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チョコレートは叡智の結晶

ウィリー・ウォンカ

12月23日、ウォンカを鑑賞した。大満足。 今の映画によくあるポリコレや問題(環境、人種、戦争)など全くその片鱗を見せなかった。今の世界とは全く違う世界線を見事に引いている。これこそ、私の思い描く【ファンタジー映画】である。
監督はポール・キング。ティムバートンではなかったが、その世界観はとても引き込まれるものであった。 ウォンカ演じるティモシー・シャラメは高い顔面偏差値に負けない演技力。その無垢な純粋さをキラキラさせていた。 見ている私まで、本当にチョコを愛しているんだな!食べたい!と思えるほど。早速、後ほどチョコクッキーを食べましたとさ。
ウォンカはミュージカルみたいな表現かつコミカル。現実じゃ無理だろ〜という突っ込みは一旦置いといて、とことん人に魔法をかける。というか現実から離れるのが映画の一つの側面でもあると感じる。
ところがそれが難しい。人工的な部分を見せない、のも難しいのだ。 ところが、ウォンカは衣装や舞台、機械、CGなどが馴染んでいる。それが人を別世界に連れて行ってくれる。

本当に「チャーリーとチョコレート工場」の世界観が好きだったなと痛感する。小さい頃に原作の「チョコレート工場の秘密」を読んだ時の記憶が蘇る。好きな映画は原作を読み漁っていたなと。

そこで、早速夜に「チャーリーとチョコレート工場」を視聴してきた。はじめにウォンカの性格や生い立ちが今回の「ウォンカ」と全く違っていた。ウォンカでは夢見る純粋無垢な少年だったのに対して、「チャーリーとチョコレート工場」では、捻くれ者の陰キャ発明家という印象だった。前者は母子の愛、後者では父とのギクシャクした関係性が鍵を握っていた。

このことから、この2つの映画には関連がないように見える。というより陰陽のような映画に見える。両者に共通している点はチョコレートの圧倒的地位の高さだ。移りゆく時代の中でもチョコレートは人々を魅了する。

なぜチョコレートは人を惹きつけるのか?

チョコレートは、ポロ・コン・モレというメキシコ料理にも使われるほど万能だ。この鶏肉のダークチョコレート煮の美味しさは、チョコレートが熱を加えられたときの独特の風味の変化に由来するだろう。
基本的な味は舌の上で苦味、甘味、塩味、酸味、うま味を感じ分ける味蕾によって生み出されるが、ほとんどの味わいは嗅覚で体験される。実は、あなたの口の中から漂うチョコレートのにおいこそあの複雑な味の元なのだ。風邪を引くと味覚が消失するのも、鼻の嗅覚受容器が覆われるためだ。
味覚と嗅覚が交じり合う中、チョコレートは口の中で複雑な風味の舞台を演じる。

チョコレートは化学工場

高品質のダークチョコレート製造には様々な要素が絡む。豆の種類や処理方法、気候の変動などが品質に影響し、知識と注意が必要とされる。そんなこんなで、高品質のチョコレートをつくるためには実にさまざまな配慮と注意を要し、そのため良質のダークチョコレートは値が張る。
コーヒーづくりと同様、焙妙することによって一つ一つの豆が小さな化学工場になり、その中でまた別の反応が起こる。焙炒においては、糖がカラメル化、メイラード反応により、タンパク質と糖が結びついて香り豊かな化合物が生まれ、これがチョコレートの奥深い風味を構築している。


地域ごとに異なるミルクチョコレートもまた興味深い。発酵され焙妙されたココア豆を挽いてお湯に加えると、メソアメリカ人によってつくられた元祖ホットチョコレート「ショコラトル」ができあがる。この飲み物はオルメック人やマヤ人の間で長い歴史を有し、儀式の飲み物としても重要視されていた。カカオ豆は通貨として使われさえしていた。
ヨーロッパでの広まりとともに、チョコレートはコーヒーや紅茶に競り勝つ存在となった。しかし、初期の「ショコラトル」は重く脂っこい味わいで、その後の工業的な進歩が、現代の滑らかで美味しいチョコレートへの道を開いた。

以上は「人類を変えた素晴らしき10の材料」という書籍を参考に整理したものだ。

チョコレートは味覚のみならず、聴覚、触覚、嗅覚、視覚と五感で楽しむことができるスイーツだ。時には料理や飲み物としても使われるチョコレートはまさに自由自在に変化する物質とも言える。

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