安楽死について(雑感)
ALS患者に関する嘱託殺人事件で医師が逮捕されたと報じられている。
日本刑法は、自殺を犯罪とせず、自殺への関与を処罰の対象とする。自殺の教唆、幇助、嘱託や同意に基づく殺人が処罰され、ただ、法定刑は6月以上7年以下の懲役と、死刑まである殺人罪よりも著しく抑えられている。これは、生命という法益の主体が自ら法益を放棄していることで、当罰性、違法性、責任が低いと評価されているからだろう。
現在は、自殺は自己決定権の観点からも論じられる。自殺は、あるべきものではない。しかし、人格権の一環として自己決定権を最大限に尊重するとき、自殺は究極の自己決定として、それを認めないのは難しい。その点、日本刑法は時代を先取りした先見の明があったと言えるかもしれない。
そのような見地から、自殺関与の違法性も見直されるべきだろう。そこで、安楽死が問題になる。
この点に関し、著名な東海大学事件で、横浜地裁は、安楽死への関与が違法性を阻却する要件として、医師が行うことを前提としつつ
1 患者が耐えがたい激しい肉体的苦痛に苦しんでいること
2 患者は死が避けられず、その死期が迫っていること
3 患者の肉体的苦痛を除去・緩和するために方法を尽くしほかに代替手段がないこと
4 生命の短縮を承諾する患者の明示の意思表示があること
を挙げた。これは、その後も、安楽死において違法性が阻却される要件として、広く是認されている。
今、問題となるのは、上記の要件に狭く限定せず、自己決定権行使に寄り添う自殺関与を、より広く違法性を阻却すると考えるべきかどうかだろう。ここは、様々に議論されつつ、日本では議論がまとまらないまま現在に至っている。人の終末の在り方については、様々な考え方がある。しかし、こうあるべきという自らの考え方を他人に押し付けられない、その人の自己決定に委ねるというのが、自己決定権尊重のあるべき姿だろう。そう考えた場合、東海大学事件における上記要件は、狭く限定しすぎているのではないかという議論が、起きておかしくない。
冒頭に触れたALS患者の事件を一つの契機としつつ、ポジショントークではない、建設的な議論が展開されることを望みたい。
亡くなった患者さんは、前向きに、活発に生きてきた方だったと報じられている。晩年の辛さ、葛藤には察して余りあるものがある。そのご冥福を謹んでお祈りしたい。
以上
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