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研究と原体験①

こんにちは。デンマークのコペンハーゲン大学で生物物理の研究をしている姫岡優介といいます。めずらしい苗字ですね。

ここ最近は微生物の休眠状態の研究解説記事)をしています。昨年の3月に博士号をとったばっかりの駆け出しの研究者です。

デンマークに来て1年、それと同時にプロの研究者として働き始めて1年が経とうとしているので、これから自分はどういう方向の研究をしていきたいのか、研究者としてどう生きていきたいのか、じっくり自分の心に根を下ろして考えたいと思いました。(公開するつもりでないとどうせ書かないのでnoteで書いてます)

このノートの性質上、かなーーり長文になりますし『とっても役に立つ』類のものではないと思います。ただ可能な限り、私的散文にならないように頑張りました&頑張ります。

長文ノートなので、チャプターごとにノートを分けてちょっとずつ書いていこうと思います。変わっていくかもしれませんが、いまのところ予定は

チャプター1:このノートを書くに至った動機を、かなり細かく書いています。科学者がなぜ原体験を掘り起こす必要があるのか、というのを説明するのがこのチャプターの目標です。
研究者になるための具体的な道のり(ハウツーじゃなくて)と、物事を『理解する』ってどういうことなのかということを延々と書いてます。(このノートです)

チャプター2: 僕のやっている生物物理学がどういう研究分野なのかということを頑張ってそれなりにしっかり書きます。ちょっと専門的になるかも。唯一『役に立つ』パートかもしれない。

チャプター3: ドイツで偶然見たエキシビジョン、"ERROR The Art of Imperfection"で感じた違和感と生命現象におけるエラーの話。今後どういうことをやって行きたいのかを書ければなぁと。

一応何か書くときは事実関係を確認していますが、もし嘘を書いていたら優しくご指摘いただけると嬉しいです。

■研究者としてお金を稼ぎ続ける

高校生のころ、実は研究者になるつもりは全くありませんでした。というか、なんなら思想家ミュージシャンになりたいと思ってました。謎の組み合わせ。

科学者なんて象牙の塔に籠って、社会から隔離されて、何が楽しいんだと思っていたんですが、今まさにその状態にいます。しかも基礎研究というとりわけ社会から遠いことをやってます。(どうしてこんなに変わったのかは今度ちゃんと書きます)

そういったわけで、ちょっと研究者としての進路を考え始めたころ、研究者ってなりたいと言って手を挙げれば簡単になれるようなものだと思ってたんですね。もう完全にナメてました。

しかし実際は、高学歴ワーキングプアやポスドク問題といった言葉にも象徴されるように、なかなか大変な職業みたいです。

研究職には博士号をとった後に基本的に就く『ポスドク』という2−3年任期の雇用形態がまずあり、そこでいい結果を残すことが出来れば(一部の)助教、准教授、教授といった任期無しのポストに就くことが出来て(少なくともお金の面では)一安心、ということになります。

『ポスドク問題』というワードがあまりにも有名なので、『ポスドク』という言葉自体に何かネガティブなイメージがありますが、僕自身としては研究者人生で一番楽しい時期なのではないかなと思ってます。

確かに雇用は任期付きですが、学生の教育・指導の義務なし授業を受け持つ必要性なし、所属組織の運営会議への出席義務もなし。本当に好きなことをやってればオッケーという状況です。しかも勤務時間はフレックス。
こんな好条件で有名な研究者と一緒に研究してその手法を学べるんだから、正直最高だな、と今は思ってます。
(ただこのように感じるのは幸運にも僕のいる研究所の環境がとても良いから、というだけかも知れません)

『任期がある』ということは最悪、所属先のごたごたに巻き込まれても自動的に抜け出せるという、研究者の独立性を保つということと、色々な研究室に所属して見聞を広める、という点で優れた制度だなと思うんです。
その意味で『任期付き雇用』と一口に言っても、企業側の都合で出来ている任期付き雇用とちょっと違いますよね。

これでね、上のポジションが詰まってさえいなければ何の問題もないんですけどね。

文部科学省 科学技術・学術政策研究所が2018年にまとめた 
「博士人材追跡調査」第2次報告書 のデータから作成した博士号取得後のアカデミア(大学・研究所など)における理系の雇用状況のグラフです。

「テニュア」は任期なし、「テニュアトラック制」はだいたい5年の任期雇用の後の審査をパスすれば「テニュア」になれる雇用形態です。

普通に大学、大学院と浪人・留年なしで卒業したら博士号を取れるのは28歳の歳なんので、3.5年後はだいたい31~32歳。それで81%が任期付きというのはちょっと辛いような気もしますが、まぁこれはなかなかどうしようもないですね。

ちょっと脱線しましたが、何にせよまずは任期付きポストで実績稼ぎが博士号を取ってから最初にやらなきゃいけないことです。もちろんいきなりテニュアになる人もいますけど(いいなぁ)

■研究者計画書がかけない

ポスドクや助教ポストは任期付きなので数年に一度、研究者就活をしないといけないわけですね。

そのときの「エントリーシート」に多分相当するものが「研究計画書」です。

こんなのを一生懸命書きます。(一部です)

どれくらいの行間・文字サイズにするのが良いとか、図を多くすると通りやすいとか、審査員に渡るときはモノクロ印刷だからカラーの図はまずいとか、よく分からん噂がまことしやかに囁かれたりします。

研究をするのは本当に大好きなんですが、もうこの計画書を書くのが嫌いで嫌いで怖くて怖くて…

なんでかというと、

研究のアイデアなんて思いついたら全部試してるわ!

良いアイデアだったらもう結果出てるし、結果出てないのは計画書に書けるような良いアイデアじゃないんですよね。

特に僕は理論研究がベースで、紙とペンで数式を解くのと、コンピューターシミュレーションが主なツールなので、アイデアを思いついてから結果が大雑把に分かるのが早いんです。だいたい1週間くらいで輪郭は分かっちゃう。

というのともうひとつ

研究を始める前に、頭の中の漠然とした疑問に輪郭を与えるのが難しい

というのがあります。こっちの方が大きいです。このことについて、ちょっと書いていきたいと思います。

■なにを問うか

『科学者』というと、何か解けない大問題に日夜悩み、ある日突然「分かった!」といって狂喜乱舞する…みたいなイメージを抱く方が多いかも(?)知れません。

それはもちろん正しくて、すごく有名どころでは解くと懸賞金1億円もらえるクレイ研究所のミレニアム問題とか、

ミレニアム懸賞問題とは、アメリカのクレイ数学研究所によって2000年に発表された100万ドルの懸賞金がかけられている7つの問題のことである。 そのうち1つは解決済み、6つは2018年9月末の時点で未解決である。                                                                                                     (Wikipedia, 2019/01/22)

あるいは分野によっては解くべき問題がしっかりと定式化されている場合があります。

ただその一方で、『何を解くべきか、どうすれば「分かった」ことになるか』を探すというのも科学者の仕事です。

僕は一応生物物理学者ということになっているので、

『生命とはなにか』

というのはとても重要な問いです。
でもこれ、どう答えれば問いに答えたことになるんでしょう。

・ DNAやタンパク質などの構成成分を集めれば....

・遺伝情報を全て知ることが出来れば....

例が全然思いつかなくて自分でもびっくりしてますが、もう基本的に生物を構成している物質は分かっているし、いくつかの生物に関しては遺伝情報も全部解析されているんですよね。

もしこういった要素を全部調べ上げて「分かった」ことになるんだったらきっと僕らのような基礎研究者はもういなくて、あとは産業・医療応用をする人がいるだけになっているはずです。
ところが今のところ僕のポストはあるのでおそらく、これだけ生物について明らかになっているにも関わらず、生物について「分かった」とはなっていないんだと思います。

この「何を問い、どう答えれば良いのか」を考えることもまた、科学者の仕事です。

■理解の様式

『分かる』ってどういうことでしょう。

興味のあるものごとについて、寸分違わず、微に入り細に入り説明ができることでしょうか。
例えば、「”水”をどう理解するか」。

1リットルの水の中にはおよそ10の25乗個の分子があります。
厳密にいってこの1リットルの水を『理解する』にはきっと、
この膨大な数の分子の動きを全部知らないといけない
です。しかも水分子は2つの水素原子と1つの酸素原子だからそいつらの相互作用も考えて、いやそもそも原子は電子と陽子と中性子から出来ているからそれも…

杓子定規に考えればその通りなんですが、我々の『理解』はそのようには発展していきませんでした。

もちろん当時、『分子』や『原子』という概念は確立していなかったので当然といえば当然なのですが、構成要素のことはさておき、水は暖めたらどうなるか、圧縮したらどうなるかといったもっと身近なスケールの研究がなされ、例えば水は0℃で固体に、100℃で気体になること、また4℃で比重が最大になることなどが発見されました。

もちろん現代では非常に多くの分子の動きをシミュレーションしたり、詳細な実験がなされたりしていますが、その始まりは凝固や気化といった、とても身近なことでした。

しかもこういった分子レベルの研究は結局のところ、例えば「なぜ水は0度で凍るのか」を解明することが大きな目的のひとつになっており、根本的な問いは分子や原子という概念がなかった時代とほぼ同じだと思います。

ここで少し視点を変えて、もしカメラのついているロボット(動けない)は水をどのように『理解する』のか空想してみます。

部屋にカメラ付きロボットがいて、その目の前に箱に入った水が静置されています。このロボットは動くことができず、単にカメラがついているだけなので、このロボットにとって水は眺めるためだけのものです。

地面の微妙な振動で水面が揺れるので、ロボットはその揺れで光の反射パターンが変わるといったことに気づくでしょう。そしてしばらくたった後に(ロボットが十分賢ければ)その反射パターンがどう変化するかの法則を見つけて、水を『理解した』気分に浸るかも知れません。

僕たち人間にとって水は暖かかったり冷たかったり、場合によっては氷にも水蒸気にもなる存在です。そのため凝固や気化、そして比熱などの研究は我々の「水への理解」にとってとても大きな役割を果たします。

しかし一方でこのロボットにとって水は温めたり冷やしたりするものではなく、「不思議な模様を見せる何か」です。したがって上述の性質ではなく、その模様がどのように変化していくかを理解することの方がずっと重要になるでしょう。

結局何が言いたかったのかというと、
『理解』というものは、その現象を見ている主体とその現象の関係性を抜きにして議論できないのではないか
ということです。

水の凝固点や沸点、比熱がア・プリオリに重要な物理量であるという根拠はどこにもありません。

これらの量は僕らが普段、水とお付き合いをしていく上でよく目にする側面と密接に関係しているので、これらに対する理解が深まると水のことをより分かったような気分になれる、そういうスイートスポットのようなものなのではないでしょうか。

これをもう少し一般化すると、僕らの持っている『科学』は唯一絶対の自然記述方法ではなく、
人間にとってしっくりくる世界の切り取り方のひとつ
に過ぎないのではないかという疑問が湧きます。

もしもAIが科学を作ったら違うものになるかも知れないし、全然身体の構造が違う地球外生命体は違う「科学」を持っているかも知れない。

日々どのように世界と関わりながら生活をしているか。
こういった我々の「身体性」(というワードが良いかは分からないけど)から切り離して『理解』というものを語るのは片手落ちなのではないか、と思うのです。

何気なく思うのは、僕たちは『原因→結果』という構図を何の疑いもなしに信じてますが、例えば時間の流れが感じられない、全て静止した(例えば河は流れ続けているけれど水面は驚くほど静かで変化に気付けない)空間にずっといる生物はそんなこと考えるんでしょうか。何かが発生した後に別の何かが発生する、という原体験なしにこういう論理性を授かることは難しいんじゃないかなぁ

専門的な話なので詳細には書きませんが、物理学は例えば『エネルギー』という概念を導入することで、沢山の法則を数学的に統一することに成功しました。

この『エネルギー』という言葉はもはや日常用語で誰しもが知っている言葉だと思います。ただ冷静に考えて、「エネルギーをこの目で見た」ことがある人はいないですよね。石油からエネルギーは取り出せますが、石油自体がエネルギーな訳ではないです。石油は石油です。

『エネルギー』という量は発明されたものだということです。どこかに『エネルギー』という実体が落ちていて誰かがそれを発見したわけではなくて、もし『エネルギー』というものがあるとしたら水はなぜ0℃で固体になるのか、空気を圧縮した時に温度はどのように上がるのかが、僕ら人間にとってしっくりとくる文法で説明できるということが分かったのです。

ちなみにですが、自然科学(工学ではない)寄りの人はあまり『発明』という言葉を使わない気がします。新しい概念を提唱して、それでなんらかの現象を説明できたとき、それは『発見』と呼ばれます。
これは多分、「偉大な自然界様がもともと持っていらしたものを、我々卑しい人間が発見させていただいた」というマインドがあるか、イデア論的なんだと思います。知らんけど。(僕は”卑しい人間”パターンです)

■研究テーマと原体験

つらつらとここまで書いてきましたがまとめると、

目の前にある問題を「どのような手段で解くか」というのも科学者の仕事のひとつです。
しかしその前段階として、

「何を問い、どのように答えれば『理解した』と感じられるのか」を考える

という側面も科学にはあります。

この『理解』というものにおそらく唯一絶対の形式のようなものはなくて、物理現象のどの側面が僕らにとってのスイートスポットなのか、その都度考えないといけないものだと思います。

これはどちらかというと「こういう風に世界を見ると面白いよ」という、
価値観提示に近い部分があり、一般的な科学者のイメージというよりむしろイノベーターとか、芸術家寄りなのではないかと思って長々と説明しました。いや、イノベーターも芸術家もやったことないから分かんないけど。

『どのように世界を見ると面白いか』を提示するのが仕事、となると
「自分はどのように世界を見ている・見ていきたいのか」という属人的な部分を仕事から完全に切り離すことは困難だと思います。

まぁ誰かが提案した路線に乗っかるのも手なんですけど、そういった道に流れるのではなく、陳腐な言葉ですが”オリジナリティ”をどうにかして発揮するにはやっぱりこれまでの自分の人生のなかでずっと引っかかっていること、そういうどうしようもないものを研究に昇華していくしかないと思うんですね。

そういうものってかなり無意識の部分が大きいので手を動かしたり(計算したり、実験したり)しているうちに見えてくる部分がかなり大きくて、いままではずっとそれに頼ってきてたんです。

ところがその一方で、研究発表を聞いたり、論文を読んでいる時にわくわくする部分ってだいたいいつも似通っているので、完全に無意識のものではきっとない。

これをちゃんと言葉にできたら結構ハッピーだろうな。
研究者のキャリアとしても、人生の充足感としても。

と思ったので、頑張って書いていきます

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