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ドブネズミと呼ばれた猫

「#猫のいるしあわせ」というお題タグを見つけました。
それを見て実家の猫のことを思い出したので、今回このタグに寄稿させていただきます。

僕が高校生の頃のおはなしです。
僕の通っていた高校は、夏休みに入る最後の日に学園祭が行われます。
至る所で模擬店や出し物が催され、学園祭の最後には打ち上げ花火が上がり夏休みに突入します。

「夏休みの前に学園祭って変なの」

と、当時はそう思っていましたが、今考えるとなかなかイケてるニクい演出の学校だなと思いました。

そんな僕は焼き鳥を焼いたり、同級生とバンドでステージに立ったりと満喫した学園祭を過ごしました。




夏休みの始まりを告げる花火を見て家に帰ります。
すると、いつも僕が座る食卓の椅子にダンボールが置いてありました。
なんだろうと思い中を覗くと、そこには一匹の子猫が。

黒と茶色と白が混ざる、俗に言う「サビ猫」と呼ばれる模様。
手のひらに乗るくらいの小ささで、鳴き声もニャーとかではなくミーに近かったです。

「ええ!?猫じゃん!どうしたの?」と聞くと

「お兄ちゃんが貰ってきたのよ。びっくりしたわよ本当に」

僕の兄が友人から譲り受け我が家にやってきたとのこと。親もびっくりしたらしい。

「だって最初ドブネズミかと思ったんだもん」

その発言に僕もびっくりしました。確かに綺麗な模様ではないけれど、子猫をドブネズミと言いだす我が母親も感性も凄いものだ。

そうして僕は夏休みと共に、猫のいる生活が始まりました。





子猫というものは、家にあるもの全てがおもちゃに見えるのでしょうか。
何かが落ちていればチョンチョンと触るし、何かが動いていれば一生懸命首を振って見続けます。

特に気に入って遊んでいたのが電気のコードでした。
天井から垂れ下がっている電気のコードを揺らすと、目で追った後にバビョン!とジャンプしてコードを掴もうとします。
僕はその驚きのジャンプ力が面白くて仕方がなく、それでずっと遊んでいました。
元気に走り回るというわけではないが、ミーミーと鳴くその姿はとても可愛らしかったです。



とある日のこと。
僕が外から家に帰ってくると、両親がしきりに猫に向かって何かを呼んでいました。
どうやら僕の知らない間に名前が決まっていたようです。

猫の名前は「ココ」になりました。

ドブネズミと呼んでいた母親としてはなかなかいいネーミングセンスだなと思いますが、何故名前がココになったのか気になります。聞くと

「ご飯とかトイレとか教えなきゃいけないでしょ?それで、ここ!ご飯ここ!とか、トイレここ!ここ!とか言ってたら、"ここ“って言葉に反応するようになっちゃって。だから名前にしたのよ」

僕は「coco」だと思っていたのですが、まさかの「here」でした。
さすがうちの母親だと思いました。


ココは抱っこをされるのを極端に嫌がる猫でした。

僕が抱きかかえると、2秒も経たないうちに全足をピンと突っぱねて脱出を図ります。

「絶対に抱っこなんてされるものか」という強い意志をその度に感じていました。

だが例外もあり、父親にはずっと抱っこされているのです。
父親が「おいで」と声をかけると、トトトっと駆け寄ってきて抱っこをされる。そしてそのまま何時間でも父親の腕の中に居るのです。

僕がココを呼んでも来る事はありません。
むしろ「私を呼ぶなど100年早い。お前が来い」と言わんばかりに廊下の奥や階段の上からニャーと僕を呼びつけます。
行ったら行ったで「何しにきたの?」みたいな顔をしてどこかに行ってしまいます。

あれはなんだったのでしょうか。


ココはよく外に出たがる猫でした。

何かあれば窓から外を見ているし、ベランダに出てシュッとした顔で太陽や風を感じている姿をよく見かけます。

そして父親がココを抱っこして外に出ることも多かったです。
家の前の道をココを抱いてよく散歩をしていました。
巷では「猫抱きおじさん」と呼ばれていたとかいなかったとか。

その間もココはずっと大人しくしていました。父親の腕の中が好きだったのでしょう。

そんなある日。僕が帰宅すると家の前に父が居ました。
またココを外に出しているのだろうと思いましたが、腕の中にココの姿はありません。
おかしいなと思いよく見てみると一本の紐を持っていて、その先にココがリードに繋がれていました。


どうやらココの散歩をしていたそうです。

猫ってこうやって散歩させるんだ。と僕は思いました。

そしてココは僕のことを見て、今まで見たことない顔とどこから出しているかわからない声で威嚇してきました。
その姿はモンハンのネルギガンテのようでした。

僕が何をしたと言うのでしょうか。


上京してからはココに会うことも少なくなりました。

久しぶりに実家に帰ると、ココは家の奥の方のクッションにちょこんと座っていました。



あんなに小さかったのにもう立派な大人猫です。



撫でると嫌そうな顔をしていました。

小さい時あんなに遊んであげたのに。





4年ほど前でしょうか。
ココは病気でこの世を去りました。癌になってしまったらしいです。

でも年齢としては確か16歳。人間の年齢に換算すると80歳くらいになります。とても長生きをした猫だったと思います。
気づけば僕より大人になっていたみたいです。

ココが死んでしまった時、父親はとても悲しみ、しばらく元気が出なかったそうです。
そりゃそうです。毎日のようにココを抱きかかえて一緒に外を歩いていたのだから。

また新しく飼ったりするの?と聞くと

「もういい歳。また新しく飼うことはないな。ココが最初で最後」

本当に我が子のようにココのことを愛していたのでしょう。
ココもたくさんの愛情を注がれていることがわかっていたのでしょう。





猫のいるしあわせは確実にあります。
思い返すと、ココを中心に我が家は笑顔でした。

僕はココがいた生活は両親にとってしあわせだったと思っています。






追伸
最初に「寄稿させていただきます」なんてカッコつけた言葉を使ったことを後悔しています。

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