、忘れてない。
過去、多分幼稚園か小学生の時、すぐに現在が過去になるのに気づいたときすごい怖かったのを思い出した。「なんとかしなきゃ!!」と思って、一分おきに考えていることを白い紙に書いていたことも思い出した。成人し返してから見直して、怖くてもう見てないけど。
この本は、またしばらくしたら、もう半分を大切に読もうかな。
(見えない)欲望へ向けて ――クィア批評との対話 (ちくま学芸文庫) 文庫
– 2022/2/12 村山 敏勝 (著)
クィアだったりジェンダー関連の書籍は全く読んだことがない。
にも関わらず、なぜか2年前に購入していたもの。最近見たアニメに影響されて手に取った。
本書の概要はこちらがわかりやすい。
一見固定した性的枠組みが機能している場所に斜めの線を引き、アイデンテイティの機能を書き換えていくことは、また違った作業である。課題は、見ること、批評することを通じて、いわば動詞的に「クィアする」とでもいうべき介入を通じて、見えない欲望を引き出し、新たな解釈を生産することなのだ。
解釈の生産は、文学批評にせよ、映画批評にせよ、表象研究の制度そのものである。
クイアな姿勢は、あらゆるものの再解釈を要求するしわれわれの世界を規定しているヘテロセクシュアリティという規範を疑うことによって、同じ文字列がいかに違った姿を帯びることか。
英文学における推理小説からティーン向けまで批評していくさま、たまに胸をえぐられるような気持ちになることもあるが悪くないかな。「見えない」ものを言語化されて提示されるから仕方ない。でも出てくる作品自体が知らないものばかりなので、ちょっともったいない気分だなあ。
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