「父親の職場を見に行きたいと思います」 そう先生に伝えた。 中学生の頃にあった社会科見学……つまり、職場体験というやつである。 「そうか」 先生は少し渋い顔をする。 「まぁ……できれば家族が働いてる会社じゃなくて、別の会社がいいんだけど」 「……」 「……うーん、まあ、しょうがないか。他にアテもなさそうだし」 「はい……」 先生が良い顔をしないのにも理由がある。 本来なら、学校の周辺にある会社へ4~5人で仕事を体験しにいくのが決まりだったからで。 でも、
酒が嫌いなのである。 一言に「酒が嫌いだ」といっても、じゃあ酒の何が嫌いなのかという話になる。 というわけで、この際に全てをハッキリとさせておきたい。 酒が好きな人は見ても「こいつバカ?」と思うかもしれないので、見ないほうがいいです。 先に謝っておきます。申し訳ありません。 では開始します。 ①そもそも酒、マズくない? これ。 美味いか? 酒って。 また、酒を飲んでいる人からこんな言葉を聞いたことがあるだろう。 「このお酒、飲みやすいですね~♪」 ?
弊社で働いていた爺さんが、4月に定年退職することになった。 65歳。 20代の頃に入社した、と話していたので、40年くらい会社にいたことになる。 入ったときから立場は契約社員で、ほとんどバイトみたいな仕事をしていた人だった。 そこまで長く働いていたら一度や二度といわず、正社員になるという選択肢もあったと思う。 それでも正社員にならなかったのは、昔はうちの会社もかなり儲かっていて、正社員にならずとも給料は良かったようだ。 昔は契約社員にも『年2回の賞与』が出ていたら
「○○くん……、日曜日の午後2時に、シティホール○○に来てほしいんだけど……」 携帯電話の向こう側から声がする。 吹奏楽部の圭子先輩(仮名)の声だ。 「……」 俺は戸惑っていた。 学校を休んで自宅のベッドで寝転んでいると、普段鳴らない携帯電話が急に音を立てて動き始めたからだ。 圭子先輩もそうだが、入部した時にみんなに教えた俺の電話番号には、ほとんど誰からも電話がかかってこなかった。母親以外は。 なぜ今になってそんな連絡を圭子先輩がしてきたのか分からない。 「そ
母親の作る料理がかなりマズかったのが判明したのは、俺が大学生になって間もなくの事だった。 高校生までは実家で暮らしていたので、普段の食事は母親が作っており、俺はそれを毎日食べていた。大学に入ってからは東京で一人暮らしを始めたので、自分の意思に関係なく自炊をする事になったのである。 大学の帰り。近所の駅前に西友があったので、そこで『マルちゃん焼きそば』と鶏肉、あとはキャベツとかの野菜を買って帰った。 鶏肉を細切れにしてフライパンで炒める。あとは一口サイズに切った野菜をバラ
スマホでTwitterを見ながら台所でパーラメントを吸っていた。 煙に包まれながら、ふとあの日のことを思い出す。 2013年3月。 俺は福岡は北九州市、小倉北区にあるスーパーホテルの部屋にいた。 就職が決まり、俺は賃貸の部屋を探しに来ている。 隣から母親の声がする。 「アンタ、明日は不動産屋に行くんだから早く寝なさいよ」 俺が「福岡に就職が決まったから部屋を探しに行く」と言ったら。 「ついていく」 と言って聞かなかったからだ。 「ああ」とか「うう」とか適当に言って
国立市のディスクユニオンが閉店し、俺は21歳になっていた。 国立駅南口を出ると、まず目に入るのがクソほど長い『大学通り』である。 その煌びやかな並木道に目を向けず、右の方に歩くとすぐにディスクユニオンがある。 俺の趣味はゲーム音楽のサントラ収集。 週に7日ほど通い、オタクCDが中古で置かれるたびに回収する作業を行っていた。 他の客がロックやポップスのCD棚に目を向けている中、大学帰りの身体が臭いオタクフェイスがもぞもぞと小さいアニメ・ゲームCDコーナーで蠢いている。
「よし」 俺は家具を設置し終えた部屋を見て一息つく。 2009年3月下旬。 俺は大学入試に無事合格し、ついに東京へ引っ越してきた。 4月に入学式をひかえ、かなり気持ちがソワソワしている。 不安がかなり大きかったが「やっと山梨とかいう陰湿な土地から出られる……」という開放感の方が勝っていた。 東京の大学を受験したのも、一人暮らしがしたかったからだ。 もし、実家から通える大学に入学してしていたら…… 想像もしたくない話である。 「さて」 俺は実家から持ってきた
俺が所属する九州の事業所内で大きい仕事があり、東京の本社の方から応援として、30代後半くらいの係長がしばらく九州に滞在することになった。 広島弁を話す彼は、とにかく仕事に一生を捧げているような人間であった。すぐに俺は圧倒されてしまった。仕事の為ならいくらでも残業できるし、その後の飲み会でも2次会・3次会は当たり前、翌日が朝8時出勤だとしても午前4時まで店で酒を飲んでいる。かと思えば翌日は7時30分には出勤してきて、涼しい顔をしつつまたバリバリと仕事をこなすのだった。 そん
最近、”友達”って一体何なんだろうって考えることが多い。 社会人になってもう10年も経つのに、こんなことを考えてるなんて馬鹿みたいだけど。俺以外の世間一般の人がどうなのかは分からないけど、社会人になってからは『友達を作る』という機会が一切無い。というかそもそも『人間』とまともに話すことも、仕事以外ではほとんど無くなってしまった。じゃあ仕事は?というと、職場の同僚はあくまで仕事の同僚であり、『友達』ではない。仕事がなんとなくスムーズに進むように、1人では出来ないことを達成する
「おつかれ~」という課長の声と共に、ドッと疲れが押し寄せてきた。俺は椅子の背もたれに全体重を預ける勢いで、上体を仰け反らせた。ここのところ働きづめで、自分が疲れているということすら自覚できなかったように思う。毎日毎日遅い時間に帰っては「今度休みになったら洗濯しよう…」と思ってから1ヶ月経過した布団に倒れ込む。皮脂の臭いを鼻いっぱいに吸い込むと、次に目を開けた時にはチュンチュンとスズメの声が聞こえてくる。人間、長い時間働いていると頭がおかしくなって、何連勤でも働けるようになるも
明日も仕事だし、眠れもしないのでソープに足繁く通っていた頃を思い出していきたい。 俺は別府で初めてソープに連れて行かれてから、ありもしない『何か』を探すようになってしまった。 その『何か』が何なのか、いまだに分からない。 ただ、初めてソープに行った時に、 「こんなハズない。セックスっていうのはこんなモンじゃないはずなんだ」 と思ってしまったのだ。 セックスの現実を突き付けられて、ある種の虚無感、あるいは「もっと良いセックスがあるはず」という高齢童貞喪失特有の、拗れ
昔、ハムスターを飼っていたことがある。 ジャンガリアンハムスターと呼ばれる種類で、まあ小さくてカワイイヤツだった。 無惨に死ぬのだが…… 「ハムスター飼いたい!!」 家の中に馬鹿デカい声が響く。 姉である。 どうやら、当時テレビアニメ放送中であった『とっとこハム太郎』に影響されたらしい。 「お母さんハムスター買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買って買
………… 以前、生まれて初めて女の子と連絡先を交換したという話を書いた。そのあと、女の子から誘われて食事に行ったという話だ。 それが人生の初デートだった。 さて、その一軒目の居酒屋に行った後の話…… 食事も終わり、1時間程度で店を出た。時計は8時くらいを回っていた。 まあ当然、2軒目に行こうという流れになる。 俺が近くに住んでいるとはいえ、普段ずっと家で寝て過ごしているので、次の店など見当がつくはずがない。 「あ、ダーツバーがありますよ。あそこに入りませんか?」
ペニスに違和感がある……。 そう気づいたのは正月が開けてから3日か4日くらい経った頃だったと思う。 いつも通りの日課としてシコシコとオナニーをしていると、明らかに我慢汁とは違う液体が尿道から出てくるのである。 「膿だ」 白くてどろどろしている。 「………」 「よし」 男性器 膿 検索 → 『淋病 クラミジア』 「なるほどね」 オナニーの途中だったので、ひとまず陰茎擦りは続行し、その日は合計3発を発射。 それから、日に日に症状は悪化していった。 最初は皮の
小学校から不登校だったので、家から出ずにひたすらゲームをしていた。 今思えば、なんでこんな人間が社会人になれたのか、不思議で仕方ない。 中学生の頃はゲーム音楽のサントラを買い始めたので家でそればかり聴いていた。 家のベッドで寝転がって初めて買ったゼノギアスのサントラを聴いていると、急に泣きたくなってゴミ箱がティッシュで埋まってしまうみたいな毎日を繰り返してた。オナニーじゃないです。 ビニール袋を頭から被ってしばらくすると呼吸が苦しくなってくるので、あーこのまま死ねればなーと