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ドリル07への提出物

0、展覧会の在り方について

この展覧会に関わるにあたり、その方法についてたくさん考えたことがある。それはCOVID-19による影響によって、無条件に従来のカタチを受け入れることは困難であると考えたからだ。今回の展覧会のスタイルは、その条件について考えた結果であり、それを行動にうつしたときにどうなるかを観察する機会でもあった。

1、ドリル07の声明

ドリルの声明は、やっぱりオフラインには価値があるという話だが、反対意見の立場で参加を考えている。それでも参加するのは、意見は違うけれど意見を表明する姿勢には同意したいからである。

今回、オンラインでの開催をあえてしていないのは、僕自身のリアリティがオンライン側ではなくオフライン側にあったからです。

ドリルがもとめるリアリティとはどこにあるのか?それが明らかになって、オンライン/オフラインを語ることができる。本当にオンラインでなければならないのか?という問いをたてる取り組みを実施する。

しかしながら、”状態を見つめ直しどう抗うか”は、思考を続けることが必要であるという意味でのプラクティスとして同意したい。

困難という状態を見つめ直し、どう抗うか。また、自分自身や誰かを守るために「しない」という選択をする。そういった経験が今後の制作活動の為の重要なプラクティスになればと思っています。
●困難な状況下でプロジェクトに参加すること、あるいは参加しないことを含めたそうした判断と決断のプラクティスとして。
●限定された環境、条件下で何が可能か、どこまで出来るのかを試作する。

ここでいう、参加というはどういうことかを考えていきたい。

参加することが必ず正しい訳ではない。

2、A=AA≠A(○△□ )は、AやBでもないもの考えた

上記の声明からドリルのリアリティは、オンライン/オフラインで語れる二元性を前提とした処理をしているが、A=AA≠A(○△□ )の想定(テーマである空白)は、オンライン/オフラインの二元性で語れないものを見つけそうとしている。我々は、この空白についてどうやって確定をして、どういう設定をするつくっていくかを問われている


3、内容は未定でもやり方はきまっている。

ヒガシジにとってのリアリティは、現地にいっても画面越しでもどちらでもよい。目の前に起こりそれを1つ1つ認知していくことが事実として確定させていく作業の連続だと考えている。

現場にいく必然性みたいな考え方でなくて、現場でいってもいかなくてもできる。現場いけばできること、WEBできることを別の世界として分けて考えて両方を認めることが重要だと考える。

上記ドリルの声明については、これまで一見等価にみえていたものがそうでなくなったとき、つまり前提条件の書き換えが発生したときに、従来のルールをそのまま適用できるかどうでないかでしかない連続性のもとにある考えである。

そうでなく、別の世界を考えることは断絶をみとめて、まったく新しい別の視点からみる手段を獲得し、視野を広げる作業である。少なくとも昨年からはじめた、ルーシーの骨の60%はこの考えのもとに実施されている。

4、提出物


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