2001年宇宙の旅 IMAX版で思考が加速した。
書くぞ書くぞと思いながら、なかなか更新できてなかったnoteですが、
今日観に行った映画体験がすばらしかったので、興奮をそのまま書き出すぞ!
1968年に公開されたスタンリー・キューブリックの「2001年宇宙の旅」。
もちろん、公開当時は生まれておらず、いままで親父と一緒にVHSで見た経験はあるが、エイリアンも出てこないしレザー光線もないしフォースも活躍しないのでうたた寝しながらの記憶しかありませんでした。
いつか観ようと思いながら、いつも後回しにしていたこの名作ですが、今年は制作50周年ということでいろいろと特別企画が盛りだくさんのようで、「この機会を逃してたまるか!」と、今日やっと鑑賞することが叶いました。
2018年は「2001年宇宙の旅」制作50週年!
遡ること約2ヶ月前。
「公開当時の本来の映像と音の再現を追求した『2001年宇宙の旅』が公開されるらしい」
という噂を聞き、Googleカレンダーに予定をセットし、まだかまだかと待ち望んでいた国立映画アーカイブの期間限定上映。チケット販売開始と同時にWEBサイトにアクセスしたにも関わらず、一瞬にして完売してしまいました。
しかも、当日券を求めて会場に行ってみましたが、長蛇の列で到底買えそうに泣く泣く断念。地方から飛行機で来た猛者もいたようで、本気度が全然違いました笑
めっちゃ楽しみにしていたので悲しかったし、いろいろな媒体で70mmでの公開の希少さや、フィルム撮影おばけのクリストファー・ノーラン監修という背景などを知って、かなり沈んでいました。
※詳しくはこの記事参照
ただ、そんな僕のことや、全国のファンのことを見捨てなかったのか、TOHOシネマズはじめ、IMAXシアターでの全国展開が告知され、小躍りしました。まじで。
ここでは、映画自体のレビューと言うか、感想については置いといて、今日感じた「過去の名作に触れる大切さ」について書きます。
過去の名作に、"いま"あえて出会う価値
ちょうど最近、ドラゴンボールハラスメントに関する記事が話題でした。「これ読んでない奴は〜〜!」ってうざい先輩の話は、もちろんウザイので同意しますが、個人的には過去の名作に触れるのは絶対に大事だと思うのです。
しかも、無駄は一切ない行為だと思うのです。
理由①:みんなが評価しているには、それなりの理由がある
名作と言われているものって、映画でも音楽でも漫画でも小説でも舞台でもドラマでも、どのような形式であろうが多くのファンが居るわけじゃないですか。
もちろん、好みは人それぞれなので嫌いな人もいるでしょうけど、長い間語り継がれるものって、「ちょっと好きかも〜」って人だけじゃなく「死ぬほど好き!タトゥー入れる!」みたいな信者もいると思うんですよ。
そのような名作に触れてみて、自分も好きだと感じたならば、普通に「名作に出会えてやったー!」じゃないですか。
逆に、自分は好みじゃなくとも、自分のセンスではナシだとしても、
「なんでみんな好きなんやろ?」「どこがみんなに刺さったんやろ?」
って気になりません?
それって、自分の「好きの基準」を明確にするというか、輪郭をはっきりさせる意味でも価値があると思うんですよ。それは、決して時間の無駄ではないと思ったり。
理由②:自分の”大好き”を満たしてくれるかも
例えば、先の記事のドラゴンボールを例にすると、
「7つのボール集めを達成すると願いが叶うイベント発生」
「主人公は、実は普通の人間ではない」
「怒りをきっかけに金髪になる」
「親子2代にまたがって物語は進行」
っていう要素を全て兼ね備えている作品って、ドラゴンボールの専売特許みたいな側面あるじゃないですか。もちろん、ちょっと似たような作品もあるでしょうし、それぞれの要素を持っている作品はある。ただ、4つも要素が揃ってしまうと、多くの人は「ドラゴンボールっぽい」って感じると思うのです。
ということは、新たに何かを創り出す人って、オマージュなどは除いて、過去の名作の表現とか極力避け、あまり被りのないオリジナリティを生み出そうと努力してるはずなんです。
だからこそ、もし「『ドラゴンボールっぽい要素』が大好きな人で、ドラゴンボールに出会えて無い人」って、今後その”大好き”を満たすものに出会えないんですよね、ドラゴンボールを除けば。
自分の好きを満たすものが、もう既に過去にある可能性もある。だから、好きなジャンルや系統のクラシックに触れることは、自分の大好き探しの意味でも無駄ではない。
理由③:だって嬉しくない?
そもそも、何かしらの名作に「触れてみよう!」って思うってことは、コンテンツに対して興味があるというか、好きな作品がある人だと思うんです。
「初めてのジャンルだから、無難に名作にするか!」って事もあるでしょうけど、そのきっかけは、自分の「好き」から派生した結果だと思うんです。
例えば、
「今回のアルバムは、歌舞伎にインスピレーションを受け、間の取り方などを参考にしました」
って好きな歌手がインタビューで話してたら、ちょっと観たくなるじゃないですか。
それで、実際に歌舞伎の名作を観劇し、自分に合わなかったとしても「あのインタビューの意味はわかった。確かに通ずるものはあった」みたいな喜びあるじゃないですか。
今の時代、インターネットで調べたら、
「○○の作風は、後の作品に多大なる影響を与えたと言われており、△△や☆☆もファンだと公言している」
みたいなの山ほど出てくる。
自分が好きなアーティストが影響を受けているオリジンに触れられたら、自分の好みがどうであれ嬉しくない?
未来の名作に、"いま"あえて出会う価値
そんな事を考えつつ、あらためて「2001年宇宙の旅」の話に戻すと、
この作品を50年前に観れた人って、すごく幸せで羨ましいと思うのです。
(当時の時代背景と補足すると、アポロ計画の月面着陸の前年に公開された)
だって、あの宇宙の表現とか、クラシック音楽の使い方とか、ラストシーンとか、その後の映画の形を変えてるじゃないですか。
しかも、映画だけにとどまらず、アニメやドラマなど、映像作品に対する影響ってすごいと思う。
SFへの影響は言わずもがな、間の取り方とか静寂の使い方はホラーに通ずるし、挙げだしたらキリがない。
もちろん、今の作品と比べると、合成が甘いとかあるけど、そんな部分はどうでもいいくらい、優れている表現があると思う。
(観たことない人は観てほしい!できるならIMAXで! )
で、そんな節目になった作品とリアルタイムに出会えて、その後の変化も一緒に歩んでいけた映画好きって幸せだったろうなーって思います。嫉妬します。
例えば、今年でいうと「カメラを止めるな!」も、あそこまで話題になったから、もしかすると今後「カメ止めに影響受けた」みたいな作家が現れて、表現方法が変わっていく可能性もあるんですよね。
だから、いまのタイミングで、いまのクリエイティブに触れることは、過去の名作に触れるのと同じく大事だなって思いました。
今日観たIMAX版って意味では、現代の技術で「大画面&大音量の『2001年宇宙の旅』」を見れるのも、ある種”いま”観ることに価値があった体験だと思う。これは、間違いなく過去の体験とは違うと思うので。
そうは言いつつ、過去作品も現在作品も、すべて観るには時間がなく、
何かを選ぶということは何かを捨てることなので、すごく悩ましいです。
精神と時の部屋が身近にあればと、ほんとに切に願います。
(このような表現ができるのも名作の良さ)
以上のようなことを、今日の映画体験を通じて考えました。
僕にとってのモノリスは、50年の時を越えても生きているこの映画でした。