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NYABFでのブックカッティングと本物をみてきた話

はじめてのアメリカ、はじめてのNYC =わくわく

ざっくりかくので細かいところは聞きに来てください。
NYCに行くべきか?といわれたら、行くべきだと答える。

それはなぜか? を伝えたいとおもう。
行く価値がどうかはわからない。でも価値観では語ることができる。

NYCの交通=おもったより便利、課題はスーツケースの運搬

空港からはエアートレインから地下鉄に乗り換えて滞在先であるNYC郊外のホテルにむかう。改札はオムニーというシステム登録してあればクレジットカードから引き落としで通過することができる。登録するカードはクレジットカードそのものでチャージとかしなくていいのでとてもスムーズであった。

次に乗り換え駅で地下2Fから地上3Fにあがるためにエレベーターを使用するんだが、すごくならんで来ても来てものれないのれない。この階段をあがるのか~とながめているうちに時間はどんどんすぎる。。さらに狭い改札口!これ1人じゃきついな~って思わず日本語が口にでる。

ブックフェアの会場周辺=ギャラリー街で空間と作品がとにかく大きい、うみも近い、観光地

ギャラリー=がごしあん、ペース、、名だたるギャラリーがすぐ隣に!!(信じられない、、、それも一カ所だけでなく何カ所か拠点があり同時にジャンルや世代が異なるアーティスト同時に展覧会を開催している。日本とはまったくちがうスピード感ですすんでいく。

ブックフェアの会場やギャラリーがあるのはチェルシーと呼ばれる地区で昔の工場地帯だったが観光化されている。あたらしいオフィス街であるハドソンからはハイラインとよばれる鉄道の旧高架橋を生かした遊歩道で簡単にアクセスできるようになっている。

やっとブックフェアの話=おもったより小さい場所にたくさんの情報

ようやくブックフェアの話をしようとおもう。
アーカイブは以下のサイトにあがってるので興味ある方は参照いただければとおもう。

CREVASSEのブースの場所=4FのZINEブースの奥

会場の構成は4つのフロアとRFトップの構成で、ZINEのエリアあがるのは4Fである。crevsseの場所はその中でも入り口から奥のほうである。まわりみていると、ZINEのコーナーといつつもアートブックに近いような質の高い作品がずらり。

ビンテージアートブック、極めて質の高いブックがずらり、雑貨とかはほとんどない

会場の1F入ってすぐみえてくるのが 主催であるPrinted Matter のブースで、その奥にはまた違うブーズのショーケースがみえてくる、ブックフェアでショーケースをみるなんておもってなかったのでびっくり、中にはビンテージのアートブックが大切に陳列されている。GAGOSIANのブーズもあって、過去の図録(多分在庫)が10ドルで販売されていた(最後は無料になっていたような、、)。他のフロアをみていると、なにを表現しているか詳細にはわからなかったけど耐水ペーパーで表現しているブースもあった。3Fは写真コーナーもあって、アパチャーとかしってる名前の出版がずらり、、でも高すぎて買えなかった(涙

パフォーマンス=あまりにも普通だった、でもNYCで表現できた(1つ目標の達成)

今回の目的の1つ、ブックカッティングのパフォーマンス!!をcrevasseのブースをかりてしてみた。どうだったのかちゃんと感想がきけてないけど、日本でやったみたいな変な空気じゃなかった、、言葉が足りないかもしれないけどもっと普通だったような気がした。(これはいっしょにいたcrevasseさんに聞きたいところ)でも、目標にしていたNYCで作品(今回はパフォーマンスだったけど)を発表できたことはとてもうれしい。チャンスをくれたcrevasseとブックフェアに感謝!
持っていった Mountain  もそれなりに買ってくれる人がいたことがうれしかった。


L本で伝達すること/しないこと =作品でわかることわからないこと

美術館をみて、本当に一度に多くの作品をみたので、詳細まで思い出せないかもしれないけど、圧倒的に彫刻作品がすくない。逆に流通しやすい絵画や写真、映像が多かった。本も流通しやすいという意味では同じで、作品をしってもらうきっかけになりやすいしアーカイブされやすい。逆に大きいものはすばらしくても海を渡れないことがほとんどだと気づく。すごく当たり前な話だけどすごく重要な話である。

海を渡ってないアメリカで制作された作品はとにかく大きい。箱もおおきい。大きいは質である。日本は狭いが大きいものはあるなと、でもNYCは大きいし広い、ここで広いの意味は、通路が広いや空間が大きいもそうだけど、詰めすぎないということである。間の考え方はアメリカにもあったというのが発見だった。

教科書に載ってるような作品の本物もけっこうあった。本物をみることより本物を見る前に想像してたことのが圧倒的にパワフルなことがあった。でもそれは本物をみないとわからないことだし、本物をみてしまったからこそ知識は補正されても想像ができない。

ワークショップも受けてきた=TABFで友達になったナランジャのワークショップ!

自分にとってNYABにいく理由は、友達との再会である。BackbonebooksNaranjaPublicaciones あたらしく友達になったFurther Readingさん、こうした友達がいてくれるから、いくら疲れててもお金がなくても時間がなくても自分を動かしてくれる!!


結局アートってなに? 必要?
再会した友達の言葉がとても印象的で紹介したい、私たちは、作品があるから出会うことができているし、それを継続しているから再開ができている、これは奇跡で私たちがまたいつ出会うことができるかわからないけど、また再会できるその日を信じて私たちは表現や制作を続けることができる。

同質性の社会の中ではなかなか気づきかないことだけど、バックグラウンドに移民が多いアメリカ社会は、いろんなルーツを持った人たちの集合であり、読み書きできない人たちもいる。同じものをみて体験しているはずだがその解釈は多様であり、当たり前が存在しない。このような環境の中で1つでも多くの共通言語が必要であり、その1つがアートである。

アートが言語であるということがピンこないかもしれないが、例えば、日本での漫画・アニメと同じような感覚である。だれもがしってること風刺があったり、元気もらったりする。こうしたことを共有できるツールである。

まとめ

自分にとっては、制作動機をたしかめにいく旅でもあった。
作品とはなにか?を追い詰めていった結果、なぜ作品をつくるのか?ほかのものでもいい?もっといいものが世の中にあるから自分がつくらなくてもいいともおもうことがある。

でも、ちょっと2018年に中国で思ったことを思い出したり、日本の外にいる友達の存在確かめたり、制作は自分想像以上のなにかをもたらしてくれる。同時に、ZINEや本のすばらしさを美術館にいって本物をみることで確かめたことは、想像していなかったうれしい発見である。










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