人として大切なこと

みなさん、こんにちは。まっきーこと石牧です。お盆ですが、みなさんいかがお過ごしでしょうか。私は久しぶりにお墓参りに行く予定です。今回は楽読の受講生に気づかせてもらった人として大切かなと思うことをつらつらと書いてみたいと思います。

1. 看護師だって人間なんですよね

最近、看護師をされている楽読の受講生さんとWebでお話しする機会がりました。コロナ感染が広がって医療現場の方は大変ですよねというような文脈で、ある看護師さんがライブハウスでコロナに感染して、感染拡大してしまったニュースの話になったときにその方が少し寂しそうにおっしゃったのがこの言葉です。医療に従事している人がそんな感染のリスクがある場所に出入りするなんて自覚が足りない。確かにそれはそうかもしれない。でも、命を扱う現場にいる人だからこそ、コロナという未曾有の危機に立ち向かわないといけない立場なのだからこそ、私たちが知る由もないストレスがあるのかもしれない。そんなひとりの看護師さんが少しでも楽しみを求めて、もしかしたら何か月も前から楽しみにしていたライブに参加したのだと勝手に想像すると、そんな人のことを責めることを私はできないなと思ってしまいました。

2. 「人」を感じないことへの恐怖

毎日ニュースを見れば、今日の新規感染者は何人ですと報道しています。でも、日々見聞きするのは人数ばかりで、そこに人がいることを感じられない。たとえコロナ患者でも仕事があり、家族がいるはずです。でも、そんなこと関係なく人数ばかりがクローズアップされ、悪い場合には、まるで犯罪者のような扱いを受ける人までいる。コロナだけではない。政治を見れば、一方は一国の首相に対して平気で死ねというような暴言を吐き、もう一方は、帰化人や売国奴といったもはや中傷としか思えないような言葉で罵りあっている。社会には様々な意見を持った人がいるのは分かります。でも、もし面識ががあったら、どんなに嫌いな人でもこんな呪いのような言葉を吐いたりしない気がします。為政者だからと仕方ないのかもしれませんが、人間が本来持つべき思いやりや敬意といったものが決定的に欠如しているのではないか、と恐怖にも似た感覚を覚えることがよくあります。

3. 敗戦の日だからこそ

私はよく靖国神社に行きます。そして時間があるときは必ず、遊就館を訪れます。目的は、博物館の最後にある「靖国の神々」という展示を見ること。ここには、特攻で命を落とされた方々の遺書と日本人形が展示されています。この日本人形は、女性を知らずに命を落とした若い英霊のために、そのご家族が来世ではこんな素敵な花嫁を迎えて欲しいと捧げられたものです。そして、さらに進むと英霊の遺影が所狭しと展示されています。展示されているお一人おひとりのお顔を拝見すると、ありありと国のために戦った方々もひとりの人間だったのだと実感することができる。

国も、社会も人間一人ひとりが集まってできていて、それぞれの人生がある。その根幹がずれた瞬間に社会の在り方も国の進む道もズレてくるのではないだろうか。だからこそ、そんな人の手触り感を大切にしてほしい。そして、自分も目の前の人に誠実にありたいなと思います。敗戦の日だからこそ、改めてそんなことを思い出したいなーと思いました。

今日はこんなところで。


楽読のインストラクターやってます♪興味があったらぜひ!


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