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#51 エネルギーについて考える

一昨日は、ソイルデザインさんのいのちの仕組みの暮らし講座に参加させてもらいました。その中でいろいろ考えたりハッと気づかされることがありました。

かまどに竹で火を焚いて、羽釜で大豆を炊きました。火力が強く、2時間少しで炊き上がりました。昔、みんなで公民館で味噌を作っていたときは、4、5時間くらい火にかけてた記憶があります。当たり前ですが、火力で火が通るまでの時間が違うんですよね。

その焚いている火はどこから来ているかという問いかけが、四井さん(ソイルデザイン代表、パーマカルチャーデザイナー)からありました。
酸素?燃料?と私は、思いました。参加者さんからも燃えるもの、という答えが挙がると「燃やしている燃料というのは、エネルギーが蓄えられたもの」と四井さん。

ちなみに、ものが燃える仕組みについて調べてみると、燃えるもの(可燃物)なあり、酸素(支燃物というそうです)があり、そこに熱をもらうことで起こります。可燃物と支燃物が熱と光のエネルギーに変換されていく現象のことを「燃える」というようです。

太陽からの光!

エネルギーが蓄えられている燃料。その燃料は、どう作られたか・どうエネルギーが蓄えられたかといえば、太陽からエネルギーをもらっています。
太陽の光が地球に届くまでは8分19秒。それに対して、太陽の中心で作られた光子は、太陽の表面に届くまでに、なんと17万年かかるとか!それにはびっくりでした(帰ってから調べてみたら、こちらが分かりやすいです)。

ということは、私たちが見ている光は、およそ17万年前のもの!?

今見える星についても、何百年前の光を見ているんだと思うと(色々な星がありますね)、今いる自分が宇宙の中の一粒だなと思って悩んでいることが小さく思えます。ちっぽけだと思うのと同時に、ここに存在している奇跡も感じます。

何の燃料を使う?

もう一つ、なるほどと思ったのが、四井さんのところでは、燃料として、間伐材である竹を使っていたことです。
私たちの大半は、水も、ガスも、電気も、当たり前に無意識に使っています。けれど、その水や燃料はどこから来たのか、ということです。

味噌づくりのための大豆をガスで4、5時間煮ていたと書きましたが、それも悪いわけではないですが、ただ大豆を煮るためだけのガス火でした。それを、どのみち処分したいもの(竹だったり木だったり)があればそれを燃料にする、とか、暖を取るための薪ストーブや灯油ストーブの上で煮ることができたら、尚いいですよね。

昔、料理教室で教わったことに、熱を入れるときに何を使うかで質が変わるということがありました。治病目的での玄米食の場合、火ではなく電気で炊くとどうしても最後のところで良くなりきらない、と聞きました。
確かに、バーベキューや焼き鳥やさんなど炭で焼いたものは、家のガスであぶったものと違う美味しさがあると感じます。雰囲気もあるかもですが。
古民家暮らしをしていたとき、薪でたいたお風呂に入っていましたが、薪で焚いたお風呂は、ガスで焚いたよりもじんわり温まり、その温かさが体の中で長く続くように感じました。
私の体感ですが、そういった、癒されるというか、奥まで温まる感じは、薪や炭>灯油>ガス>電気という順番だと感じています。
調理も、ガスよりも灯油ストーブや薪で調理したものは美味しいです。なかなか身近に薪や炭が使えない東京在住時代は、そんな目的で火鉢を使っていたりしたものでした。

電気について考える

また、同じ「電気」を使うにも、今は、どうやって作られた電気なのかを選ぶことができますよね。東日本大震災のときに、原子力発電のもろさが露呈したと思うのですが、それに頼り切っていたのは、無意識に使っていた私たち。震災でエネルギーのことを考え始めた方は、私も含め多いと思います。
電気だったら、どこの電力のものを購入するのか。はたまた、自給できたりするかどうか。電気ではなく、他のエネルギーで代用できないか。など、考えたことがなかったら、一考してみるといいのではないかと思います。

私も、今は生活で手一杯なので、オフグリッド・・・とまではいかないですが、万が一何かがあったときに、自力でなんとかできるシステムを作っておけたらなと思っています。すぐには難しいですが、非常用に電力を代替できるくらいのソーラーシステムとポータブル電源は準備しておきたいなと思っていて(実は10年くらいずっと考えていて、実現できていないことのひとつ)、目下調査中です。
今まで無意識に使っていたけれど、生活するのに、何ワットくらいのものがあれば不便を感じずに生活できるか、など、色々考えます。

電気代がグンと上がってきたこともあり、同時に、普段使う電力を少なくしておくというのも大事かなと思っています。当たり前ですが、使わない電気は消す、便利でもなくても電気は使わず最小限にしておく、など、見直すとけっこう違ってくるものです。
私は実家暮らしだったとき、各部屋にエアコンがついていたり、夜は階段の電気がついていたりと、そんなに意識することはなく生活してきていました。結婚したてのときも、マンションだったときは、エントランスも廊下も煌々と電気がついていてエアコンで管理されていたり、街に出てもコンビニ他、深夜までやっているカフェ、何も疑問を持たずに生活していた気がします。

子どもが生まれ、台所や子育てから少しずつ意識的に選択するようになり、暮らしを眺め、移住して、と、人生が展開していくにつれ、電気もガスも水道も、当たり前ではなく、人類が作ってきたものという実感を持つようになりました。飲料水は汲みにいくようになり、煮炊きするときにはどの熱源がいいか選ぶようになったり、周りでもエネルギーについて考える友人がいるようになって、ソーラーシステムを組んでいるのをちらほら見かけるようになった今、「選ぶ」ということは大切だなと感じています。
また、エネルギーについて考えるきっかけが、小さなことからでもいいので(月に1度、明かりをろうそくにしてみるキャンドルナイトをしてみるなど)、周りで増えていったらいいなと思います。

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それではまた明日!

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