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自分への値付けから得られるもの

会社という箱から出て、もしくは会社という看板を外して仕事を始めて、ぼくは自分への初めての「値付け」をした。

所属していた会社よりチームの体制やリソースは小さいし、仕事をいただけるだけでもありがたいといった感情から、勝手に顧客優位を作り上げてしまったのかもしれない…。自分の価値は「これだ!」というものは提示できなかった。その結果と振り返りをここでは残しておきたい。

値付けの経緯

広告代理という仕事は、クライアントが出す広告費用に数十%の手数料というのが一般的であるが、自分はこのやり方をやめた。成果を出して、広告費用があがれば、手数料も増えるというこの座組にぼくは疲れ切っていた。
売上をあげればあげるほど、もらう利益のプレッシャーは増え、終わりのない施策の連続と失敗への恐怖を感じ、根拠不明な値引き交渉やリプレイスの脅威から逃れたかったのだ。

採用したのは時間単価制。自分が働いた時間分を顧客に請求するというやり方だ。ただ、このやり方は、1日24時間しかないことを教えてくれる。
時間単価制は案件ごとに、6時間とか8時間働いてほしい、という時間がセットで出てくるので、案件の数は絞られる。そして困ったのが、時間単価について。これまで自分の時間単価なんて意識したことがないし、妥当なラインがわからない。だから「いくらほしい」と提示できないまま、言われた金額で契約を進めてしまった。

その値付けの結果

順調に成果を残せたり、今後成果を出していくためのアクションができてきている。が、時間単価だとこれまで積み上げた行動がキャッシュとして積み上がらない、ということに気づく。手数料モデルだと預かった予算が継続するので、成果を出していると基本的には利益は増えるが、時間単価制だと、成果がでるとその作業から別の作業に移ってしまうので成果には連動して利益が増えない。
もちろん、信頼が積み上がっていないというわけではないのだが、クライアントは時間にお金を払っているのだから時間量を増やさないと収入は増えないし、他の手段の「時間単価の交渉」もそう簡単に上がるわけではない。

という当然の結果に。

値付けに現れた仕事への向き合い方

この結果を振り返ると、プロとして成果を出す仕事とそれにつきまとう責任に始めから向き合わなかったことが、すべての要因だと悟る。逃げ出したのにも関わらず、成果がでたら報酬をよこせ、は、まったく馬鹿げた話である。

ただ、文章にすると、当初からわかりきっていたことが当然のようにふりかかっているだけであるが、「なぜこうなってしまったのか」は自分にしかわからないし、「こうすればよかった」はこれからの経験で言えることだとおもう。

今回、自分から「いくら」の提示をしていなかったことも足りなかったことではあるが、価値は相手が決めるものだから、値付けと価値を連動できる自分であることが一番重要であるとおもう。

一旦このへんで終わりにします。
読んでいただき、ありがとうございました。

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