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陰陽の法則その3 一陰一陽これを道と謂う 太極の話

 「一陰一陽これを道と謂う」  

健康になりたいと強く思う人ほど、体調が不安定になりやすく、正義感が強すぎる人ほど周りにトラブルが増え、とても明るく振舞っている人ほど、心の闇を抱えている傾向があると皆さんお気づきではないでしょうか?

「一陰一陽これを道と謂う」。易経の繫辞(けいじ)上伝で出てくる言葉です。陰陽はセットで成り立っていて、常にバランスを取ろうとしているのです。

元々生死・善悪・明暗がセットでできているのが、宇宙の法則になるので、健康に対する執着が強ければ強いほど、病気になる不安が顔を出しやすく、善を強く主張すればするほど、悪が目につきやすく、すごく元気で明るい人ほど、落ち込む時は振り幅も同じくなるものです。

どちらかの一念に偏ったら、その反対側が現れて来るのです。

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太極とは

「一陰一陽これを道と謂う」。これはすべての事物の共通の摂理です。陰陽を合わせたものを「太極」と言いますが、太極は「一」を意味します。陰陽合わせたものが「一つ」ということになります。

「太極」という名前をつけたのは孔子でした。以来2500年余りこの名前が変わることはありませんでした。

太は「大」と「、」が組み合わせたもので、「大」は無限大を意味し、「、」は無限小を意味します。世の中にある限りなく大きいものでも、限りなく小さいものでも、森羅万象すべてのものは同じく陰陽両方の側面を持ち合わせて存在しているという意味です。

般若心経の現代文では、このような記述があります。
すべての物事は、これが有る時かれがあり、これが生じることからあれが生じ、これが無い時かれがなく、これが滅することからかれが滅するという相互依存し合う無限の相関関係を成して存在しているのです。

「これ」、「かれ」は陰陽を意味し、生じる、滅するなどの活動は太極の中での陰陽の運動・変化を表わしています。陰陽の図は太極図とも言い、陰陽が抱き合ったまるい図は太極の中で陰陽が交じり合うことによる無限の変化を象徴しているのです。

太極から万物が生まれ、万物は合一する

「易経」の繋辞上伝ではこのようなことが書かれています。
「易に太極あり、これ両義を生じ、両義は四象を生じ、四象は八卦を生ず。・・」

太極という「一」から両義(陰陽)の「二」を生じ、「二」は四象(春夏秋冬の自然現象)生じ、四象は八卦(天・沢・火・雷・風・水・山・地)を生ずる。
これは太極の一から万物が生まれていく過程を示してくれているのです。

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太極から万物に分かれていくのではなく、生ずるという表現に重要な意味があるのでなないでしょうか?

太極から生じた陰陽、陰陽が交じり合うことによって起こる変化、変化の結果が様々な現象化したもの。これを逆にして源を辿ってみると、森羅万象→八→四→二→一というように、帰一、合一するのです。

この一が陰陽の要素を全部持ち合わせているから、分けることはできないのです。
これは陰、あれは陽という絶対的な概念ではなく、陰は陽でもあり、陽は陰でもあるというとても抽象的で混乱しやすい世界観がまた「太極之道」ではないでしょうか?

老子の道徳経第2章でこのように書いています。(一部分)
天下皆美の美たるを知る。
 これ悪なり。
 皆善の善たるを知る。
 これ不善なり。

 故に有無相生じ、難易相成り、
 長短相較(クラ)べ、高下相傾き、
 音声相和し、前後相随う
 是(ココ)を以って聖人は無為の事に処(オ)り、
 不言の教えを行う

解釈
天下の人が皆、美を美として知れば、これが醜さを知る事になって
 そこに差別を生じる。これは悪である。皆が善は善である事を知れば、
 そこに不善が生じる。つまり、善がなければ不善も又無いのである。
 
 この様に、有無、難易、長短、など相対立するものが生じ、高下があるから傾きがあり、音(楽音)と声は共に相和し、前がある故に後がそれに随う事になる。

 この様な事を熟知している故に、聖人と言われる人は、私意作為等の技巧を捨てて自然の働きに任せる(無為)事をその行為の根本におき、又、その時その場のあり様をそのまま自然に語らせる事をもって教化する。

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普段、私達は常に正誤、善悪、上下などの二つの相対立する概念で物事を考え、定義し、理解しようとしていますが、大切な事は、この二者対立の世界こそ様々な価値観や変化を生みだし、森羅万象の繁栄に繋がるのではないでしょうか?

私たちの共通した本質が太極だからこそ、どちらかの一念に偏らず、すべてを認めて共存する大きい心を持てば、心の世界も無限大に広がり、より自在に生きられるのではないでしょうか?

どちらも偏らない「中庸」という言葉について若い頃は平凡な感じがして好きではなかったですが、中庸こそが大きい智恵だと言うことを少し悟って来たのも、大人になって来たということでしょうか。

身体の不調も、陰陽どちらかの偏りによって起きるものなので、すべてにおいて過不足なく中庸にもっていくのが、健康の秘訣でもあるのです。

太極の徳は「中庸」です。しかし、太極の中に陰陽があるかぎりは変化があるので中庸は常でなく、常に目指すものであると言うことでしょうね。

満月と新月のように、満ちては欠けて、欠けては満ちて、常に動きながら、バランスをとっていることも、大きくみれば中庸なのです。

陰陽の法則まだまだ続きます。

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