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僕が台湾に行った理由

25歳の夏休みに、5日間ほど台湾へ一人旅をしてきた。

これを書いている現在、日本はすっかり秋になってしまった。
冷たい風に晒されると、台湾で過ごした蒸し暑いひと時も、なんだか夢のように感じる。
あの5日間を忘れてしまう前に、思い出を残しておくことにした。

台湾旅行に行くと誰かに話すたび、何をしに行くのかと、旅の目的を聞かれた。
旅の目的と聞かれると、何故かその理由が浮かばなかった。

なのでその度に、〇〇に行きたいとか、勉強した中国語を試してみたいとか、景色が綺麗だからとか、ガチャガチャのごとく異なる回答を出していた。
どれも間違いではなかったけど、どうも自分の中で腑に落ちる感じがしなかった。

それでも、やはり台湾に行ってみたかった。
僕がどうして台湾に行きたいのか、知るために台湾に行くことにした。
理由など、後から考えればいいか…という感じで。
それにこの方が、旅人という感じがしてイケてる気もした。5日間だけなのに。

出発は、平日金曜日の終業後。
その日はたまたま、月一の社内会議があった。社内会議では、毎回社長が社員の前でお話しする時間があるのだけど、とにかくギリギリの便で台湾に向かう予定だったので、社長の有難いお話の途中、定時で会議室を抜けた。
事前に伝えてはいたけど、来月の給料が半分になってないか心配だった。
25年の人生で培った、できる限りの申し訳ない顔で、成田空港に向かった。

◼︎台北にて

首都台北に着いた頃には、すっかり日を跨いでいた。
入国審査を抜けると、台湾人の友達の翔さん(名前に翔という文字が入っているので、そう呼んでいる)とその奥さんが、動画を撮りながら僕を待ち構えていた。
芸能人気分で手を振りながら出てきたつもりだったけど、後からその動画を見返すと、恥ずかしそうに周りを気にしながら、半笑いで手を振る奇妙な日本人が写っているだけだった。

翔さんは、彼が日本に語学留学をしていた時に友人を介して知り合った。
ユーモアとホスピタリティに溢れる本当に良い人で、日本語もとても上手。
台北にいた数日間は、ずっとお世話になっていた。

鼎泰豐や西門町、マッサージや夜市など、台北の至る所に僕を連れて行ってくれた翔さんは、事あるごとに「裝逼」のための写真を撮ってくれた。
この裝逼というのは、日本語に訳すと「かっこつけ、自慢、イキる」のような意味がある。例えばInstagramなどに載せるカッコつけた写真やご馳走なども、「裝逼」の一つに当たる。
ただこの単語、外国人が学ぶ単語帳に載っているような言葉ではないらしく、裝逼裝逼と言いながら必死に撮影する僕たちを、一緒に行った焼肉屋の店員さんは、何故この日本人はそんな言葉を知っているのだと爆笑された。

初めて中国語だけで注文した商品。財布が見つからずパニクった

基本的には翔さんご夫婦とほとんどの時間を共にしていたけど、1人行動もした。
当初予定にはなかったけど、適当に取った宿が九份の近くだったので、せっかくだから行ってみた。千と千尋の神隠しのモデルと言われるだけあり、ジブリグッズが山のように売られていた(ここでジブリ商品を買う日本人がいるのかは不明)。

あとは北投の温泉街に行って、ひとっ風呂浴びたりもした。
日本人客が多く、自分も含めて、つくづく風呂好きな国民なのだと感じた。
気温も暑いが、湯の温度も熱かった。

そういえば、九份に行くバスを待っている時、家族連れの台湾人のお父さんが突然僕に話しかけてきたことがあった。

「よおイケメン、筋トレしてる?」

あまりに唐突に聞かれたので、かなり動揺した。
しかも中国語だったので、今言われた事が本当に自分に向けて言っているのか分からず、

「ぼ、僕ですか」

と聞くと、当たり前だろという表情で、そうだと言われた。

「たま…に…」

とおそるおそる答えると、ふーんとだけ言って、そのお父さんは家族との会話を再開し始めたのだった。興味を失う速さが半端じゃない。

その夜、この出来事を翔さんに話すと、ナンパされたね、と言われた。

◼︎高雄~墾丁にて

数日間台北に滞在した後、翔さんご夫婦に別れを告げ、台湾南部の高雄に移動した。この時まで僕は知らなかったのだけど、台湾は月曜休みの施設や店が非常に多い。高雄に着いたのはまさにその月曜日で、行こうかと考えていた観光地やレストランは閉まり倒していた。
町自体も閑散としていて、前日までいた台北のような活気は無いに等しかった。

閉まっているのは仕方ないので、高雄の町を散歩することにした。
幸い雨は降らない程度の曇り空だったので、散歩するにはちょうど良かった(涼しいとは言っていない)。

台湾は、日本とよく似ていると友達から聞いていた。
歴史的背景や地理的関係から、確かに台湾には日本の影が感じられる所が多い。
吉野家もあるし、コメダ珈琲も、ドンキホーテもある。完全台湾製の商品に何故か日本語が書いてあったり、電車のアナウンスも日本語が流れることがある。

でも日本には、波のように押し寄せるバイクの列はない。
漢字も繁体字ではないし、信号機の可愛いアニメーションもない。自販機の代わりにドリンク屋さんがあり、歩道を歩けば家の中でテレビをぼーっと眺めるお爺さんが見える。お洒落なヘアサロンが、古びた家屋と同じように並んでいるし、バイクに乗ったまま朝ご飯を受け取る人達も、日本で見かけることはない。

結局汗でびしょびしょになりながら、そんな台湾の日常を眺めて過ごした。

高雄にはなんと、パチンコ屋があった。

次の日は、バスで墾丁という台湾の最南部まで移動した。
歩けば数分で海に着く、いわば台湾のリゾート地のような場所。

初日は海には入らず、電動バイクを借りて墾丁を走り回った。
電動バイクを貸してくれたおじちゃんは上の前歯が一本もなく、僕の拙いリスニング力では話をほぼ理解できなかった。ただ、自転車に乗れるなら大丈夫という言葉は何故かハッキリ聞き取れたので、とりあえず軽く練習した後、海岸に沿って出発した。その日は本当に綺麗な晴天で、青い空と太陽が眩しく、バイクで風を切るのがとても気持ち良かった。
知っている夏っぽい曲を熱唱しながら、少しずつ夕暮れに染まっていく海と景色を眺めた。

途中、台湾最南端の場所に行ける道があったので行ってみた。
ただしそこにはバイクや車は乗って入れないので、途中の(しかも割と離れた)駐車場にバイクを停めた。古びた無人駐車場だったので、後からやってきた車に乗った台湾人に何度も駐車場の入り方を聞かれた。僕は二輪用の所から入ったため、車の方は勝手が分からず、「外国人なのでよくわかりません、ごめんなさい」と何度も謝罪することになった。申し訳ない。

最南端の場所から駐車場へ戻る時、台湾人のおばちゃんグループとすれ違った。その時、グループの最年長と思わしき女性に、また突然話しかけられた。

「ねぇ、ここからどれだけ遠いの?」

正直かなり遠いのだけど、既に心が折れそうな顔をしていたので

「ちょっとだけ、遠いです」

と伝えると、

「ちょっと!?ねぇ、遠いらしいよ!」

と仲間に愚痴をこぼしていた。しかし別のおばちゃんが、

「運動運動!」

と言って活気づけていた。
なんだか微笑ましい光景だった。

墾丁は海の街というだけあって、メインストリートで行われる夜市の雰囲気も、台北や高雄とは少し違っていた。クラブミュージックをかけたショットバーの屋台やシールタトゥーの店などがあり、その周りにはヤンチャそうな人が多かった。

次の日の朝、朝ごはんを食べる前にビーチに向かった。
まだ早朝ということもあって、泳いでるのは欧米の老夫婦が一組だけで、その二人もすぐに海から上がってしまった。

そんなわけで、誰もいない墾丁の海を一人で泳いだ。
日本以外で海に入るのって初めてだなぁなんて考えながら、海に潜ったり砂浜で寝転んでみたりを繰り返した。浜辺の遠くで、学生らしき団体がビーチバレーをしていた。

墾丁には日本人が全然いないので、日本語の曲も熱唱しやすい

宿に戻って朝食を食べ、再び高雄に戻るバスに乗る。
高雄についた後、台南を目指した。

またも下調べを一切行っていなかったので、乗ろうと思っていた急行電車に乗れねーよとホームにいたおじちゃん係員に言われた(必要なチケットを買っていなかったため)。
仕方なく鈍行電車に乗り、一駅一駅停まりながら台南へ近づいて行った。
途中女子高生4人組が乗り込んできて、一列に席に座り楽しそうに話をしながら、四人で写真を撮っていた。そんな光景を見ていると、自分も高校生の頃、部活の帰りに訳もなく友達と写真を撮ったりしていたのを思い出した。

■台南にて

台南駅に着いたのは、日も暮れようかという時間帯だった。
台南の歩道はやけに段差の高低差が激しく、歩きスマホ=死 みたいな道だった。
実際何回か死にかけた。

宿に着くと、オーナーがウェルカムフルーツを振舞ってくれた。
日本の果物は高いでしょうと言うので、高すぎて普段食べることがないよと話すと、さらに追加のフルーツをくれた。物凄く甘くて新鮮なマンゴーだった。貪るように食った。

それまでの無計画旅行を取り返すかのごとく、観光地を見て回った。
というのも、さっきのオーナーがおすすめの場所をわざわざ教えてくれたからだ。

台南は、台湾で最初に首都が置かれた土地だという。
街を見渡せば、オランダや日本など、かつて台湾を統治した国の面影を感じることができる。そんな中、日本感もオランダ感もない、ひと際目立った建物を見つけた。
『祀典武廟』という、台湾でも屈指の歴史をもつ廟らしかった(日本でいう神社や寺のような宗教施設)。

当然のことながら、僕は廟での参拝方法を知らない。
なので邪魔をしないように、参拝者の様子を眺めていた。
その中で一人、若い青年がお札のような形をした大量の黄色い紙を、燃え盛るかまどに放り投げ、祈りを捧げているのを見かけた。
その行為にどんな意味があるのか分からなかったけど、青年の真剣な面持ちと、かまどの中で燃える黄色の紙が綺麗で、(絶対邪魔だろうけど)ずっとその光景を眺めていた。

そして思った。僕もやりたい!
しかし残念なことに、廟のどこを見て廻っても、参拝方法どころか、その黄色い紙が何なのかという説明がどこにも書いていない。ひとまずケータイで、ググってみることにした。

どうやらあの黄色い紙は、『金紙』と呼ばれるものらしい。
亡くなった人があの世でお金の心配をせず暮らし、良い生活を送ることを祈るためのものだという。

廟の入り口にいた受付の女性に、金紙をやりたいと伝えると、どうやら参拝と1セットらしく、お布施を払うと線香と一緒に金紙も貰うことができた。
ただ肝心の参拝方法を聞こうとしたところで、急に受付の電話が鳴り、その女性は電話を取りに行ってしまった。

片手に線香、片手に金紙を持ちながら間抜けな顔で立ち尽くしていると、参拝に来ていた年配の女性が声をかけてくれた。こちらが外国人ということは全く気が付いていなかったが、やり方がよく分かっていないことだけはすぐに分かったらしい。

凄まじい速さで説明をしてくれたが、全く聞き取れない。
日本人で、初めて参拝すると伝えると、驚いた顔で知っている日本語で挨拶してくれた。もう一度説明をしてくれたけど、やはり全然理解できない。そんなどうしようもない僕を笑いながら、一つ一つ丁寧に、一生懸命身振り手振りで参拝方法を教えてくれた。
本当に親切な人だった。

祀典武廟はとても大きく、参拝する場所が同じ廟の中に何か所もあった。
好きな所で参拝という感じではなく、それぞれの順番が決まっているようだった。
先ほど手取り足取り教えてくれた女性は一通り説明を終えると帰ってしまったので、残りの参拝箇所は、僕より少し前に来ていた女子中学生達の後をつけながら、同じように参拝した。

参拝が終わった後、金紙をかまどに投げた。大量にあるので、何束にも分けて放り込んだ。
燃える炎で顔が熱かったけど、灰になって消えていく金紙は美しかった。

通り過ぎる人達がみんな、手を合わせていく

その後も何か所か観光地を周り、適当に見つけた店で夕飯を食べた後、また夜市に向かった。この旅行では、訪れたすべての地域の夜市に行ったけど、その日訪れた武聖夜市は、他の夜市に比べて日本のお祭りに少しだけ近い雰囲気だった。

夜市をぶらぶらしていると、広場のような場所で大道芸をやっている男性がいた。
台湾人ではないようで、英語と中国語を織り交ぜながら自己紹介をしていた。
彼を囲む形で、お客さんが結構な数集まっていた。自分も見てみることにした。

いざ芸を始めると、客を煽りまくった割には…まぁなんというか…下手だった。
だけど元気と笑顔が眩しくて、時折大技を成功させると、おぉ~という歓声と拍手が響いた。カップルも家族連れも、おじさんもおばさんも、他の観光客も、このなんともいえないショーを割と楽しんでいるようだった。

その時、僕がどうして台湾に来たかったのか、ふと分かった気がした。
そしてどういう訳か、なんだか泣きそうになったので、また適当に屋台を巡った。

すっかり遅くなったので、今旅行で初めてuberでタクシーを呼んだ。
気さくな運転手で、僕が日本人だとわかると、彼のおばあちゃんが日本人なのだと話してくれた。姉はN1(日本語能力試験の最高レベル)を取得してるけど俺は日本語は全然話せないとか、一度東京に行ったけど電車が複雑すぎて大変だったとか、日本人女性は見たらすぐわかるけど、男性は台湾人か日本人か分からないとか…色んな話が移り変わり、あっという間に宿に着いた。名残惜しく感謝を伝えると、

「知り合えて良かった。気を付けてね、約束だよ!良いね? バイバイ」

と言って、また台南の街に戻っていった。

■桃園~東京にて

短すぎる台湾旅も、最終日になった。
昼には桃園空港に戻らないといけなかったので、朝起きるとシャワーを浴びて、身支度を済ませた。ロビーに戻ると、既にオーナーがいて、今度はバナナをくれた。
バナナも高いでしょうと聞かれた。

新幹線の台南駅から、桃園駅に向かう。
本を読んだり、外の景色を眺めながら一時間半ほどを過ごした。
スポーツチーム?の団体が同じ車両にいて、随分賑やかな車内だった。

桃園駅から空港は近く、あっというまに桃園空港に着いた。
荷物検査に行く前に、フードコートで最後の食事をとった。
空港というだけあって、そこで働く人たちや、これから母国へ帰るであろう人、そしてこれから台湾旅行が始まる人々が、たくさん入り乱れていた。

荷物検査を終え、出国の手続きを済ませると、いよいよ旅の終わりを感じた。
ただ、座席指定をしていなかったせいで、避難口の座席になってしまい、非常事態時にどのような対応をするのかが書かれた怖そうな紙を渡されたせいで、余韻に浸るより緊張が上回った。

3時間のフライトは、長いようで短い。
気づけば成田空港に着いていた。

命運を握らされた

家が成田空港から遠すぎるので、家の最寄り駅に着くころにはすっかり夜も更けていた。
帰り道のちゃんぽん屋さんで、大盛りにご飯をプラスして食べた。めちゃくちゃ空腹だった。

帰り道暑くなって、上着を脱いだ。
腕剥き出しのノースリーブシャツだけになると、急に小恥ずかしく感じた。
台湾ではずっとこんな姿だったけど、日本であまりこういう格好の人はいないし、いてもマッチョな奴しか着てない。でもまぁ別にいいかと思った。台湾より風が少し冷たかった。

家に着いた後、自分でも信じられないことに、明日の出勤のための弁当を作った。
服を洗濯機に放り込み、バックパックに詰めた荷物をあるべき場所に戻した。
あらゆる非現実が現実に還っていった。

シャワーを浴びて、歯を磨いて、布団に入った。
恐ろしい早さで眠りについた。

■日本にて

昨日まで台湾にいたんだよなぁとか考えながら、次の朝、いつも通り京浜東北線に乗った。
いつも同じ電車にいるクワガタみたいな髪形のおじさんも、いつも通りいた。

おじさんのクワガタみたいな後頭部を眺めながら、改めて、どうして僕は台湾に行きたかったのだろうかと考えた。

台湾には、『台灣最美的風景是人』と言う言葉がある。
読んで字のごとく、台湾で最も美しい景色は人。これは美男美女が多いという意味じゃなくて、台湾に住む人々の人情や温かみを表現した言葉だそうだ。

旅行に行く前から、僕はなんとなく、そのことを分かっていたのかもしれない。
日本で関わった台湾人の暖かさや、深く結びついた歴史、台湾人の作る歌や映画、台湾を愛する日本人が教えてくれた旅行話、誰かを愛することを制限しない場所。
色んな理由が絡み合って、僕の心の中は既に台湾を好きになっていた。

だから確かめに行きたくなったのだと思う。
自分の中の台湾と実際の台湾に、どれだけ差があるのか知りたかった。
その場所に行くこと自体にとても大きな価値があった。

たった5日だけじゃ、台湾の良いところも悪いところも、本当の意味で理解することは難しい。でも結果的に、僕はやはり台湾を好きなまま、こうやって日本でまた、クワガタおじさんの頭を眺めていた。

きっとこれが答えなのかもしれない。
僕が台湾に行ったのは、台湾で最も美しい景色が見たかったからなのだ。
そうだそうだと、納得した。

おわり

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