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産休・育休中のリスキリング発言について、個人的な見解

今回は、岸田首相の産休・育休中のリスキリング発言に批判が殺到した件について、書きたいと思います。
今さらですが。笑

正直、この件についてnoteを書く気はあまりありませんでした。
なぜなら、どうしてこんなに首相の発言が批判されているのか、当初わたしにはなかなか理解できなかったからです。

批判した人たちの意見としては、
・産休育休中に学び直す時間も体力もない
・子育てってすごく大変なのに、そこにさらに追い打ちをかけてリスキリングを推奨するのは現状をわかっていない人の意見である
といったところが多かったように思います。

最初にはっきり言いますが、産休育休中のリスキリングは、可能だとわたしは思います。本人が本気でやろうと思えば。
もっと言うと、学ぼうとする人たちは放っておいても勝手に学ぶので、
そこに対して政府が支援する必要はあまりないように感じます。(もちろんあったら嬉しいけど)

「学ぼうとする人たちを後押しする」ことに対して、なんでこんなに批判されているのだろう?と正直ずっと分かりませんでしたが、
いろいろと記事を見たり、考えを巡らせているうちに行き着いたわたしの気持ちや、自分自身の「リスキリング」経験について書いておこうと思います。

わたしの「リスキリング」経験


わたしも第一子妊娠中と産後に保育士資格の勉強をして、子どもが0歳児で入園する1ヶ月前に筆記試験合格・その3ヶ月後に実技試験を受け、合格しました。

リスキリング発言批判の中には、「学び直しできるなんて言うのは裕福だったり、恵まれた環境にいる人だけだ!」との意見もありました。
なので、わたしが産前産後に勉強ができたのは
親や夫のサポートが手厚いからなのでは?と思われるかもしれませんが、じいじばあばは両家とも飛行機の距離、夫は特に育休も取らずに普段通り働いていたので平日は基本ワンオペだし、土日も仕事でいないことだってざらでした。
もちろん、サポートしてもらえそうなところはリサーチして、必要なときは頼んだりしました。
保育園が決まるまでは、一時保育は1度利用しました。あとはファミサポさんには実技試験で家を留守にしていた数時間お世話になり、産後ドゥーラの研修中だった知人のお母さんに産後に良さそうな美味しいお料理を作ってもらったことが数回…かな。

とにかく徹底していたのは、産後は自分の身体もメンタルも子どもの状態もどうなっているのか分からなかったので、出来る限り妊娠中に勉強すること
なのでお産の時も参考書を病院に持ち込んでいました。笑
わたしは誘発分娩だったので、バルーンを入れた状態で、痛みが来るまでは勉強しておこ〜みたいな、そんなのんきな妊婦で。
分娩台に上がっても、まだ痛くないからいける!と思って参考書を開いていたときは、看護師さんに「余裕ですね〜」と笑われましたが。
※そのあとわずか数時間でこの世のものとは思えない陣痛をちゃんと経験します。笑

また、産後は子どもが寝たら数分でも勉強することをやっていました。
狙い目は、朝寝と昼寝の時間。
でも家事とかやることがいろいろあったので、聞き流し&暗唱勉強が主にはなっていました。
ノートに書いたことはほとんどないんじゃないかな…ってくらい、勉強っぽくない勉強をしていましたが。

そんなこんなで勉強開始から1年ちょっとかけて保育士資格を取りました。

ふたつほど、もしわたしが人とは違う部分があるとすると、コロナ禍初期でマタニティフォトやマタニティ旅行など、華のある妊婦生活が送れる状況ではなかったこと(つまり暇)と、
わたしは結婚・妊娠をきっかけに引っ越しをしたので妊娠5ヶ月のときに会社を辞め、
その後はフリーランスで気ままにベビーシッターやオンライン家庭教師をしていたので
時間に融通が効きやすかったこと。
それらは産前・産後のリスキリングにいい環境だったのかもしれないです。

だから、当時のわたしにそんなに特別な環境や能力があったわけではないと思うのです。
ただ、ひとつ言えるのは「やろうと決めたらやるぞ〜」という思いだけは持っていたかな?と。
だから、はっきり言って、できるよ!!学びたいと思っていろいろやってみたら、必ずできる!!とわたしは思ってしまうのです。

分断の罠に引っかからず、手を取り合いたい

もうひとつ、今回のリスキリング発言批判を見ていると、正直、すごく肩身が狭い思いをすることがありました。

特に、「子育てしていたら学び直す時間なんてない」という意見を見たとき。
これってつまり、子育てしながら学びをしていたわたしは、「ちゃんと子育てに向き合えていないってこと…?」と思ってしまったのです。

でも、それは絶対に絶対に違う。
娘の成長をだれよりも近くで、たくさん悩みながら見てきた過去のわたしを否定して良いはずがない。
勝手に被害者になって、「わたしってだめな母親」って思うのは、単なる世間に対しての自己防衛です。
わたしが選んでやってきた道なんだから、ちゃんとそこに誇りを持ちたい。
だって、その先に娘とわたしと、わたしたち家族の「いま」があるのだから。

こういうなにかに対する批判とか炎上とかって、
人々を簡単に分断させる力を持つな、と改めて思います。
わたしも勝手に被害者になることで、こちら側とあちら側で分断を作ってしまうところだったなと、自分の思考を反省したりもしました。
本来、子育てを共にがんばっている仲間なはずなのにね。

どんな道を選んだって、それがその人にとっての正解なのだから、
だれかの生き様を批判することで自分を正当化することだけは、避けたいなと感じます。

だからわたしも、第一子の産前産後の過ごし方になにも後悔はありません。

保育士の資格を取るまえから、子どもに関わることは多かったけど、
こうしてちゃんと勉強することで見える世界は明らかに広がったし、
いまの保育士の仕事にも、子どもの居場所づくり活動にも繋がる部分は多いので本当に資格を取ってよかったと思っています。
資格って切符のようなものなので、やっとその電車に乗って、日々試行錯誤で、そこで見えてきた世界や学びは計り知れないものだと感じています。

親なのに自分のために勉強なんてして、自分のことしか考えていない!と言われるかもしれないけれど、
いやいや、自分のことをちゃんと考えないと子育ては出来ません!
わたしがわたしらしく、やりたいことを楽しくやっていることこそが、子どもたちに明るい今も未来も見せることができると思います。

第二子妊娠中のいまも、資格とまではいかないけれどたくさんの「まなび」はしています。
もちろん、第一子の娘との時間をたっぷり堪能しながら。
いつか将来、いまを振り返ったときにはっきりと「後悔ありません!」と言いたいなと思います。


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