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自信と過信

考え事をしていて
「自信」と「過信」は度々混同しているな
と、ふと気付いた。

誰かに「自分に自信ありますか?」と聞かれたら
私は「はい」と答える。
自分を信じている。
それは自分が凄いとか、実力が平均以上だとか
思っているわけではない。

例えば「あの人自信家だよね」と言うとき、
おおよそ嫌味のニュアンスが含まれていて、
「あの人は自分を過信している」という
意味だろう。

「自信」は
根拠のあるものか、根拠のないものか
で二通りの意味合いがある。

根拠ある自信は、自分と向き合ったり分析したり、他者からどう見られているか冷静に考えたりすることを積み重ねて生きていくうちに獲得できる。
その積み重ねをせず、自分を根拠なく信じていると「過信」になる。

昔、私は自分が嫌いだった。
それは自信がなかったという意味と似ている。
自己の情報が足りておらず、
自分を好きになれる根拠が足りていなかった。
30代前半辺りから、徐々に自分を好きになれるようになり、自信が持てるようになっていった。
ある程度の自己情報が集まり、客観的に自分を受け入れられるようになり、視野も広がって楽になった。

とても長い時間を費やして自分を知ったので、
40代の私は今「自信」が持てる。


そんな気付きを言語化して
記しておこうと思った。

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