見出し画像

愛しの都営住宅

0.戦後の公営住宅について

戦後、首都圏は未曽有の住宅不足に陥った。としばしば言われるが、実際にデータを検証してみることにする。例えば、昭和25年国勢調査から、「畳数別住宅に住んでいる一般世帯数-全国・市部・郡部・都道府県・6大都市」を見ると、東京の住宅事情が推測できる。
以下の表に示すように、東京における一人当たりの畳数は、総数で1畳少なく、間借り借家とも全国平均よりかなり少ない。都内の間借りにおける一人当たりの畳数は、この時点では全国で最も少なく、2.2畳である。家財道具を考えると、生活には相当不便だったと推察される。尚、全住宅に対する持ち家率は、全国62.26%に対して東京は45.36%、借家率は全国 20.64% に対して東京 28.31%、間借り率は、全国では8.49% だが、東京では16.77%となっており、住宅事情の悪さがよくわかる。

尚、この時点での日本の人口総数は、83,200,000人であったが、東京都の人口は6,278,000人で、日本の8.09%でしか過ぎなかった。戦災の影響で都市部が荒廃しており、昭和30年代以降の過度の人口集中は起こっていなかった。にもかかわらず住宅は不足していたということである。

以降、都市部の復興と共に人口が増加して行ったが、こうした住宅に纏わる状況は継続していた。例えば、昭和30年の経済企画庁「年次経済報告」、経済白書には以下のような記述がある。

食生活、衣生活に比べると住生活の回復は著しく遅れている。全国の住宅不足は昭和30年4月1日現在で約284万戸と推定され、さらに年々約26万戸の新規需要が見込まれねばならない。この莫大な住宅不足は、第一に、戦時中の住宅建設の停滞、維持管理の不十分と、戦災による大量喪失に基因するものである。第二に戦後においても、地代家賃統制令の対象となっている戦前建築の借家の大部分は、低家賃のため、固定資産税と管理費を賄なったあと、修繕費も十分に出せない状況であり、借家人の負担で若干の修繕を行ってもなお不足しているため、年々老朽化を早めていること、また、終戦直後の応急的な簡易住宅が今日では更新を必要とする段階であることなどによってこれらが住宅不足に加わってきていることがあげられる。

年次経済報告

 こうした事情を受けて、昭和26(1951)年に公営住宅法が制定、施工される。これは「国及び地方公共団体が協力して、健康で文化的な生活を営むに足りる住宅を建設し、これを住宅に困窮する低額所得者に対して低廉な家賃で賃貸することにより、国民生活の安定と社会福祉の増進に寄与することを目的とする」とされている。

これは、「衣食住」の「住」を供給することにより、日本国憲法で保障された生存権を具体的に実現することを目的としたもので、新憲法の元では、重要な政策であった。これが、公営住宅整備の根拠となる法律である。

1.都営住宅とその概要

東京都の住宅事情及び都営住宅の概況は、「東京都公営住宅等長寿命化方針」(東京都住宅政策本部,2020年1月)に詳しいので、以下に主要な内容を引用する。

都内の住宅事情:

都内には、住宅が約 610 万戸あり、そのうち借家が約 314 万戸(住宅総数の約 51.5%)を占める。また、公共住宅等は約 54 万戸(住宅総数の約 8.9%、借家総数の約 17.2% )であり、そのうち都営住宅等が約 26 万戸(住宅総数の約 4.2%、公共住宅等総数の約 47% )となっている。
資料:(民間借家、持ち家)住宅・土地統計調査(2013 年)、(公共住宅等)都市整備局都営住宅経営部経営企画課調べ(2016 年3月末時点)

東京都公営住宅等長寿命化方針

都営住宅の建設年代別戸数:

現在の都営住宅を建設年度別にみると、1969年度(昭和44年度)をピークに、昭和40年代以前(~1974年度)に建設された住宅が全体の約4割(約10万戸)を占めている。
昭和50年代(1975年度~1984年度)には、新規建設から建替えにシフトしていったが、建替事業における従前住宅戸数に対する建設戸数等の国の条件(建替倍率木造1.7倍、耐火構造1.2倍以上、1996年度からは「従前戸数以上」に緩和)もあり、管理戸数は増加が続いた。
近年では、新規建設は行わず、昭和40年代以前(~1974年度)に建設された住宅を対象に建替え(年間約3,800戸)を行っており、管理戸数はほぼ横ばいとなっている。
都営住宅の建設年次を区部と市部で比較すると、区部では1961年度~1970年度が最も多く、市部では1991年度~2000年度が最も多い。

東京都公営住宅等長寿命化方針

前記「東京都公営住宅等長寿命化方針」より、建設年度別都営住宅戸数の図を引用する。図に示されているが、昭和49(1974)までで約10万戸とされているが、昭和47(1972)年から急激に減少している。

建設年度別都営住宅戸数

2.全都営住宅のデータ


 前述の「建設年度別都営住宅戸数」では、

東京都では、昭和40年代や平成一桁の時期に集中的に建設された都有施設の多くが、更新または改修や補修の時期を迎えている。

建設年度別都営住宅戸数

と指摘されている。以下に公開されている都営住宅の一覧を元に、東京23区内にある全都営住宅のデータを抽出し、建設年代別に並べてみたもののうち、上位10件が以下である。
ちなみに、都営住宅一覧として公開されてる住宅は993棟であり、建設年度は昭和29(1954)年から平成30(2018)年まで、全(管理)戸数は161,137である。

都営住宅建設年度順位

最古のものは、昭和29(1954)年の建設による江古田アパートであり、以下軒並み昭和30年代が続いている。建設開始年度で言えば、昭和39(1964)年までは17棟、昭和44(1969)年まで161棟、昭和49(1974)年まででは、306棟である。
以下、ストリートビューによって、昭和39(1964)年建設まで、現地の様子を見ていくことにする。

3.ストリートビューで見る都営住宅


・江古田アパート(中野区・1954年建設)

・高橋アパート(江東区 ・1957年建設)

・後楽園第1アパート(文京区・1958年建設)

・第2後楽園アパート(文京区・1958年建設)

・第3江古田アパート(中野区・1960年建設)

・亀戸第2アパート(江東区・1961年)

・高円寺アパート(杉並区 ・1961年)

・深沢アパート(世田谷区 ・1961年)

深沢アパートは、「建設年度別都営住宅戸数」によれば、管理戸数1となっているが、2022年9月時点でのストリートビューでは工事がなされている。2020年9月のデータでは、以下のようにまだ建物が存在している。

・八幡山アパート(世田谷区・1961年)

・第2大塚アパート(文京区・1962 - 1965年建設)

・桐ケ丘アパート(北区・1962 - 1975建設)

・千駄ヶ谷アパート(渋谷区・1963 - 1964建設)

・氷川町アパート(渋谷区・1964年建設)

・台東小島アパート(台東区・1964年)

・花園町アパート(新宿区・1964 - 1965年建設)

・長延寺アパート(新宿区・1964 - 1966建設)

・烏山アパート(世田谷区・1964 - 1966建設)

・新宿二丁目アパート(葛飾区・ 1965年建設)

やはり、昭和20年代の江古田アパートと、昭和32年の高橋アパートが圧巻である。前述の「東京都公営住宅等長寿命化方針」によれば、

これまでの建替対象団地は、昭和40年代以前に建設された中層住棟など約10万戸である。
【これまでの建替実施基準】
(ア)計画戸数が100戸以上であるもの
(イ)建設年度が古いもの又は老朽化が著しいもの
(ウ)移転・仮移転用住宅が確保されているとともに当該団地の利用計画が適正に図られていること
(エ)地域のまちづくりと連携を図るもの

これら都営住宅は、公共施設ではなく、あくまで住宅であるため、保存などの機運などは無く、やはり建設年度が古いものは、早晩建て替えが行われる可能性が高い。しかし建設された時代を鑑みると、これら公営住宅は、いわばモノ言わない戦後の証言者とも言っていいだろう。記録だけでなく、記憶にも留めておきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?