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根の話

枯れていた木が、いつの間にかピンクの花を咲かせたり、みずみずしい葉をつけはじめている。春や初夏の訪れは、いつも周りの植物が教えてくれる。記号としての暦では、知識として春を知っても、感覚では感じられない。色彩で、季節を知る。

植物は、誰に教えられることもなく、花を咲かせる時期を知っている。花を咲かせる役割も知っている。花はどんなかたちをしようが、美しい。生えたところから動こうとせず、まっすぐ素直に生きて、いのちを全うする。

それに比べて、わたしたちは、何かの世界観がどこかにあると信じ、何かのやり方をいつも誰かに聞き、聞いても飽くことなく、また何かを知りたがる。右を見て、左を見て、あっちに行き、こっちに行き、落ちつくことがない。素直に上を見て、まっすぐ生きている人なんて、この世に存在するのだろうかと思ってしまう。

明日はあると思っている。しかし、いま生きているいのちは、明日を知らない。なのに明日はあると、信じて疑わない。

植物は、明日のことを考えているのだろうか。生まれたところに根をおろしたら、動けない植物は、何をされてもなされるがままで、逃げることもできない。そもそも感情がないと言われればそれまでだが、いのちがある。タネを繋いでいる。

昔、中国を1人で南下し、行先も決めずに深センの街を自転車でこぎまわっているとき、変な木に出会ったことがある。

街で見かける木は根と幹と枝と葉がきちんと分別できる形できれいに役割分担している。イメージの中の木、そのものだ。しかし、そこで出会った木は、枝が下に向けて根を張り、コンクリートをぶち破って、根がむき出しになっているような木だった。見た目は美しくなかった。お爺さんのような木だった。

あとで知ったが、それはガジュマルの木だった。日本では屋久島や沖縄など南に分布する木らしい。中国では南方地方に自生しており、榕樹という名前で親しまれている。

その木に出会ったとき、そこで足が止まった。そのとき、無職で次にやることを決めずに、中国大陸を自由にふらふらしていたわたしは、その木がとても苦しそうに見えた。しかし、過剰に根を張る姿が、根を持たないわたしに、「根」について、問い掛けているようにも見えた。

わたしは何処へでも行ける。中国でも、日本でも、どこか知らない世界へ。しかし、このガジュマルの木は何処へも行けない。剥き出しになった根が、それを物語っている。むしろ、強固に張られた根が、動くまいという強い意思表示をしているかのようだった。

動けることは、自由そのものだ。どこかにつながれて、どこにも行けないという現実があるなら、それは不自由だ。しかし、このガジュマルの木の根の張り方は、それを凌駕していた。動けないことは不自由だと思い込んでいるわたしの考えを。

ガジュマルの木に出会ったとき、その木から、わたし自身の「根」を問われた気がした。そのとき、わたしは答えられる根をもっておらず、その木の前で長い時間立っていた。

わたしにとっての「根」とは何か。日本人であるということのルーツだったりアイデンティティだったりするのだろうか。しかし、それを具体的に現す根は存在しないし、仮にあったとしても、日本のどこに根を下ろせば良いのだろう。生まれ故郷はあるし、家族との関係も良好だったが、そこから出たいと思っていた。むしろ、大学四年生の時の就職活動がうまくいかず、とりあえず日本から出たいと強烈に思って、中国上海へ行き、そのままそこに根付いた。

中国で暮らして、初めて自分は日本人であることに気づいた。しかし、日本のことはよく知らないのに、自分が思い込んでいるアイデンティティは、日本人というだけ。

中国にいる時、自分自身のことを、日本人とも思えなかったし、中国人とも思えなかったし、どちらでもない異邦人だと思うようにしていた。

いつの日か、わたしは「根」を失っていた。物事をななめから見て、遠くから日本の問題や、中国の問題を眺めていた。当事者ではなく、傍観者。本国の人間でもなく、異邦人。まっすぐ素直に生きられなくなったのかもしれない。植物がもっているような、素直さ、謙虚さ、忍耐強さ、自立と共生を忘れた。

ガジュマルの木から、「根」を見つけろ、と言われた気がした。わたしはガジュマルの木に誓ってみた。風船のように飛んでいきそうな自分に、重石をつけて留めてくれるような「根」を見つけることを。

それからすぐに日本に帰国し、実家に戻って1週間もたたないうちに、リュック一つで上京した。根無し草のわたしは、シェアハウスを転々として、1〜2年で引っ越しを繰り返しては、「根」を探し続けた。幸い仕事は一つの職場でさまざまな経験を積ませていただいたので、転職を繰り返したわけではなかったが、住まいは転々とした。明確な理由はあまりない。強いて言えば、その場所が飽きたからだろうか。

仕事はハードだった。「根」を見つけられるどころか、楔を打ち付けられたようにしか思えず、やってくる仕事をやっつけたりこなしたりするために、業務知識を覚えたり、生産性をあげることに勤しんだ。それは決してポジティブな動機ではなく、仕事を終わらせたいという一心だった。終わらせて、この楔から自分を解放して、真の「根」を見つけたいと願う心がどんどん強くなっていった。しかし終わらせようと努力すればするほど、さらに困難な仕事が降りかかってきて、エンドレスだった。客観的にみれば、ブラック企業で働く社畜そのものだった。

結果的に経営判断で事業撤退になり、同時にやっと自分も辞められるときに、仏教に出会った。

そのとき出会った、お釈迦様の言葉。

友よ、生まれることもなく、老いることもなく、死ぬこともなく、
死没して再生することもないような、そのような世界の終わりが、
そこへと移動することによって知られたり、見られたり、
到達されたりすることはないと私は言う。
だが友よ、世界の終わりに到達することなしに、
苦を終わらせるということは存在しないとも私は言う。
友よ、実に私は、想と意とを伴っている
この一尋ほどの身体においてこそ、
世界と、世界の集起と、世界の滅尽と、世界の滅尽へと導く道とを、
告げ知らせるのである。
(魚川裕司著『だから仏教はおもしろい!』内「ローヒタッサ教典」から抜粋)


そのときの自分の心に痛烈にささった言葉で忘れられない。
わたしは、いまここにない何かにすがり、それが理想の何かだと思って、今目の前におきていることに目をつぶって、どこかの何かを追い求めていた。

目の前に、またあのガジュマルの木が投影された。ガジュマルの木は自分が生きていく上で理想的な場所には生えてなかったが、自らの生命力でコンクリートを打ち破って、強引に根付いていた。それは、どんな環境であろうと、どんな状況であろうと、精一杯生きていこうとする姿だったのだ。わたしがガジュマルから問われたのは、どこかにある「根」ではなく、自分自身にある「根」を根付かせる生命力だったのだ。

そう気づかされたとき、中国で異邦人だと思ったはかない経験や、社畜のような働き方だった仕事の経験すべてが、自分の自信になった。

コンクリートを打ち破る生命力と、
根付いたところで文句を言わず、素直に真っ直ぐ伸びて、きれいな花を咲かせる植物たち。

春が訪れる度に、あのガジュマルの木を思い出す。今日も精一杯生きようと思う。

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