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赤い公園
――自分を知らないことが生きていることである。悪いことを熟考することが考えることである。 フェルナンド・ペソア
そう、これは君に宛てた手紙だ。僕はこうやって他人の言葉を使って、君に伝えたいことを拙いながら書こうとする。エピグラフがある手紙なんて、きっとそうそうないだろう。でも、そもそも伝えたいことがあるかもわからないんだ。それでも、こうして書き始めてみようと思う。
僕と君はもうしばらく会っていない。それは時間にすると五、六年になるだろうか。言い古された例えだが、小学生が中学生になってしまう、それくらいの年月が経ってしまった。それでも僕の頭にはあの時の君の顔しか浮かばない。もしかしたらもう死んでしまっているかもしれない。その可能性だって捨てきれない。それでも僕は君のために手紙を書く。
「もし、次会うときにどちらかが生きていなかったとしても、また会おうね」
君はそんなことを僕に言った。僕はうなずいたが、その言葉の意味はよくわからなかった。——どちらかが生きていなかったとしても。そのどちらかっていうのは僕なのか君なのか、そういうことが気になった。こう言っては失礼かもしれないが、死ぬのはきっと君だろうと思っていた。どうも君には生きる気力というものが欠けていたように思う。いまにも消えてしまいそうだった。自死してしまいそうだとか、そういうことではない。ただ、生きているのにもう目の前にいないような、目の前にいるのに触れられないような、そんな気配があった。
じっさい、いま君が生きているのかさえわからない。死んでいるのかもしれない。もしかしたら、そのどちらでもないのかもしれない。それでも、僕は君に手紙を書く。きっと手紙なら、どこまででも届くだろうから。
「かくれんぼしよう」
公園だった。僕たちが住んでいるところの近所にある、比較的大きな公園だった。僕たちはその公園を赤い公園と呼んでいた。夕方、陽が当たるとどうしてかその公園だけ赤く染まるのだった。赤い公園で僕たちはかくれんぼをした。
「もういいかい?」
そんな言葉を僕は叫んだ。今となっては信じられないことだ。そういう子ども時代が僕にもあった。君にもあった。子どもといっても、僕らはもうそのとき中学生だったはずだ。年齢に似つかない遊びを、僕たちはしていた。それこそが僕たちのアイデンティティになっていた。
返事はなかった。まだ隠れているのか、それとも遠くに行きすぎて聞こえないのかと思った。だからもう一度僕は大きな声で言った。
「もういいかい?」
「まあだだよ」
君は子どもみたいな声で言った。中学生の割に、声変わりもロクにしていないようだった。細くて甲高く、僕はその声が苦手で、そしてとても好きだった。目覚まし時計の声にしたいくらい、好きだった。君の声だったらどんなに寝不足のときでもすぐに起きれるだろうと思った。
そのときも夕暮れで、公園はすっかり赤くなっていた。広い公園なのに、僕たち以外だれもいなかった。赤い公園はいつもそうだった。僕たちは団地に住んでいたから周りには同い年くらいの子供たちがたくさんいたはずなのに、僕は君としか遊んだ記憶がない。
僕は律儀に目をつぶり、そして手で顔を覆っていた。そういう性格が、いまも僕の生活を苦しめていた。生真面目ということだ。社会というのは不思議なもので、子ども時代は真面目さと奔放さが求められるのに、大人になるといかに上手に手を抜くかということが求められる。いかに上手に手を抜くかが、つまりは真面目さということだ。僕は真面目に座っているだけなのに、周りに苛立たれることがよくあった。
「もういいかい?」
三度目のその言葉は、広い赤い公園にやたらと響いた。いままで一番響いていた。まるで本当にだれもいないかのようだった。返事はなかった。僕はどうすればいいかわからなかった。ここで目を開けてしまったら君との約束を破ってしまうことになるし、だからといっていつまでもこうしているわけにはいかなかった。このままでは日が暮れてしまう、そんなことさえ思った。
そのときだった。空から大きな音が聞えた。鳥の群衆だった。見たこともない鳥が、百羽ほどはいる群衆で飛んで行った。
私は思わず目を開けてしまった。鳥が飛んでいく姿を見ていった。その姿はあまりにもきれいだった。このあたりに鳥が飛ぶところはほとんど見たことがなかったから、見とれてしまっていた。たまに見たとしても黒いみずぼらしい鴉くらいしか見たことがない。それがあの鳥は、白く、大きく、それでいて大群だった。赤い夕焼けに飛ぶ白い鳥は、なんだか神々しくもあった。
ふと、君のことを思い出した。君はどこに行ってしまったんだろう? 僕はもう一度つぶやいた。「もういいかい?」もちろん返事はかえってこなかった。それでもう一度言った。「もういいかい?」返事はなかった。
君とはそれ以来会っていない。君はいったいどこに行ってしまったんだろう? そもそも君なんて本当にいたんだろうか、私の妄想に過ぎないのだろうか、だとしたらいったいどこまでがホントウで、どこまでがウソなんだろう? そのことが知りたくて手紙を書いたわけではないんだ。では、いったい何のために?
実はもうとっくに手紙は書き終わってる。なんてたって、書きたいことがなかったからだ。そもそも君が本当にいなかったとしたら、書くことなんてあるわけがなかった。そんなわけで、すっかり迷子になってしまったこの手紙は、いつ筆を持つ手を止めるか、それともインクがなくなるのことを待つにすぎなくなっている。
僕はいまだに君の返事を待っている気がする。「もういいかい?」そう問いかけたんだ。一度は「まあだだよ」と答えてくれた君はどこに行ったのか?「もういいよ」その言葉だけが聞きたかった。それさえ聞ければ、もう君がどこに行ったかなんてどうでもよかった。
だから僕はまだ君に問いかける。
「もういいかい?」
でも君は答えない。きっと君は答えないだろう。まだかくれている途中なのかもしれない。赤い公園で、きっと君はまだ隠れている。遊具も木も少ない公園だったから、隠れる場所がなくて困ってるのかもしれない。だとしたら僕は君にひどいことをした。探しもせずに帰ってしまったのだから。
僕は君に謝りたい。だから、手紙でもう一回聞く。
「もういいかい?」
返事はない。それでいい。僕は永遠に待つ。たとえ君が存在しなかったとしても、僕は永遠に生きてこの世界で君を待ち続ける。
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